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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0668_2020/01/18 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1781〜n.1784を発行しました。

(1) ラッセル『私の哲学の発展』第10章「ヴィトゲンシュタインの衝撃」n.11
   『ラッセルの言葉366』 n.1781 (2020年01月14日 火曜日)

 第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.11

 非常に重要なもう一つの点(point 要点/主張)がある。それはウィトゲンシ
ュタインが、世界(world 宇宙)の全てのものについて(の)いかなる陳述も認
めようとしないことである。『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』にお
いては、ものの全体とは、x = x であるような全ての x の集合である(訳注:
同一性の原理)、と定義され、その集合には、他のいかなる集合とも同じく、
ひとつの数を割りあてることができる。(ただし、)もちろんその集合に割り
あてることができる正しい(適切な)数が何であるかを我々は知らないが。
(しかし)ウィトゲンシュタインはこのことを認めようとしない。「世界には3
つ以上のものがある(存在する)」というような命題は無意味である、と彼は
言う。1919年に(オランダの)ハーグにおいて、私が彼と(彼の)『論考』に
ついて議論していた時、私は眼の前に一枚の白紙をおいて、それにインクのし
みを3つつけた。(そうして)次のことを認めてほしいと彼に懇願した。
即ち、ここに3つの斑点があるのだから世界には少なくとも3つのものがある
(存在する)、ということを認めてほしい、と。しかし、彼は断固として拒絶
した。彼は、紙の上に3つの斑点があることは認めた。それは有限な主張(a
 ninite assertion)だからである。しかし彼は、世界全体(宇宙全体)につい
ていかなることも語ることはできるとは認めようとしなかった(語ることはで
きないとした)。このことは彼の神秘主義と結びついているが、彼が同一性を
認めることを拒絶することに根拠づけられている。

Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.11

There is another point of very considerable importance, and that is 
that Wittgenstein will not permit any statement about all the things 
in the world. In Principia Mathematica, the totality of things is 
defined as the class of all those x's which are such that x = x, and 
we can assign a number to this class just as to any other class, 
although of course we do not know what is the right number to assign.
 Wittgenstein will not admit this. He says that such a proposition as
 'there are more than three things in the world' is meaningless. When
 I was discussing the Tractatus with him at The Hague in 1919, I had 
before me a sheet of white paper and I made on it three blobs of ink. 
I besought him to admit that, since there were these three blobs, 
there must be at least three things in the world ; but he refused, 
resolutely. He would admit that there were three blobs on the page, 
because that was a finite assertion, but he would not admit that 
anything at all could be said about the world as a whole. This was 
connected with his mysticism, but was justified by his refusal to 
admit identity.

(2) ラッセル 「旧友について」(『アメリカン・エッセイ集』)から
   『ラッセルの言葉366』n.1784 (2020年01月17日 金曜日)
 https://russell-j.com/CRIME-I.HTM

 傍観者にとって,時代遅れの人間 (年寄り)のありふれた思い出話ほど退屈
なものはない。老人たちは,遠い昔の青年時代のごく'月並みな出来事'を奇妙
にも自慢するが,青年時代がそれほど昔でない人たちにとってはそれらの出来
事はまったく馬鹿げたものであり,うるさいだけである。なぜ老人たちはこう
いった自慢話にふけるのか,説明は多少難しいが,それは'多面性を持つ人間'で
ありたいと(誰もが)願う普遍的欲求からくると考える。何年間も様々な公的
な場において議長(座長)を引き受け,もったいぶり,威厳があり,重々しい態
度をとり,国家的な重要事項(問題)について当たり障りのない話をする仕事
に慣れると,今の自分とは違う自分であった時代,即ち陽気で無責任で悪戯に満
ちた時代,があったことを思い出してほっとする。これらの思い出が湧き起こ
る時,我々は自分に向かってこう言い聞かせる。「お前は,心底は(本当は)退
屈で年とった大物ではない。お前は心底はいまだ少年だ。それゆえ,公的地位
が許せば,今でも無鉄砲な悪ふざけをすることもできるだろう。」これらの考
えが心の中を通り過ぎるにつれて,自分は見かけよりも'愛すべき人間'である
と思い始め,そうして社会に対する(自分の)義務の遂行ぶりだけを外から眺
めている人たちが想像するよりも自分は好人物である,と考える。

Nothing is more boring to the onlooker than common reminiscences of
 old fogies. There is a curious pride in the most commonplace 
incidents of their long-ago youth, which is merely ridiculous and 
annoying to those whose youth is less distant. Why there should be 
this pride it is a little hard to say, but I think it comes of the 
universal desire to be many-sided. When a man has been for many years
 accustomed to taking the chair on public occasions, being pompous and
 grave and weighty, and uttering well-considered words on matters of 
national importance, he finds it a relief to remember that there was a
time when he was different, when he could be gay and irresponsible and
 full of pranks. 'You see,' he says to himself, as these reminiscences
 pour into his mind, 'you are not at heart a tedious old bigwig; at 
heart you are still a boy, and if your public position permitted it, 
you could still engage in harum-scarum escapades.' As these thoughts 
pass through his mind, he bigins to think himself more lovable than he
 seemed, and he reflects what a nicer person he is than anyone could
 know who only sees him performing his duties to the community.

 しかし以上は,旧友との想い出話から引き出される喜びの単なる一部であり,
多分最重要なものの一部ではないだろう。この喜びのもう一つの要素は,旧友
との思い出話が'孤独'をまぎらすという事実である。我々は,年をとるにつれ
て我々の日常関係に入ってこない(要素とならない)人生の割合はいっそう大
きくなっていく。大部分の友人たちは自分の一生の長い過去の経過について知
らないので,自分の過去の経験のいっそう大きな部分が'日常の個人的つき合い
から除外される。年をとるにつれていっそう孤独を感じるようになるのは避け
ることのできない結果であり,遠い昔の旧友に会う時にこの孤独感が突然癒さ
れるのである。

But this is only a part, and not perhaps, the most important part, of
 the pleasure derived from reminiscing with old friends. Another 
element of this pleasure is that it diminishes loneliness. As we get
 older the portions of our life that do not enter into our ordinary 
relations become greater and greater. Most of our friends know nothing
of large passages in our lives, so that an increasing part of our past
 experience is excluded from most of our personal relations. 
The inevitable result is that as men grow older they come to feel more
 solitary, and when they meet a friend of long ago, this feeling is 
suddenly relieved.

 しかしこれよりもいっそう深いもう一つの要素がある。時の急速な経過,森
羅万象のはかなさ,死の世界は,悲劇的感情のもとである。人類が人生について
深い考察をめぐらし始めて以後,人類は様々な逃避方法を探してきた。宗教,哲
学,詩,歴史において,これら全てにおいて,移りゆく物事(事象)に永遠の価値
を与えようと試みている。個人の記憶が存続する間は,幾分か時の(流れ)勝利
を遅らせ,時々刻々の出来事も少なくとも'思い出の中で'持続させる。同様の
衝動がいっそう強くなると,諸国の王は戦勝記念の石碑を彫らせ,詩人たちは自
分の名を不朽にするような美しい言葉で昔の悲話を物語り,哲学者は時(間)
は単なる幻影(仮象)にすぎないと立証する哲学体系を発明する。むなしい努
力よ!石碑は崩れ,詩人の言葉は読解不能となり,哲学者の体系は忘れられる。
にもかかわらず,永遠(なるもの)を追求する努力は,移りゆく瞬間を価値ある
ものとしている。

There is, however, another element more profound than this. The flight
 of time, the transitoriness of all things, the empire of death, are 
the foundations of tragic feeling. Ever since men began to reflect 
deeply upon human life, they have sought various ways of escape: in 
religion, in philosophy, in poetry, in history - all of which attempt
 to give eternal value to what is transient. While personal memory 
persists, in some degree, it postpones the victory of time and gives
 persistence, at least in recollection, to the momentary event. 
The same impulse carried further causes kings to engrave their 
victories on monuments of stone, poets to relate old sorrows in words
 whose beauty (they hope) will make them immortal, and philosophers 
to invent systems providing that time is no more than illusion. Vain 
effort! The stone crumbles, the poet's words become unintelligible, 
and the philosopher's system are forgotten. Nonetheless, striving 
after eternity has ennobled the passing moment.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1736〜1739を発行しました。ひとつだけ再掲します。
      n.1734 (2020年01月08日)
  
 最所フミ(編著)『日英語表現辞典』(ちくま学芸文庫,2004年1月)を参考に
した「ラッセルの英語_日英語表現辞典シリーズ」(通称 R日英表現)です。

★ for(in favour of; in support of; in agreement with; in defense of
     : pp.087-088)

  https://russell-j.com/beginner/r_nichieigo_hyogen_f01.htm

 "There is much to be said for it."(そのものを擁護して言うべきことが
いろいろある)という文のなかの"for"は"against"の反対、即ち、「賛成」や
「支持」を意味している。この一文を「それにはいろいろ言うことがある」や
「それにはいろいろ文句がある」と誤訳する人がいる。
 一番いけないのは「〜に対して」とか、「〜のために」という訳語で"for"
を片付けてしまうことである。
 "I have no use for you."の意味するものは謙遜(「私はあなたの役に立ち
ません」)でも皮肉でもなく、かなり露骨な反感の表示であると受け取らなけ
ればならない。この文は、"I have no time for you."とか、"I am not going
 to waste my breath on you."という強い表現に置き換えることができるから
である。つまり、「あなたのために時間を費やすのはごめんだ」という意思表
示である。

 R英単語・熟語集の用例とはできるだけ重複しないようにしますが、用例が
少ない場合はどうしても重複してしまいます。あしからず。

A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1>
Of the above considerations, both for and against boarding schools, 
there are only two that are essential and unalterable, and these two 
are on opposite sides.
[以上の寄宿制(全寮制)の学校に対する賛否両論の考察のうちで,本質的で
変更不可能なものは二つしかなく,またこの二つは,相互に対立している。]
 出典:ラッセル『教育論』第三部_知性の教育_第17賞「通学制の学校と寄
宿制の学校」
     https://russell-j.com/beginner/OE17-050.HTM

<用例2>
Let us now consider more closely the meaning of the axiom of internal
 relations and the grounds for and against it.
[さて、内面的関係の公理の意味とそれに対する賛否の理由(根拠)についても
っと入念に(closely)考察してみよう。]
 出典:ラッセル『私の哲学の発展』第5章「一元論にそむいて多元論へ」
     https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_05-030.HTM

<用例3>
We found no arguments either for or against this axiom.
[我々はこの公理(選択公理)を真、あるいは偽とする論拠をまったく見い出
さなかった。。]
 出典:ラッセル『私の哲学の発展』第8章「数学原理ーその数学的側面」
     https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-110.HTM

<用例4>
Perhaps, when we come to examine the arguments that have been used for
 and against determinism, we shall find that what people have had in
mind was something rather less definite than the principle at which we
 have arrived. for .
[おそらく,我々が決定論を肯定あるいは否定する議論(論拠)を吟味すると,
人々が心に抱いていたものは,我々が到達した原理(注:上述)よりもどちら
かというと明確でないものであったということを発見するだろう。]
 出典:ラッセル『宗教と科学』第6章「決定論」
     https://russell-j.com/RS1935_06-060.HTM

B.他の参考例

<参考例1>
Are you for the government or against it?
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2>
If you are for something, you agree with it or spport. / Are you for 
or against public transport?
 出典:Collins COBUILD English Dictionary for Advanced Learners, new
 ed.


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1481〜1484

1)n.1481:R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.14
       https://russell-j.com/wp/?p=5164
         
2)n.1482: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.15
      https://russell-j.com/wp/?p=5167

3)n.1483: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.16
          https://russell-j.com/wp/?p=5170

 * N.11 は中身があまりないのでスキップします。

4)n.1484: R『権力−その歴史と心理』第12章 権力と統治形態 N.76
       https://russell-j.com/wp/?p=5174


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.1168j-1174j を投稿
 英 語 version : n.1168e-1174e を投稿

  一つだけ再録します n.1169j (Jan. 13, 2020)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1169.html

 「信仰と職業倫理との葛藤」

 「お手紙ありがとうございます。・・・その年(1921年)、私は北京で両側
肺炎にかかりました。そして、雇うことのできる看護婦といえば、英国人看護
婦ひとりだけでした。彼女は非常に信心深い女性であり、私が回復した時、彼
女は私に(反キリスト教徒である)私を死なせることこそが彼女の義務だと考え
て大いに苦しんだけれども、自分の良心に従いたいという衝動よりも看護婦と
しての職業的本能の方がずっと強いということがわかったと告白しました。」

Thank for your letter. ... In that year I ( = Russell) had double 
pneumonia in Peking and only one English nurse obtainable. She wa s 
lady of great piety who told me when I was convalescent that she had
 great struggles with her conscience on the ground that she thought it
 her duty to let me die, although professional instinct proved too 
strong for this virtuous impulse.
 Source: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence 
with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/DBR1-03.HTM

<寸言>
 これは一般市民との往復書簡集のなかのひとつ。晩年のラッセルは1日に
百通ほどの手紙を受け取るが、その大部分に返事を書いていたとと言われて
いる。もちろん返事を書いていたと言っても、ラッセルが口述するものを秘書
がタイプライターで清書していたと思われる。

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 お休み

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 編集後記 アマゾン・アソシエイトのアカウント「閉鎖」の衝撃!
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 昨年12月30日に、アマゾンのアフィリエイト・サービスの担当者から、私
のアマゾン・アソシエイトアカウントを「閉鎖しました」というメールが突
然届き、ビックリしました。

 アマゾン・アリフィエイトはアマゾンがそのサービスを日本で開始した頃
から利用しており、アマゾンが販売している書籍への広告をこれまで大量に
貼り付けてきました。ラッセルのホームページのコンテンツは、htmlファイ
ルにして10,000件以上あり、各コンテンツの多くにはアマゾンで販売してい
る書籍の個別広告へのリンクを複数つけてきましたので、その広告の延べ数
は2万を越えるはずで、被害は甚大です。

 長い間大丈夫だったのに突然どうしたことだろうと訝りましたが、アマゾ
ンが知らせてきたメールには次の規約違反があったと書かれていました。

>>本日付で、お客様のアソシエイト・プログラムアカウントを閉鎖させて
>>いただきました。
>>お客様のアカウントが閉鎖となった理由:
>>Amazonアソシエイト・プログラムの継続的監視の一環として、当社はお
>>客様のアカウントを再調査しました。
>>調査により、当社は、お客様が以下に記載の運営規約を遵守していない
>>と判断しました。
>Amazonアソシエイト・プログラム運営規約:
 https://affiliate.amazon.co.jp/help/operating/agreement
>>違反には以下が含まれます:

>>貴殿のサイトの特別リンク経由で行われた購入は、個人的な使用、再販、
>>商業的使用、または貴殿の友人、親戚、従業員、請負業者、ビジネス関
>>係者によるものです。
>>お客様にご対応いただきたい内容:
>>お客様のサイト内にあるAmazonマークの使用を中止し、Amazonサイトへ
>>のすべてのリン>クを速やかに削除しなければなりません。

 つまり、「貴殿のサイトの特別リンク経由で行われた購入は、個人的な使
用、再販、商業的使用、または貴殿の友人、親戚、従業員、請負業者、ビジ
ネス関係者によるものです」ということで、友人が購入したものでもそれが
わかった時にはアウトになるとのことです。規約は詳細すぎるので、普通に
やっていれば大丈夫だろうと思い、熟読していませんでした。

 それにしても、20年くらい?大丈夫だったのにどうして今更、という気が
しますが、問い合わせをしても「なしのつぶて」です。(たぶん、規約違反
を見つければ、1件◯円の報奨金をもらえるということで、「摘発」にはげ
む若者が少なくないのではないかと邪推しています。)

 GAFAは偉くなったものです。アマゾンは、アマゾンが本しか販売していな
かった時から利用してきましたが、巨大になり、力を持つと自分が定めた規
約に違反した場合は、どんなに長い期間顧客であったとしても、警告メール
を注意喚起メールを事前に送ってくることなく、「問答無用」でアカウント
を閉鎖します。

 権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言どおり、力
を持ったものが尊大になるのは政治の世界だけではありません。

 泣き寝入りするしかないですが、次善の策ですが、昔取得していた楽天ア
フィリエイト用のアカウントを利用して楽天の広告を貼り付けることにしま
した。ファイルが10,000以上あるので全て作業を終えるには1年間くらいか
かりそうです。
(参考 アマゾン・アソシエイト用アカウント閉鎖に関する体験談まとめ
   https://zerokara-blog.com/amazon-associate-ban/ )

 皆様、今後はラッセルのホームページの楽天の広告経由でラッセル関係の
書籍などを購入していただければ幸いです。     松下彰良

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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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