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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0662_2019/11/30 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

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(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1751〜n.1755を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第9章 「外界」 n.5
     【「ラッセルの言葉366」n.1752 (2019年11月26日 火曜日)
       https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_09-050.HTM
 
 これらの理論の中の第二と第三(の理論)は、私が経験することから私の経
験しない何ものかへの推論を必要とする(demand 強く要求する)。そのよう
な推論は、論理的に証明可能なものではありえず、演繹的論理学の外にある原
理を受けいれることによってのみ有効にできる(validated by 正当性が認め
られる)。「哲学の諸問題」(注:邦訳書名は『哲学入門』)及びそれ以前に私
の考えていた全てにおいて、私は物理学に出てくる物質をそのまま受けいれて
いた。しかし,このことは、物理学と知覚との間に、別の言い方で言えば、精
神と物質との間に、不愉快な大きな隔たりを残した。(また)物理学者の(が
前提とする)「物質」を捨て去ろうという私の初期の熱意のなかで、ある(与
えられた)知覚者が知覚しない仮説的存在(hypothetical entities)を、彼
(人間)が知覚する諸要素のみから組み立てられた構成物として示すことがで
きることを望んだ。これは、(ボストンでの)ローウェル講演(連続講義)に
おいて提示したその理論(説)の最初の(詳細な)説明(exposition)におい
て、ひとつの可能性として示された(として示した)。この最初の詳しい説明
(解説)は、1914年に Scientia 誌(スキエンティア)に発表した「センス・
データ(感覚所与)と物理学との関係」と第する論文の中であった。【訳注:
みすず書房版の訳書で野田氏は「・・・ひとつの可能性として"暗示"された。
この点を初めてはっきり述べたものは・・・」と訳している。ここは素直に
「・・・で提示した(提示された)この最初の詳しい説明(解説)は、1914年
に Scintia 誌(スキエンティア)に発表した。」と訳すべきではないか。ラ
ッセルは"expositon"という言葉を2回使っていることに注意/なお、この論
文はその後 Mysticism and Logic, 1918 に収録されている。〕 この論文の
中で、私は次のように言った「もし物理学が検証可能(verifiable)であるべ
きならば、我々は次の問題に直面する。即ち、物理学はセンス・データ(感覚
所与)を物理的対象の関数 (functions) として示すが、しかしその検証
(verification)は、物理的対象が感覚所与の関数として示されうる場合にのみ
可能である。それゆえ、我々は感覚所与(データ)を物理的対象の言葉で与え
る(説明する)方程式を解かなければならず、それどころか(indtead その代
わりに)、物理的対象を感覚所与(データ)の言葉で与える(表現する)方程
式にしなければならない」。けれども、間もなく私は、これは実現不可能な企
て(programme 計画)であり、物理的対象は現実に経験された諸要素からなる
構成物と解釈できないと信ずるようになった。この同じ論文のなかで、その後
の方の部分で、二種類の推論を許容すると説明している。即ち、(自分の感覚
所与だけでなく)(a)他人の感覚所与(を認めること)(注:自分の感覚所与
の延長)、また(b)私が「センシビリア」と呼ぶもの、つまり(感覚所与を)
知覚する心がまったく存在しない場所において事物が存在している「現れ」
(appelarance)であると私が想定するもの(を認めること)(である)。そ
してさらに続けて,これら二種の推論なしにすますことができ、「また、そう
して、物理学を独我論的基礎の上に立てることができればよいと思うが、論理
的な無駄の無さ(logical economy)よりも人間的愛情(注:他人の存在を認め
たいという感情)の方を強くもっている人々は −−そういった人が大多数だ
と思うが−− きっと、独我論を学問的(科学的)に十分なものとしたいとい
う私の欲求には、同感しないであろう」と言っている(書いている)。そうい
うわけで私は(自分が)経験するデータ(所与)のみから「物質」を構成しよ
うとする企てを断念した。そうして、物理学と知覚とを、調和的に、ひとつの
全体に適合させる世界像で満足した(のである)。

Chapter 9 The External World, n.5

The second and third of these theories demand inferences from what I 
experience to something which I do not experience. Such inferences 
cannot be logically demonstrative and can only be validated by 
accepting principles which lie outside deductive logic. In the 
Problems of Philosophy and in all my previous thinking, I had accepted
 matter as it appears in physics. But this left an uncomfortable gulf
 between physics and perception, or, in other language, between mind 
and matter. In my first enthusiasm on abandoning the‘matter' of the
 physicist, I hoped to be able to exhibit the hypothetical entities 
that a given percipient does not perceive as structures composed 
entirely of elements that he does perceive. This was suggested as a
 possibility in my first exposition of the theory that I advanced in 
the Lowell Lectures. This first exposition was in a paper called 
'The Relation of Sense-Data to Physics', published in Scientia in 
1914. In this paper I said: ‘If physics is to be verifiable we are 
faced with the following problem: Physics exhibits sense-data as 
functions of physical objects, but verification is only possible if
 physical objects can be exhibited as functions of sense-data. We have
therefore to solve the equations giving sense-data in terms of 
physical objects, so as to make them instead give physical objects in
 terms of sense-data.' I soon, however, became persuaded that this is
 an impossible programme and that physical objects cannot be 
interpreted as structures composed of elements actually experienced.
 In this same paper, in a later passage, I explain that I allow myself
 two sorts of inferences: (a) the sense-data of other people and, (b),
 what I call‘sensibilia', which I suppose to be the appearances that
 things present in places where there are no minds to perceive them. 
I go on to say that I should like to be able to dispense with these 
two kinds of inferences ‘and thus establish physics upon a 
solipsistic basis; but those -- and I fear they are the majority --
 in whom the human aftections are stronger than the desire for logical
 economy, will, no doubt, not share my desire to render solipsism 
scientifically satisfactory’. Accordingly, I gave up the attempt to
construct 'matter' out of experienced data alone, and contented myself
 with a picture of the world which fitted physics and perception 
harmoniously into a single whole.


(2)「島国根性について」(『アメリカン・エッセイ』から)
      「ラッセルの言葉366」n.1746 (2019年11月18日 月曜日)
      n.1754 (2019年11月28日 木曜日)

 ・・・前略・・・。
 島(国)に住む人々は,大陸に住んでいる人々からこれまでずっと悪口を言わ
れ続けてきた。そして大陸の住民は多数派であるため,彼等(大陸の住民)は
自分たちの主張(の論拠)を,少数派である島国の住民よりもずっと効果的に
世の中に受け入れさせてきた。・・・。

Men who live on islands have been much maligned by those who live on 
continents, and as the latter are the majority they have made their
 case heard more effectually than has been possible for the minority.

シリー諸島の住民は,海洋民族(航海民族)であり,大部分の者が生涯の何年か
をアジアやアフリカで過ごしている。(従って)彼らは日中間の問題, (南ア
フリカの)ケープ植民地における英蘭問題,その他の同様の(国際問題)を知
的に議論することができる。また彼らは遠い地域ばかりでなく,遠い時代につ
いても関心を持っている。彼らは自分たちの島が,古代,'錫'の交易のため,最
初はフェニキア人,次にローマ人によって探検されたことを知っている。即ち
,彼らは,中世を通じてその島は,今もその遺跡が残っているある寺院の修道士
たちによって支配されていたこと,チャールズ一世処刑後にクロムウェルヘの
最後の抵抗(蜂起)が試みられたこと,等々を知っている。彼らが支配する世
界は狭い。しかし,彼らの思惟と想像の世界は非常に広大である。

The men of the Scilly Isles are seafaring folk, most of whom have 
spent years of their lives in Asia and Africa. They can discuss 
intelligently the Sino-Japanese question, the Anglo-Dutch problem at
 the Cape, or any such matter. They are as conscious of distant times
 as of distant places. They know that in antiquity their islands were
 explored, for the sake of the tin trade, first by Phoenicians and 
then by Romans; that throughout the Middle Ages the islands were 
governed by the monks of an abbey of which ruins remain ; that here 
the last stand against Cromwell was made after the execution of 
Charles I. Their territorial world is small, but the world of their
 thought and imagination is exceptionally large.

 (これに対し)広大な大陸の中央部に住む人々は,彼が長期間の旅ができる十
分な金と余暇を持たないかぎり,異国の慣習や生活に接する機会を持つことは
はるかに少ない。

The man who lives in the middle of a large continent, unless he has 
enough money and leisure for long journeys, is brought much less in 
contact with alien customs and ways of living. ...

 アメリカ大陸の中央部においても,これと同様ことが生ずる。大部分のアメ
リカ人は,アメリカの流儀は唯一自然なやり方であり,また,アメリカの統治形
態は唯一自然な統治形態であると考え,(従って)アメリカ社会における弊害
は,人間本性にとって不可避なものである,と感じている。同じようなことは,
多分,中国大陸の中央部や,その他広大で均一な大陸の中央部ではどこでも見ら
れるものであるだろう。
 それゆえ,「島国根性」は,島(国)の住人の特徴ではなく,逆に,広大な内陸諸
国の住民の間で最も普通に見られる特徴であると思われる。・・・。

In the centre of the American continent the same sort of thing 
happens. The bulk of the population feels that American ways are the
 only natural ways, American forms of government the natural forms of
 government, and American abuses only such as human nature makes 
inevitable. The same sort of thing would be found in the centre of
 China or of any large homogeneous continental area.
It would seem, therefore, that 'insularity', so far from being a 
characteristic of islanders, is, on the contrary, most often to be 
found among the inhabitants of vast inland countries.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1707〜1711を発行しました
  以下,1つだけ再録します
        n.1709 (2019年11月27日)
          R英語_類義語シリーズ v02
    https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-v02.htm

★ villain / scoundrel / knave / rogue / rascal

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-v02.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.387-390)

【"villain":悪者を表す最も古典的な部類に属する言葉。現代では主に劇の
中での仇役、また悪の原因である元凶の意味で使われている。】
【"scoundrel":邪悪で、利益のために人を犠牲にすることをなんとも思わな
い悪徳漢。】
【"knave":小さな詐欺やトリックを用いる,心がいやしくて小ずるい小悪党
。昔は、使い走りの若者のことを言っていた。なお、男性に対して使われ、女
性に対しては使われない。】
【"rogue":シェイクスピア時代からの古い言葉で、追い剥ぎなどを働く大胆
不敵な悪者といったイメージ。今では、愛嬌じみた「悪者」の意味に多く用い
られる】
【"rascal":子供や動物について、「わるさ」とか「わんぱく小僧」と言った
ニュアンスで使われる。】

(1) One rarely meets an authentic villain in life-time.
[正真正銘の悪人と言えるような人物には、人間一生のうちめったに会えるも
んじゃない。]

(2) Yet statesmanship is so scarce in our time that apparently it must
 be rewarded, even if it emerges from scoundrels.
[しかし大政治家のリーダーシップというものが払底している我らのこの時代
にあっては、、たとえそれが悪徳漢から出たものであっても、報奨されなけれ
ばならない。]

(3) He is more fool than knave.
[あの男は悪人というよりはむしろバカだ。]

(4) Those sturdy rogues are taking to the roads as highwaymen.
[屈強な悪党が追い剥ぎを働くことを覚えだした。]

(5) We mus feed our little rascal.
[かわいい腕白に食事をさせねばならない。]


A.ラッセルの著作における用例

<用例1>
The real villain, from this point of view, is the man who saves.
[この観点から見ると、本当の悪者(悪の元凶)は貯金する者(ため込む者)
である。]
 出典:Bertrand Russell: In Praise of Idleness and Other Essays, 
1935, chapt.1「paragraph 2」
     https://russell-j.com/beginner/OE05-070.HTM

<用例2>
Both ages exhibit the greatest heights of genius and the greatest 
depths of scoundrelism, and in both the scoundrels and the men of 
genius are by no means antagonistic to each other.
[どちらの時代も,最高の天才と最低の悪党根性(scoundrelism)を示してお
り,その両者において,悪党と天才は決して互いに敵対するものではなかっ
た。]
 出典:ラッセル『権力−新しい社会分析』第6章「むきだしの権力」
     https://russell-j.com/beginner/POWER06_190.HTM

<用例3>
It is a fair prophecy that if you tell a man he is a knave and a fool
 he will not love you, and it is a fair prophecy that if you say the
 same thing to seventy million people they will not love you .
[お前はこずるくて愚かだと言えばその人はあなたを愛さないであろう,とい
うのはまともな予言である。また諸君が同じことを七千万の国民(注:英国民
のこと?)に言えば,その国民はあなたを愛さないであろう,というのも正当
な予言(fair prophecy)である]
 出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
     https://russell-j.com/beginner/0861HARM-190.HTM

<用例4>
The world used to be divided sharply into honest men and rogues; 
honest men kept the law, rogues broke it.
[昔は(単純に),世の中の人間は正直者と悪者にはっきり分けられていた。即
ち,正直者は法律を守り,悪者は法律を破る(と考えられていた)。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「犯罪者は一般人 より
悪人か?
     https://russell-j.com/beginner/0951_HIW-010.HTM

<用例5>
There was, it is true, Bismarck, whom I was taught to consider a 
rascal; but it was thought that the civilizing influences of Goethe
 and Schiller would prevent the Germans from being permanently led 
into wrong paths by this uncivilized farmer.
[確かにビスマルクがおり、私は、彼は悪者だと教えられたが,この野蛮な農夫
(ビスマルク)によってドイツ人が誤った道に永遠にひきこまれるのを、ゲー
テやシラーの啓発的影響が妨ぐことができると思われた。]
 出典:ラッセル『自伝的回想』冒頭の「自叙伝のこころみ」
     https://russell-j.com/cool/48T-0001.HTM

B.他の参考例

<参考例1>
The sheriff apprehended the notorious villain on suspicion of murder.
[保安官はその悪名高い悪党を殺人容疑で逮捕した。]
 出典:『究極の英単語−上級の3000語』p.395

<参考例2>
an utter scoundrel
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例3>
In card games, knave is another word for jack.[mainly Britain]
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例4>
a rogue state
[ならず者国家]
 出典:『究極の英単語−上級の3000語』p.491

<参考例5>
You little rascal! Where have you hidden my shoes.
出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1451〜1455

1)n.1451:R『権力−その歴史と心理』第11章 組織体の生物学 n.7
           https://russell-j.com/wp/?p=5054
         
2)n.1452: R『権力−その歴史と心理』第11章 組織体の生物学 n.8
       https://russell-j.com/wp/?p=5057

3)n.1453: R『権力−その歴史と心理』第11章 組織体の生物学 n.9
           https://russell-j.com/wp/?p=5061

4)n.1454: R『権力−その歴史と心理』第11章 組織体の生物学 n.10
        https://russell-j.com/wp/?p=5064
 
4)n.1455: R『権力−その歴史と心理』第11章 組織体の生物学 n.11
        https://russell-j.com/wp/?p=5069
     

★「ラッセルの言葉_画像版」
2
 日本語 version : n.1119j-1125j を投稿
 英 語 version : n.1119e-1125e を投稿

  一つだけ再録します n.1119j (Nov. 24, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j1119.html

 「パラドクス(論理的矛盾)を回避する」

 パラドクス(論理的矛盾)を回避するためには、我々は何らかの命題の全体
に言及する命題と、そういうもの(全体)に言及しない命題とを区別しなけれ
ばならないであろう。そして命題の何らかの全体について言及する命題は、決
してその全体のなかの要素ではありえないのである。我々は命題の全体に言及
することのない命題を、第一階の命題と呼び、第一階の命題の全体に言及する
命題を第二階の命題と呼び、そのようにして無限に(ad infinitum)進むこと
ができる。

We shall have to distinguish between propositions that refer to some 
totality of propositions and propositions that do not. Those that 
refer to some totality of propositions can never be members of that 
totality. We may define first-order propositions as those referring to
 no totality of propositions; second-order propositions, as those 
referring to totalities of first-order propositions; and so on, ad 
infinitum.
 Source: My Philosophical Development, chap. 7:1959.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-110.HTM

<寸言>
 この区別をしないと、また、この区別をしなくてよいとすると、思考は混乱
し、自己矛盾に陥ってシます

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休みです。

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 編集後記 「堂々と嘘をつきたかったら偉くなりなさい?」
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 もう安倍総理や安倍政権の話題はやめにして、もっと別の様々なことを話
題にしたいところでですが、強い権力を握って「毒をまきちらし続けている」
集団をのさばらせたままにして、目を伏せるわけにはいきません。

 安倍政権の関係者は、総理を筆頭に「嘘をつき放題」であり、その嘘を嘘
でないと言うために、新たな嘘をついています。嘘だとをバレるといけない
ので、公文書を改ざんしたり、(保存期間を変更するまでして)公文書を廃
棄し続けています。

 安倍応援隊や安倍信者の方々は、「国会でいつまでそんな低レベルのやり
とりをやっているのだ、もっと議論すべきことはあるはずだ!」と、さかん
に安倍政権を擁護しています。しかし、野党が検討したい法案はほとんどと
りあげず、自公が通したい法案をいつまでに法案を可決するかスケジュール
を決めたら、その後は形式的な議論を「消化」し、野党が強く反対するもの
は「強行採決」をして通してしまっています。

 世論の強い反対がない限り、圧倒的に与党議員が多い現在の状況において
は、いかなる法案であっても国会を通すことができます。こみいった内容の
法案も少なくなく、へたに国民に法案の問題点を知られると「難航」するの
で、情報公開も限定し、あっという間に通してしまっています。

 従って、総理と桜を見る会、総理後援会主催の前夜祭、1日10万枚を裁断
可能な大型シュレッダーの問題、その他、安倍総理や安倍政権や忖度官僚達
がつき続けている嘘の数々をこの際、決定的にあきらかにして、総辞職して
もらいたいものです。

 自民党の支持者の方々には、野党に政権を渡したくないのであれば、今回
は、安倍総理に批判的な石橋氏にかわってもらった方がよいのではないでし
ょうか? 石橋氏もいろいろ問題がありますが、これまで安倍政権がやって
きたことを明らかにして再出発するためにも、安倍総理に近い人間でない人
に次の総理大臣になってもらったほうがよいと考えて頂きたいと思いますが
、如何でしょうか?

 総理が嘘をつけば官房長官も嘘をつかないといけなくなります。今のまま
の状態が続けば、「堂々と嘘をつきたかったら偉くなりなさい」というのが
処世訓になってしまいそうです。いや、もうなっている!?(松下彰良)
 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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