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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0645_2019/07/27 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1670〜n.1674 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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(1) 『私の哲学の発展』第5章「一元論にそむいて多元論へ」n.13


 私が関係の問題の重要性を初めて認識したのは、私がライプニッツを研究し
ていた時であった。ライプニッツに関する多くの書物が明らかにしえなかった
ことであるが、ライプニッツの形而上学は明らかに、全ての命題(注:「Aは
Bである」という真偽を判定できる陳述)は(命題は全て)一つの主語に一つ
の述語を帰属させるものであり、かつ(これはライプニッツにとってはほとん
ど同じことだと思われたようであるが)全ての事実は、ある特性をもつ実体
(a substance)から成る、という学説(理論)を基礎としていることを私は発
見した。私はまた、同じ学説(理論)が、スピノザやヘーゲルやブラッドリの
体系の基礎にも存在することを発見した。実際,彼らはその学説をライプニッ
ツによって示されたものよりももっと論理的に厳密に展開させたのである。

 しかし、私が(自分の)新しい哲学を喜んだのは、これらのかなり無味乾燥な
、論理説(論理上の学説)(doctrines"と複数形になっていることから、ラッ
セルの自分の学説ではなく、ヘーゲルやブラッドリなどの諸学説を指している
と推定される。)のためだけではなかった(注:"rather"を野田氏はよくある
ように「どちらかと言えば」と訳しているが、ここでは「かなり」と訳したほ
うがよいであろう。)。私は,実際,大いなる解放感をもったのであって、
(生暖かい)温室(a hot-house)を脱出して、風に吹きさらされている岬に
出たように感じた。私は空間及び時間は私の精神(心)の中にあるにすぎない
という考えのもつ息苦しさ(stufiness 閉塞状態)が大変嫌であった(hated 
憎んだ)。私は道徳律(moral law)よりも星空の方をいっそう好み(even 
better than)、私の一番好きな星空が主観の虚構物(figment 作り事)にす
ぎないというカントの見解には耐えられなかった。このように解放感にあふれ
ていたはじめの頃、私は素朴実在論者となり、ロック以降の全ての哲学者たち
の反対論にもかかわらず、草は本当に緑(色)である(自分の脳内の虚構では
ない)という考えを楽しんだ。私はそれ以来この心地よい信念を、その最初の
強さで保持し続けることはできなかったが、しかし再び主観という牢獄にわが
身を閉じこめることは決してなかった。

Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.13

I first realized the importance of the question of relations when 
I was working on Leibniz. I found -- what books on Leibniz failed to 
make clear -- that his mctaphysic was explicitly based upon the 
doctrine that every proposition attributes a predicate to a subject 
and (what seemed to him almost the same thing) that every fact 
consists of a substance having a property. I found that this same 
doctrine underlies the systems of Spinoza, Hegel and Bradley, who, 
in fact, all developed the doctrine with more logical rigour than is
 shown by Leibniz. 

But it was not only these rather dry, logical doctrines that made me
 rejoice in the new philosophy. I felt it, in fact, as a great 
liberation, as if I had escaped from a hot-house on to a wind-swept
 headland. I hated the stuffiness involved in supposing that space and
time were only in my mind. I liked the starry heavens even better than
 the moral law, and could not bear Kant’s view that the one I liked 
best was only a subjective figment. In the first exuberance of 
liberation, I became a naive realist and rejoiced in the thought that
 grass is really green, in spite of the adverse opinion of all 
philosophers from Locke onwards. I have not been able to retain this
 pleasing faith in its pristine vigour, but I have never again shut 
myself up in a subjective prison. 
 Source: My Philosophical Development, chap. 5:1959.
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_05-130.HTM

(2) 「教育は有害か?」(『アメリカン・エッセイ』から)

   https://russell-j.com/EDU-HARM.HTM

 富について言えることは教育についても言える。功なり名を遂げた人の多く
は,正式の教育を受けなかったことがかえって良かったと信じているが,それは
(彼らに関する限りは)多分間違っていないだろう。だが彼らはみな,自分の息
子には第一級の教育を受けさせた。たとえばカーネギーは,この疑わしい恩恵
(教育)を,スコットランドの恵まれない膨大な若者たちに与えることに全力
をつくした。これらの結果から考えると,われわれが教育について思索する時
にどのように考えようとも,実際的な人間として我々は皆教育の価値を疑問の
余地のないものと考えているように思われる。

What applies to wealth applies also to education. Many men who have 
achieved eminence believe, probably rightly, that they have profited 
by the lack of formal education; yet not one of them would abstain 
from giving a first-class education to his son. Carnegie, for example,
did his utmost to inflict this doubtful blessing upon vast numbers of
poor young men in Scotland. It would seem, therefore, that whatever we
 may think about education in our speculative moments, we all of us, 
as practical men, regard its value as unquestionable.


 この点について我々の判断が正しいかどうかは疑問である。教育が本来ある
べき姿をとっているならば我々の判断が正しいことは間違いないが,しかしし
ばしば教育者は,生徒の独創的精神を養うよりも(生徒として)正しいことが
重要であり,そして正しいこととは先生の言うことに従うことであると教え,彼
らの自発性(進取の精神)を殺してしまう。そのうえ学校では,物事を発見す
るための方法は本を調べることであり,実際の世界で物事を観察することでは
ない,と教える。私は子供の頃,有名な博物学者のビュフォン(G. L. Buffon, 
1707-1788 フランスの博物学者)のリスに関する記述を読まされたことを想い
出す。彼は,リスはほとんど地上に下りないと主張していた。私はリスのこと
は実際に観察を通してよく知っていたので,偉大な博物学者もこの点ではたわ
言を言っていると気づいていた。けれども,私の先生はリスについてまったく
知らなかったので,従ってビュフォンの空想に反論するのは賢明でないと,私は
思った。学校の先生は,本は便利であり,教室に持ち込めるので,ほとんど例外
なく本に書いてあることを信じやすい。たとえば河馬の習性については,学校
の教室での生活だけでは十分学習できない。ガリレオは,ピサの斜塔からよく
重り(物体)を落し,その落下の状態を観察した。ガリレオの同僚は,この実験
はガリレオの研究時間の浪費にすぎないと考えた。なぜなら,物体がどのよう
に落下するかは観察によるものではなく机に向ってアリストテレスの著書をひ
もとくことで知るべきであると,彼らは思っていたからである。

I wonder whether we are right in this. I have no doubt that we should
 be right if education were what it ought to be, but only too often 
the educator kills initiative in his pupils by teaching them that it 
is more important to be right than to be of us have the courage in, 
original and that to be right is to agree with the teacher. Education,
 moreover, teaches people that the way to find out things is to look
 them up in books, not to observe them in the actual world. I can 
remember when I was a child being made to read an account of the 
squirrel by the famous naturalist Buffon in which he asserted that the
squirrel hardly ever descends to the ground. I knew a great deal about
 squirrels through observation and was aware that on this point the 
great man was talking nonsense. My teacher, however, knew nothing 
about squirrels, and I therefore found it imprudent to pit my 
knowledge against Buffon's romance. The teacher almost invariably 
tends to believe what is in books because they are convenient and can
 be brought into the schoolroom. The habits of the hippopotamus, for
 example, cannot well be studied from the life by a class in school. 
Galileo used to drop weights from the Leaning Tower of Pisa to see how
 they fell; this was considered by his colleagues to be a waste of his
 students' time since they ought to have been sitting at their desks
 finding out how bodies fall from the pages of Aristotle and not from
 observation.


 今日の大学生は物体がどのように落下するかについては知ることを許される
が,人間の立身出世の(具体的)方法を 知ることは許されていない。私は,ア
メリカの実業家(産業界のリーダ)を日曜学校の作法の模範的人物に変えてい
るのを,アメリカの有名な大学出版局の刊行物で読んだことがある。それは,明
らかにアメリカの若者に,教授連中の言う通りにすれば,だれもが資産家になれ
るという信念を教え込む目的のものであった。どこの国でも今日では,若者に
知識を与える代りに道徳的啓発を行い,嘘によってのみ若者を有徳な人間にで
きるという間違った観念にもとづく誤った信念を注入することが,教育の果た
すべき役割と考えられている。これらは全て,ミルトンが「世を捨てた隠遁者
の美徳」と非難したあの誤った美徳の観念から発していると私には思われる。
真の美徳は,たくましく,真実から目をそらさぬものであって,きれい事だらけ
の空想ではない。我々は教職に就く者にさまざまな制限を設けてきたので,今
日教職を仕事として選ぶ男女は,たいてい現実との接触を恐れる人々である。
そうして,我々がこのような政策をとるのは,自分たち大人には現実との接触が
有益だったことが分っているのに,子供が現実と接触することが良いと思う勇
気ある人がごく少ないからである。これが,我々が

University students are allowed nowadays to know how bodies fall, but
 they are not allowed to know how men rise. I have read publications 
by the university presses of famous American universities which turn
 American captains of industry into models of Sunday School propriety,
 apparently in order to instil into the youth of America the belief 
that if they do as they are told by their professors they may all 
become plutocrats. It is considered the business of education in all
 countries to substitute edification for the giving of knowledge and 
to instil false beliefs with the mistaken notion that only by lies can
 the young be led to become virtuous. All this springs, to my mind, 
from a false conception of virtue, the 'fugitive and cloistered 
virtue' which Milton denounced. Real virtue is robust and in contact
 with facts, not with pretty-pretty fancies. We have chosen to hedge
 round the profession of teaching with such restrictions that, in the
 main, those who choose this profession are men and women who are 
afraid of reality, and we have done this because, while many of us 
recognise that contact with reality has been good for us, few of us 
have the courage to believe that it is good for our children. This is
 the fundamental reason why education, as it exists, is so 
unsatisfactory.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1626〜1630 を発行しました
  以下,1つだけ再録します
      n.1628/3650(2019年7月24日 水曜日)
    R英語_類義語シリーズ g02 
 
★ get / obtain / acquire

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-g02.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.172-174)

【"get":3つの中では一番日常的で口語調であり、米語のイディオムに用いら
れることが最も多い動詞。】
【"obtain":"get"は苦痛なしに手に入れることで、"obtain"は努力をしたあ
げくに手に入れること。】
【"acquire":時間をかけて入手することだが、入手する努力よりも取得した
そのものに興味の焦点があり、価値あるものへの評価の念が潜んでいる。】

(1-1) He get a severe headache.
[彼はひどい頭痛を感じた。]

(1-2) They'll get me sooner or later, I'm sure of it.
[いつか俺は必ず彼らに殺られる。(犯罪映画などでよく言われるセリフ)]

(1-3) A woman has to go through the pains of childbirth first to have 
a child whereas a man just gets one.
[女は子供を得るには産みの苦しみを経なければならないが,男はただ努力なし
に子供を取得する。]

(2-1) It is not easy to obtain information about it.
[そのことについて情報を得るのは容易ではなかった。]

(2-2) It can be obtained to order on a short notice.
[それはちょっと前に注文すれば手に入ります。]

(3-1) Where did you acquire your Picasso?
[ピカソのその作品、どこで手に入れたの?]

(3-2) I acquired a speaking knowledge of French while I was in Paris 
for a few years.
[フランス語のしゃべり言葉は、2,3年パリにいた間に覚えました。]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
There is a motive which is stronger than self-preservation: it is the 
desire to get the better of the other fellow.
[自己保存の本能よりもっと強い動機がある。それは他の人間よりも優越したい
という欲望である。]
 出典:ラッセル『自伝』第3巻第4章「バートランド・ラッセル平和財団」
     https://russell-j.com/beginner/AB34-010.HTM

<用例1-2>
The pleasure of work is open to anyone who can develop some 
specialised skill, provided that he can get satisfaction from the 
exercise of his skill without demanding universal applause.
[仕事の喜びは,何らかの特技(専門的技術)を伸ばせる人であれば誰にでも可
能である。ただし,大衆の拍手喝采を求めることなく,自分の技術の行使で満足
を得ることができればの話であるが。]
 出典:ラッセル『幸福論』第10章「幸福は今でも可能か?」
     https://russell-j.com/beginner/HA21-040.HTM

<用例2-1>
For my part, the thing that I would wish to obtain from money would be
 leisure with security.
[私はと言えば,私が金から得たいと思うものは安心して楽しめる余暇である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第3章「競争」
     https://russell-j.com/beginner/HA13-030.HTM

<用例2-2>
The professors, each in turn, fired off a witty remark, but from none 
of them could I obtain any information.
[教授たちは次々とウィットに富んだユーモアを連発したが,誰からもいかなる
(実質的な)知識も得ることができなかった。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「ユーモアのセンス」
     https://russell-j.com/HUMOUR.HTM

<用例3-1>
Power of concentration is a very valuable quality, which few people 
acquire except through education.
[集中力は,非常に貴重な資質であり,教育によるほかはほとんどの人はこれ
を身につけることができない。]
 出典:ラッセル『教育論』第三部_知性の教育>第14章「一般的原理」
     https://russell-j.com/beginner/OE14-060.HTM

<用例3-2>
Security depending upon exceptional privilege is unjust, and the man 
who has to find excuses for an injustice by which he profits is bound
 to acquire a distorted moral sense.
[例外的特権に依存する安心・安全は'不正'であり、それゆえ、自分に都合の
よい社会的不正のための口実を見いだそうとする人間は、必ず、'ゆがんだ道
義的感覚'を身につけることになる。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「経済的安定について」
     https://russell-j.com/ESECRITY.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
I got a letter today.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例1-2>
He gets $200 a week.
[彼は週に200ドルもらう。]
 出典:『VITAL3000 英単語・熟語』,p.177

<参考例2-1>
Some computer hackers try to obtain secret business information.
[コンピューター・ハッカーの中には極秘のビジネス情報を入手しようとする
者もいる。]
 出典:『英単語ターゲット1900』, p.21

<参考例2-2>
In order to obtain fame, he had gone through hard times.
[名声を手に入れるために、彼は辛い時間を経験した。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』,p.89

<参考例3-1>
Most of us acquire a second language only with conscious effort.
[私たちのほとんどは、意識的な努力によってのみ、第二言語を取得する。]
 出典:『英単語ターゲット1900』, p.20

<参考例3-2>
Children acquire language at an amazing speed.
[子供は驚くべき速さで言語を習得する。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』,p.89
 

★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1366〜1369

1)n.1366:R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.27
         https://russell-j.com/wp/?p=4749

2)n.1367: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.28
      https://russell-j.com/wp/?p=4752

 産業主義の揺藍期においては,支払われる賃金を調整する慣習はまったくな
く,また,被雇用者も組織化されていなかった。その結果,雇傭者と被雇用者
との関係は,国家の許す制限内(許容範囲)において,むきだしの権力の関係
であった。それにまた初めのうちは,この許容範囲はとても広いものであった
(つまり,雇用者の裁量範囲が大きかった)。正統派の経済学者たちは,未熟
練労働(者)の貸金は,常に生存レベル(ぎりぎりの生活推持に必要な最低水準)
に下落する傾向があるはずだ(注:must に違いない)と教えていた。だが,
そうなるかどうかは,貸金労働者の政治的権力及び(労働者)団結の利益から
の排除に依存しているということを,彼らは理解していなかった。マルクスは
,この問題は(結局は)権力の問題であると見た(理解した)。しかし,私の
考えでは,マルクスは政治的権力を経済的権力と比べて過小評価している。労
働組合は,賃金労働者の交渉力をとても増加させたが,賃金労働者が政治的権
力をまったく持っていなければ,彼らは抑圧可能となる(注:みすず書房版の
東宮訳では bargaining power を「購買力」となっているが,ここでは賃金を
決める場面での「交渉力」のこと)。1868年以降,英国の都市労働者が選挙権
を持つという事実がなかったならば,(過去の)一連の法的判断は,英国の労
働組合を損ねてきたことであろう。(注:1867年の選挙法改正によって,都市
労働者まで選挙権が拡大された。因みに,ラッセルの祖父ジョン・ラッセルは
,英国首相を2期務めたが,英国の選挙法改正に尽力した。)ひとたび労働組
合組織が与えられるや,貸金はもはやむきだしの権力によって決定されるもの
ではなくなり,日用品の売買のように,(団体)交渉によって決定されるもの
となった。

Chapter VI: Naked Power, n.28

In the infancy of industrialism, there were no customs to regulate the
 wages that should be paid, and the employees were not yet organized. 
Consequently the relation of employer and employed was one of naked 
power, within the limits allowed by the State; and at first these 
limits were very wide. The orthodox economists had taught that the 
wages of unskilled labour must always tend to fall to subsistence 
level, but they had not realized that this depended upon the exclusion
 of wage-earners from political power and from the benefits of 
combination. Marx saw that the question was one of power, but I think
 he underestimated political as compared with economic power. Trade 
unions, which immeasurably increase the bargaining power of 
wage-earners, can be suppressed if wage-earners have no share in 
political power ; a series of legal decisions would have crippled them
 in England but for the fact that, from 1868 onward, urban working men
 had votes. Given trade union organization, wages are no longer 
determined by naked power, but by bargaining, as in the purchase and
 sale of commodities.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_280.HTM
 
3)n.1368: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.29
          https://russell-j.com/wp/?p=4755

4)n.1369: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.30
       https://russell-j.com/wp/?p=4758
 

★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0993j-0999j を投稿
 英 語 version : n.0993e-0999e を投稿

  一つだけ再録します n.0995j (July 23, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0995.html

 「(愚か者や狂信者の)確信過剰(cocksureness)」

 三浦俊彦『バートランド・ラッセル−反核の論理学者』が売れることを願っ
て、本日から、本書で引用あるいは言及されているラッセルの言葉を、最初の
ページから順番にとりあげていきます。】

『バートランド・ラッセル−反核の論理学者』p.4「まえがき」からです。

「困るのは、愚か者や狂信者はいつも自信満々だが、賢い人たちは疑念だらけ
で自信がないということだ。」

The fundamental cause of the trouble is that in the modern world the 
stupid are cocksure while the intelligent are full of doubt.
 情報源: Bertrand Russell: The Triumph of Stupidity( (10 May 1933)
 詳細情報:https://russell-j.com/0583TS.HTM

 <寸言>
 意訳されていますが、字句通りに訳すと、「揉め事(トラブル)の根本原因は
,現代世界においては知的な(聡明な)人々が懐疑心でいっぱいである一方,
愚かな人々が'確信過剰'である(cocksure)ということである。」といったとこ
ろです。
 これは、ラッセルが嫌う「確信過剰」(cocksureness)です。政治家だけでは
ないですが,政治家は権力があるために,後の世の人々に,大きな被害を及ぼす
可能性があります。  

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(2) ラッセルに関する記述や発言等 
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 今回もお休み

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 編集後記 来年(2020年2月2日)のラッセル没後50年に向けて?
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 Bertrand Russell (1872.5.18 - 1970.2.2) は来年の2月2日が没後50年で
す。著名人が亡くなった後は、「生誕◯◯年」とか、「没後△△年」と銘打
って記念事業が行われることが多いですが、どちらかというと(死後も我々
の心の中に残っている、という意味合いで)「生誕◯◯年」という取り上げ
方が多いような気がします。

 日本でも大正時代(ラッセルは1921年7月に来日)と1960年代の2回、「ラッ
セルブーム」が起こっています。そうして、1960年代〜1970年代においては、
大学の英語の入試問題においてはモームと同様に、ラッセルの英語が最も多
く出題されています。

 そういった時代と比べると、現代においては、一部の本(幸福論など)は
例外ですが、日本では、ラッセルはそれほど読まれていません。日本ではフ
ランスやドイツの思想書のほうが多く読まれており、論理的な書き方や内容
よりも、情緒的な書き方や内容の本が好まれるようです。

 しかし、世界もそうだろうと思ったら、まさしく「井の中の蛙」です。英
米では今でもラッセルは幅広く読まれており、大学の哲学科のテキストの約
70%は分析哲学に関するものだと言われています。(またラッセルの本やラッ
セル関係の本も生前と同じくらい出されています。)

 そういった風潮を変えるためにも、来年の「ラッセル没後50年」は日本で
の「ラッセル復活」のよい機会になりうると考えています。その意味でも、
三浦俊彦氏の『バートランド・ラッセル−反核の論理学者』はよい刺激にな
ると思っています、いろいろなところでとりあげられ、売れることを期待し
ています。

 すでに書店で売られていますが、初刷は部数が多くないので、紀伊国屋書店
では今のところ、紀伊國屋書店の会員のみが予約可能としています。ちなみに、
池袋のジュンク堂には置かれており、ジュンク堂全体では17冊の在庫(昨日
現在)あるそうです。是非一読されることをお勧めします。  (松下彰良)
 アマゾンの販売ページは以下のとおりです。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/490978313X
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 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
■ご意見・ご感想・お問合せはお気軽に : matusitaster@gmail.com

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