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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0642_2019/07/06 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) ラッセルの著書や発言等から
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■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1656〜n.1660 を発行しました。

 ・月曜日〜木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
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 (1) 『私の哲学の発展』第5章 「一元論にそむいて多元論へ」 n,4
         n.1656 (2019年7月1日 月曜日)[
   
       https://russell-.com/beginner/BR_MPD_05-040.HTM

  ★以下は一元論の考え方の紹介ですが、なじみのない方は読み飛ばして
   いただいてけっこうです。

(続き)内面的関係の公理(内面的関係説)は、(この/前述の)どちらの形
態においても、ブラッドリ氏が正しく(も)主張したように 〔参照:『現象
と実在』第二版、p.519の「実在は一(の全体)である。実在は単一でなければ
ならない。なぜなら複数性(複数存在すること)は、それを実在的である(注:
現実に存在する)と考えると(taken as real)、自己矛盾に陥るからである。
複数性は、必然的に関係を含み(伴い)、その関係によって、自らの意に反し
て(unwillingly)、より高い統一を常に主張する。」〕、関係というものは
(まったく)存在せずまた、複数のもの(多様なもの)は存在せず、ただ一つ
のもののみが存在する、という帰結を伴う。(観念論者たちは、「究極におい
て(そう帰結する)」と(いう言葉を)常につけ加える。しかしそれ(究極に
おいてという言い方)は、その帰結を忘れることがしばしば好都合であると言
っているだけである。)この帰結は、多様性(diversity 異他性)という関係
を考えてみることによって達せられる。なぜなら、もし本当に二つの異なるも
の(別物)としてAとBとが存在するならば、この多様性(異他性)を、Aと
Bとの(共通の一つの)形容詞的規定/表現に還元することはまったく不可能
だからである(注: it is impossible wholly to reduce this diversity to
 adjectives:みすず書房の野田訳では「全てを還元することは不可能」と訳
されているが、impossible wholly to reduce となっていることから誤訳)。
この場合、AとBとがお互いに異なる形容詞的規定/表現を持つことが必要で
あるであろうが、これらの形容詞的規定/表現そのものの多様性/異他性は、 
−−無限後退の刑に処せられて(訳注:on pain of 〜の刑に処すとい条件で
/an endless regress 無限後退)−− 再びそれら形容詞的規定がまた,異な
る形容詞的規定/表現をもつことを意味する、と解釈することはできない。即
ち、AとBとが異なるのは、Aが「Bと異なる」という形容詞をもち、Bは
「Aと異なる」という形容詞を持つ場合である、というならば、我々は、もち
ろんこの二つの形容詞的表現/規定そのものが相異なると想定しているのでな
ければならない。そうなると「Aと異なる」は「『Bと異なる』とは異なる」
という形容詞的規定/表現をもたなければならず、また「Bと異なる」は、
「『Aと異なる』とは異なる」のでなければならずこのようにして無限に進む
ことになる。しかしだからといって我々は、「Bと異なる」をもはやそれ以上
の還元を必要としない形容詞的規定/表現とみなすこともできないのである。
なぜならば、「Bと異なる」という句において「異なる」とは何を意味するか
を問わなければならず、しかもこの句は、そのままでは、関係から生まれた形
容詞であって、形容詞から生まれた関係ではないからである。こうして,何ら
かの異他性/多様性があるべきならば、必然的に、形容詞的規定/表現の相違に
還元できない異他性/多様性、すなわち相違している二つの項の「本性」に根
拠づけられていないところの異他性/多様性がなければならないからである。
従って、もし内面的関係の公理(内面的関係説)が真であるならば、異他性/
多様性は存在しないということになり、有るのはただ一つのものだけである,
ということになる。こうして内面的関係の公理(内面的関係説)は、存在論的
一元論の仮定、および関係の存在の否定、に等しいのである。関係があるよう
に見える場合,常に,それは,実はその関係の項より成る全体のもつ一つの形容
詞的規定/表現にほかならないのである。(注:こうして,この後にラッセルは
関係は外面的関係でなければならないと主張することになる。)

Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.4

The axiom of internal relations in either form involves, as Mr Bradley
 has justly urged ["cf. Appearance and Reality, 2nd ed., p. 519: 
'Reality is one. It must be single because plurality, taken as real,
 contradicts itself. Plurality implies relations, and, through its 
relations it unwillingly asserts always a superior unity"], the 
conclusion that there are no relations and that there are not many 
things, but only one thing. (Idealists would add: in the end. But that
 only means that the consequence is one which it is often convenient 
to forget.) This conclusion is reached by considering the relation of
 diversity. For if there really are two things, A and B, which are 
diverse, it is impossible wholly to reduce this diversity to 
adjectives of A and B. It will be necessary that A and B should have
 different adjectives, and the diversity of these adjectives cannot, 
on pain of an endless regress, be interpreted as meaning that they in
turn have different adjectives. For if we say that A and B differ when
 A has the adjective 'different from B' and B has the adjective 
‘different from A', we must suppose that these two adjectives differ.
 Then 'different from A' must have the adjective 'different from 
"different from B",' which must differ from 'different from "different
 from A",' and so on ad infinitum. We cannot take 'different from B'
as an adjective requiring no further reduction, since we must ask what
 is meant by 'different' in this phrase, which, as it stands, derives 
an adjective from a relation, not a relation from an adjective. Thus,
 if there is to be any diversity, there must be a diversity not 
reducible to difference of adjectives, i.e. not grounded in the 
'natures' of the diverse terms. Consequently, if the axiom of internal
 relations is true, it follows that there is no diversity, and that 
there is only one thing. Thus the axiom of internal relations is 
equivalent to the assumption of ontological monism and to the denial
 that there are any relations. Wherever we seem to have a relation, 
this is really an adjective of the whole composed of the terms of the
 supposed relation.
 Source: My Philosophical Development, chap. 5:1959.
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_05-040.HTM


 (2) n.1655 (2019年6月28日 金曜日)

   ラッセル「家柄崇拝について」n.1660 (2019年7月5日 金曜日)
   https://russell-j.com/SNOB.HTM

 家柄崇拝は、それが誤った価値基準や社会的不平等の容認に結びつく時、重
大な悪となる。父親の七光りで特別扱いされる人間は、有益な努力をしようと
する正常な動機を失なってしまう。そのような人間は名家に偶然生れたという
事実に不当な重要性を与える人生観を身につけがちであり、また、自分が存在
するだけで周囲の尊敬を受ける資格があると考えがちである。自分は他の人間
よりもかなり優れていると信じるがゆえに、逆に彼らよりずっと劣ることにな
る。本人に固有な長所にもとづかない差別待遇は全て、人間性に悪影響を与え
るために、他に理由がなくてこの理由一つだけしかないとしても、廃止すべき
ものである。

Snobbery becomes a serious evil when it leads to false standards of 
value and to tolerance of social inequality. The man who is respected
 merely for being the son of his father loses one of the normal 
incentives to useful effort. He is likely to develop views of life 
which attach undue importance to the accident of birth and to think
 that by merely existing he does enough to command respect. 
He believes himself rather better than other men and therefore becomes
 rather worse. All distinctions not based upon intrinsic merit have 
this bad effect upon character and on this ground, if on no other, 
deserve to be abolished. 

 しかし、自分は称号を持たず称号を称賛する人たちへの影響は、該当する階
層の人々が多いゆえに、一層悪いものとなる。(称号の保有者の)努力によって
得られる種類の価値(功績)に対する称賛は、最善をつくすように人々に刺戟
を与えるために、有益である。しかし、父親がいかにすぐれた人物であったと
しても、その子供であることにより称賛されるべきものは何もない。アメリカ
においてさえ、社会的に名門の出であれば、たとえ馬鹿であろうとほら吹きで
あろうと、多くの人がそれらの人物の言うことを良く聴くのに対し、社会的教
養を持たない貧しい人間が世の知られるためには並はずれた知性の持主でなけ
ればならない。これらはすべて馬鹿げており、おろかな考えを出回らせる手助
けとなる(だけである)。

But the effect upon the man or woman who admires titles without 
possessing them is worse because the class concerned is a larger one.
 Admiration of the kind of merit which is acquired by the exertions of
 its possessor is useful since it encourages men to do their best. 
But there is nothing admirable in being the son of one's father, 
whoever he may have been. Even in America, many people will listen 
with respect to the opinions of a fool or a charlatan if he happens
 to be socially distinguished, while a poor man without social culture
 has to be immensely intelligent in order to make himself felt. 
All this is foolish and helps to give currency to foolish ideas.

 家柄崇拝の最大の舞台は君主制であり、英国民の想像が及ばないくらい、弊
害を生み出している。国王の意見を一平民の意見とまったく同様な態度で取り
扱える人はほとんどいないだろうし、その上、王室の教育と生活環境はほとん
ど人間の知性を促進するようなものではない。イギリス国王は、(実際的な)
政治的権力は持っていないが、総理大臣に政策の説明を求め、個人的な意見を
総理大臣に対し述べる権利を持っている。平民出の政治家は見たこともない
(宮廷の)華麗さに圧倒され、ほとんど無意識的に国王の判断に敬意を表して
しまうが、これは民衆に利益をもたらすものではない。

The greatest field for snobbery is the Monarchy, which succeeds in 
doing more harm than most English people suppose. Few people can bring
 themselves to treat the opinions of a monarch with no more respect 
than they would show to those of a common mortal, and yet the 
education and surroundings of royalty are hardly such as to promote
 intelligence. In England, while the King has no power to dictate
 policy, he has the right to have it explained to him by the Prime
 Minister and to express his opinion of it privately to the Prime
 Minister. A democratic politician is very likely to be overawed by
 the unaccustomed pomp and to be led, almost unconsciously, into a 
deference for royal judgements, which is not likely to be advantageous
 to the public. 

 このような問題(弊害)は、ある人間を当人の優れた個人的能力とは無関係
な理由で尊敬を払う社会的慣行から生じる。この社会的慣行はなげかわしいも
のであり、アメリカでは公的にはその慣行がないのは幸いである。社会的には
それはアメリカでも他の国同様に存在するが、幸いにも。社会の名門出身の人
はアメリカでは必ずしも公的な世界への強い影響力を持っていると限らない。
もしも彼らがその影響力をふるうならば、アメリカでも間もなく英国と同様の
家柄崇拝が横行するであろう。


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1612〜1616 を発行しました

  以下,1つだけ再録します n.1613/3650(2019年7月2日 火曜日)
  R英語_類義語シリーズ e07
 
★ era / period / epoch / age

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-e09.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.139-140)から

【"era":"歴史上のある特定の時代を表すやや格式ばった言葉】
【"period":長短の期間を表す言葉。他の3つは全て「歴史的」時代を表す用
語】
【"epoch":4つのなかでは"epoch"が最も短い期間を表し、常に何らかの 
event によって決定される歴史上の一時期(時代の幕開け)や画期的な出来事
を示す。】
【"age":時代を表す最も一般的な言葉。】

(1) We are talking about 200 years before the Christian era.
[西暦になる200年前の話だ。]

(2) It was the period of a surge of feminism between the two world 
wars.
[それは2つの世界大戦の中間にあって、女権拡張運動が抬頭した時代だっ
た。]

(3-1) That was an epoch-making event in my life.
[それは,私の一生の中に一時期を画する大きな出来事だった。]

(3-2) Cubism, Abstractionism, and Pop Art have all been epochs in
 post-realistic era.
[キューズム、抽象主義(抽象芸術)もポップ・アートなども、みなそれぞれ
ポスト・リアリズム時代の中の一時期だったのだ。]

(4-1) Those are the relics of the Stone Age.
[それらは石器時代の遺物だ。]

(4-2) Ours is the age of anxiety.
[現代は不安定時代だ。(松下注:「不安の時代」と訳すべきではないか?]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
During the first millennium of the Christian era a man who abandoned 
his family for a saintly life was praised, though nowadays it would be
 held that he ought to make some provision for them. era .
[西暦最初の一千年(ミレンニアム)の間、聖なる生活のために家族を見捨て
た人は、称賛された。けれども,今日では、彼は家族のために多少の備えをす
べきである、と考えられるだろう。]
 出典:ラッセル『幸福論』第11章「熱意」
     https://russell-j.com/beginner/HA22-060.HTM

<用例1-2>
The Reign of Law, as conceived in the time of Queen Anne, is 
associated with political stability and the belief that the era of 
revolutions is past. 
[アン女王の時代に考えられた(抱かれた)法の支配(の概念)は,政治的安定
及び革命の時代は去ったという確信と結びついている。]
 出典:ラッセル『宗教と科学』第3章「進化」
     https://russell-j.com/beginner/RS1935_03-060.HTM

<用例2-1>
Idealism is the offspring of suffering and hope, and therefore reaches
 its maximum when a perod of misfortune is nearing its visible 
termination.
[理想主義理想を思い描き求めること)は,苦悩と希望から生まれる。それゆ
え,不幸な時期に,その終りが目の前に近づいている時,この傾向は一番強く
なる。]
 出典:ラッセル『自由と組織』第1章「ナポレオンの後継者たち」
     https://russell-j.com/cool/31T-0101.HTM

<用例2-2>
The period from 1910 to 1914 was a time of transition. My life before
 1910 and my life after 1914 were as sharply separated as Faust's life
 before and after he met Mephistopheles.
[1910年から1914年までの期間は,(私にとって)過渡期であった。私の人生は
,1910年以前と1914年以後とでは,メフィストフェレスに会う前と後のファゥス
トの生涯(人生)と同様,はっきり区別されるものであった(異なっていた)。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第1章「第一次世界大戦」
     https://russell-j.com/beginner/AB21-010.HTM

<用例3-1>
Boredom as a factor in human behaviour has received, in my opinion, 
far less attention than it deserves. It has been, I believe, one of 
the great motive powers throughout the historical epoch, and is so at
 the present day more than ever.
[私の考えるところでは、倦怠(退屈)は人間行動の因子として不当に閑却さ
れている。それは有史以来大きな動力の一つであり、現在に於ては前にも増し
てそうであると私は信ずる。倦怠は特に人間の情緒であるように思われる。]
 出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
     https://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM

<用例3-2>
Living, as he did, in the epoh of the French Revolution, he was a 
complete freethinker, and rejected the Creation altogether.
[彼は,フランス市民革命という画期的な時代(転換期)に生きており,全く
の自由思想家であり,神による世界の創造(説)を完全に拒否した。]
 出典:ラッセル『宗教と科学』第3章「進化」
     https://russell-j.com/beginner/RS1935_03-080.HTM

<用例4-1>
Indeed, contrary to what most philanthropists maintain, I should say 
that the machine age has enormously diminished the sum of boredom in 
the world.
[実際,それどころか,大半の慈善家の主張とは反対に,機械時代は世界じゅう
の退屈さの総量をいちじるしく減少させた,と言うべきではないだろうか。]
 出典:ラッセル『自伝』第4章「退屈と興奮」
     https://russell-j.com/beginner/HA14-020.HTM

<用例4-2>
Throughout the Middle Ages, Christians and Muslims were entirely 
persuaded on each other's wickedness and never doubted their own 
superiority. .
[中世を通じて,キリスト教徒と回教徒とは互いに相手の邪悪さを完全に教え込
まれ,自分たちの優越性の真偽に決して疑念を抱きませんでした。]
 出典:ラッセル「もっと豊かな,もっと智慧にめぐまれた知力を」
     https://russell-j.com/cool/WISER-I.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
The custom of tipping dates back to the Roman era.
[チップの習慣はローマ時代にまでさかのぼる。]
 出典:『英単語ターゲッ1900ト』,p.141

<参考例1-2>
The Christian era is counted from the birth of Christ.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例2-1>
The use of wrapping cloths began in the Nara period.
[風呂敷の使用は奈良時代に始まった。]
 出典:『英単語ターゲット1900』,p.143

<参考例2-2>
There were long periods when we had no news of him.
 出典::Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例3-1>
There have always been fashionable faces and expressions which marked
 an epoch.
[ある時代の特徴となる流行の顔と表情というものが,常に存在してきた。]
 出典:『英単語ターゲット1900』,p.141

<参考例3-2>
The first flight into space marked a new epoch in the history of 
mankind.
 出典:Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

<参考例4>
New Stone Age
[新石器時代]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』,p.98


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1356〜13

1)n.1356:R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.17
         https://russell-j.com/wp/?p=4717

2)n.1357: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.18
      https://russell-j.com/wp/?p=4720

 ルネッサンス時代のイタリアは,古代ギリシアと非常に似たところがある。
しかし,ルネッサン期イタリアにおける混乱(状態)は,古代ギリシア時代よ
りも,より大きくさえある。ルネッサン期イタリアには,ギリシアに倣った
(模倣した)寡頭政治の商業的共和国があり,専制政体があり,封建主義的起
源をもつ公国があり,さらに教会国家(the States of the Church)があった。
教皇はイタリア以外の地では尊敬を集めていたが,教皇の息子たちはそうはい
かなかった。そうして,チェザーレ・ボルジア(注:1492年に父ロドリーゴは
アレクサンデル6世として教皇の座を獲得)はむきだしの権力に頼らなければ
ならなかった。

 チェザーレ・ボルジアとその父アレクサンダー六世は重要人物であるが,そ
れは,彼らが自身が重要であったからだけでなく,マキャヴェリに感銘を与え
た人物としても同様に重要であった。彼らの生涯のなかのある一つの出来事を
,クレイトンのコメント(批評)とともに紹介することは,彼らの生きた時代
を例証するのに役立つであろう。コロンナ家(Colonna:中世ローマで力を持
ったイタリアの有力貴族)とオルシーニ家とは何世紀かに渡って教皇たちの破
滅のもと(災いのもと)であった。コロンナ家は既に衰退していたが,オルシ
ーニ家はまだ命脈を保っていた。教皇アレクサンダー六世は彼らと協定を結び
,彼らの長である枢機卿のオルシーニをヴァチカンに招いた。それは息子のチ
ェザーレが,オルシーニ家の重要な二人の人物を裏切りによって既に捕えてい
たことを耳にしていた時のことであった。枢機官のオルシーニは,教皇の面前
に出るやいなや逮捕された。オルシーニ枢機卿の母親は,オルシーニに食物を
差し入れる権利を得るために,二千ダカット金貨を教皇に支払い,彼の令夫人
(妻)は教皇に教皇がかねてから欲しくてたまらなかった高価な真珠を教皇
(His Holiness)に贈った。にもかかわらず,枢機官オルシーは獄中で亡くな
った。彼の死はアレクサンダー六世の命令による毒入りの葡萄酒のせいだと言
われている。この出来事に関するクレイトンの以下のコメント(批評)は,む
きだしの権力をもつ政体の性格をよく示している。(原注:『教皇権の歴史』
(History of the Papacy)第5巻,四二頁)

「このような裏切り行為に対して,まったく抗議がなされなかったばかりでな
く,まったく完璧に成功したことは,驚くべきことである。しかし,イタリア
の偽りの政治においては,あらゆることがゲーム(競技)の競技者の技能にか
かっていたのだ。傭兵隊(注:condottieri 中世後半からルネッサンス期に存
在したイタリア人傭兵)は,自分たちが主人であり(自分たちのみを代表してお
り),どんなに不実であっても,何らかの手段で排除される場合には,何一つ
後には残らなかった。オルシーニ家やヴィテロツォ家の没落に憤慨した,いか
なる政党も,いかなる利害関係者たちもなかった(no party, no interest)。
傭兵隊の軍隊は,隊長に従っている限りにおいて恐るぺきものであった。隊長
が解任させられると,兵士たちは四散し,他の雇用契約に入っていた。・・・
大部分の者たちはチェザーレの,ことに臨んでの完璧な冷静さを賞賛した。・
・・当時通用していた道徳感に対しては抗議はまったくなされなかった。・・
・イタリアの大部分の者はチェザーレがマキャヴェリについて語った言葉を申
し分のないものとして受け入れていた。それは次のような言葉である。『裏切
りの名人として本領を発揮してきた者たちを騙すことは心地よい。』 チェザ
ーレの行為は,(全て)その行為の成否によって判断されたのである。」

Chapter VI: Naked Power, n.18

Renaissance Italy presents a very close parallel to ancient Greece, 
but the confusion is even greater. There were oligarchical commercial 
republics, tyrannies, after the Greek model, principalities of feudal 
origin, and, in addition, the States of the Church. The Pope, except 
in Italy, commanded reverence, but his sons did not, and Cesare Borgia
 had to rely upon naked power.

Cesare Borgia and his father Alexander VI are important, not only on 
their own account, but as having inspired Machiavelli. One incident in
 their career, with Creighton's comments, will serve to illustrate 
their age. The Colonna and Orsini had been the bane of the Popes for 
centuries ; the Colonna had already fallen, but the Orsini remained.
 Alexander VI made a treaty with them, and invited their chief, 
Cardinal Orsini, to the Vatican, on hearing that Cesare had captured 
two important Orsini by treachery. Cardinal Orsini was arrested as 
soon as he came into the Pope's presence; his mother paid the Pope two
 thousand ducats for the privilege of sending him food, and his 
mistress presented His Holiness with a costly pearl which he had 
coveted. Nevertheless Cardinal Orsini died in prison -- of poisoned
 wine given by the orders of Alexander VI, it was said. Creighton's
 comments on this occurrence (note : History of the Papacy, Vol. V, 
p. 42) illustrate the character of a regime of naked power :

"It is amazing that this treacherous deed should have awakened no 
remonstrances, and should have been so completely successful ; but in
 the artificial politics of Italy everything depended on the skill of
 the players of the game. The condottieri represented only themselves,
 and when they were removed by any means, however treacherous, nothing
 remained. There was no party, no interest, which was outraged by the
 fall of the Orsini and Vitellozzo. The armies of the condottieri were
 formidable so long as they followed their generals; when the generals
 were removed, the soldiers dispersed and entered into other 
engagements. . . . Most men admired Cesare's consummate coolness in 
the matter.... No outrage was done to current morality. ... Most men
 in Italy accepted as sufficient Cesare's remark to Machiavelli: 
'It is well to beguile those who have shown themselves masters of 
treachery.' Cesare's conduct was judged by its success."
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_180.HTM
 
3)n.1358:R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.19
          https://russell-j.com/wp/?p=4725

4)n.1359: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.20
       https://russell-j.com/wp/?p=4729
 
5)n.1360: R『権力−その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 N.21
      https://russell-j.com/wp/?p=4731


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0972j-0978j を投稿
 英 語 version : n.0972e-0978e を投稿

  一つだけ再録します。n.0977j (July 5, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0977.html

 「権力者による都合のよい解釈は昔から」

 デカルトは,ガリレオが1616年に有罪判決を受けたことを聞いて恐怖にから
れ,オランダに逃亡した。オランダでは,神学者たちがデカルトを処罰するよ
う叫んだが,オランダ政府は宗教上の寛容の原則をあくまでも支持した。とり
わけ,プロテスタント教会は,教皇不可謬説(infallibility 無謬説/papal
 infallibility 教皇不可謬説/無謬説)に妨げられなかった。(プロテスタン
ト諸国でも)聖書は言葉の上で霊感に充ちていると受けとられていたが,その
解釈は個人の判断に委ねられ,間もなく,不都合なテキスト(聖句)をうまく
釈明する(explain away)いろいろな方法が発見された(のである)。

Descartes, who was terrified when he heard of Galileo's condemnation 
in 1616, fled to Holland, where, though the theologians clamoured for
 his punishment, the Government adhered to its principle of religious 
toleration. Above all, the Protestant Churches were not hampered by 
the claim of infallibility. Though the Scriptures were accepted as 
verbally inspired, their interpretation was left to private judgment,
 which soon found ways of explaining away inconvenient texts. 
 情報源: Religion and Science, 1935, chapt. 1
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-160.HTM

 <寸言>
 デカルトは後にスウェーデン女王に招かれてスウェーデンに言ったが、そこ
で風邪をこじらせて「客死」。
 ラッセルも1950年12月にノーベル文学賞受賞のためにスカンジナヴィア(ス
ウェーデン)に行ったが、デカルトの先例を思い出し、高齢の身なので心配だ
ったと「ラッセル自伝」に書いている。
  https://russell-j.com/beginner/AB31-230.HTM  

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(2) ラッセルに関する記述や発言等
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★(続報)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)

 一昨日著者の手元に現物見本が届いたそうですが、書店に並ぶのは、広島と
 長崎への原爆投下日に近づけるために、7月下旬になりそうとのことです。

 次のページにアップしてある画像は宣伝用のチラシです。

 https://russell-j.com/miurat/images/Miura_Bertrand-Russell.png

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 編集後記 憲法改正に「前向きな」政党という表現
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 NHKなどのマスコミは、「憲法改正に前向きな」政党という表現をよくして
いる。しかし、どうも違和感を覚える。さすがに、「憲法改正に後ろ向きな」
政党とは言わないようにしているであろうが、「前向きな」の反対(対応表現)
として多くの人はすぐに「後ろ向き」という言葉を思い浮かべるはず。従って
意識下(無意識の世界)では、そういう表現を、影響力のあるNHKが頻繁に使
うことによって、野党の姿勢に対するマイナス・イメージを引き起こす効果を
これまで与えてきたかも知れない(いわゆるサブリミナル効果)。

 どうしてもっと客観的な「憲法改正に肯定的な政党」とか、「憲法改正に否
定的な政党」という言い方(表現)をしないのであろうか?

 嘘か本当か、NHK報道局政治部の裏マニュアルには次のようなことが書かれ
ていると言う。

・与党と野党の意見が対立する事柄に関するニュースを扱う場合は、必ず与党
側あるいは政府の見解の紹介でその報道をしめくくる。

・政権にとって都合の悪い報道は最大でも3分以内におさめる。

・政権や自民党に都合の悪いニュースは、7時のニュースでは主要ニュースの
放送が終わった後の次のニュースとして報道する、あるいは午後6時や午後9
時のニュースでは報道するが、7時のニュースでは「時間の関係で」という理
由でカットする。

・政権にとって都合の悪いニュースをどうしても報道しなければならない場合
はそれを打ち消す効果のある他のニュース(野党関係者の不祥事など)とでき
るだけ抱き合わせにする。

 憲法改正に賛成でも反対でもない被選挙民には2種類ある。賛成するか反対
するか判断がつけられないという人たちと、自分たちの日常生活に関係してく
る場合以外は政治に関心を持たない人たち、の2種類がある。後者の人たちも
憲法改正によって徴兵制が導入されるとかいうような事態になればまともに考
えるようになるであろうが、そうでもない限り、「興味なし」ということにな
る。(タイでは徴兵制が導入されているが、それはくじ引きで決められている。
日本でも皆兵制ではなく選択的徴兵制が導入される時には、くじ引きが公平だ
ということになるかも知れない。)

 そういった時になったら真剣に考えるからよいと言うかも知れないが、そう
いった状態になってからでは「もう遅い」ということになるであろう。徴兵さ
れる心配のない「年寄りこそ」徴兵制に反対すべきであろう。(松下彰良)
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 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
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■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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