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バートランド・ラッセル年譜 V

年譜V (1955~1970)
ライン
1955(83歳)
・北ウェールズの Plas Penrhyn に山荘を購入して、エデイス夫人ととともに、移り住む。
・7月9日、ラッセル=アインシュタイン声明発表: 世界科学者会議を提唱(アインシュタインは亡くなる1週間前(4月11日)に声明に署名していた!)
・ローマにおける世界連邦国会委員会国際会議、パリにおける世界連邦世界協会世界大会、ロンドンにおける世界科学者会議等に出席

1956(84歳)
・英国のスエズ出兵とソ連のハンガリー干渉(1956.10.23)を強く非難
・英国下院において、世界政府協会主催のラッセルのための晩餐会が開かれる。

1957(85歳)
・7.7 - 7.10: カナダの寒村パグウオッシュにおいて、第一回パグウオッシュ会議(Cyrus Eaton :サイラス・イートンの財政的援助):ラッセルは健康を損ねて欠席。10ケ国から22名、日本からは(湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩男)出席
・フルシチョフとアイゼンハウアーに公開書簡を送り、米ソ巨頭会談を呼びかける。
・英国における哲学の傾向を批判
・A.Wood: Passionate Sceptic; B.Russell 出版
・10月、ソ連、スプートニク打上げ成功

1958(86歳)
・1月、CND: Campaign for Nuclear Disarmament 発足、初代総裁となる。(議長は,聖職者コリンズ)
・2月17日、Westminster の Central Hall でCND創立大会(10,000名を越える参加者)
・第2回パグオッシュ会議(オーストリアで開催)に出席
・9月、第3回パグウオッシュ会議に出席:19ケ国から70名出席、ウィーン宣言出される。
1959(87歳)
・Edith Russell の家政婦宛の手紙(4月6日付)によると、ラッセルはのどに障害があり、流動食しかとれない状態とのこと。また、K. Blackwell 氏によると、晩年の12年間は流動食しかとれなくなった由。
・Common Sense and Nuclear Warfare 及び My Philosophical Development 出版

1960(88歳)
・7月末、初めて Ralph Schoenman(当時24歳)が訪ねてくる。
・CND総裁を辞し、Committee of Hundred (百人委員会)を組織
・9月24日、トラファルガー広場で演説
・ソ連、対中国経済技術援助停止: 中国「自力更正」へ → 中ソ対立に発展
・12月、南ベトナム民族解放戦線結成

1961(89歳)
・百人委員会を結成し、委員長となる。
・2月18日、英国の核政策に抗議するトラファルガー広場における2万人の大集会
・9月、百人委員会、国防省前に座り込み。
・9月12日、2ケ月の懲役の判決(後に1週間に減刑)
・10月29日、トラファルガー広場で「市民不服従」の大集会
・11月、ブリクストン刑務所付属病院に一週間拘束される。
・12月9日、英国全土の核兵器基地と米軍基地への5万人の抗議デモ

1962(90歳)
・5月19日、ロンドンのロイヤル・フェステバル・ホールにおいて、ラッセル生誕90年記念コンサート開催
・7月、核と軍縮問題についてウタント事務総長と会談
・10.25~10.26、キューバ危機:ケネディ大統領とフルシチョフ首相に電報を送って調停に尽力
・中印国境紛争

1963(91歳)
・百人委員会解散
・ベトナム反戦(反米)活動始める。
・9月29日、Bertrand Russell Peace Foundation(バートランド・ラッセル平和財団)及び、Atlantic Peace Foundation(大西洋平和財団)創設
・8月、部分的核実験停止条約(地下実験は野放し)
・10月、中国が始めての核実験
・11月22日、ダラスでケネディ大統領暗殺される。

1964(92歳)
・R. シエーマンや C. ファーレイをベトナムに派遣
・フルシチョフ首相辞任
・10月16日、中国初の核実験
・UNCTAD 第1回ジュネーブ総会

1965(93歳)
・10月14日、ロンドンにおける「核兵器撤廃青年運動」の集会で、労働党の党員証を破り捨てる。
・ラッセル平和財団日本協力委員会(吉野源三郎委員長)設立される。
・日本バートランドラッセル協会、1965年1月20日、早大・大隈会館にて設立総会

1966(94歳)
・6月4日、ロンドンのマハトマ・ガンジーホールで Vietnam Solidality Campaign を組織し、ヴェトナム戦争犯罪国際裁判の開廷準備を決議
*長崎大学の岩松繁俊氏、9月11日,自宅に「バートランド・ラッセル平和財団日本資料センター」を設立し、同センター資料 No.1を発行

1967(95歳)
・5.2~5.10:第一回国際戦争犯罪法廷(いわゆるラッセル法廷:於ストックフォルム)
・11.20~12.1:第二回ラッセル法廷(於:コペンハーゲン)
・War Crimes in Vietnam 及び The Autobiography of B. Russell、v.1 出版
・A Detailed Catalogue of B. Russell 出版
・6月、中国、初めての水爆実験

1968(96歳)
・3月28日、ラッセル関係文書、カナダの MacMaster 大学に売却(ラッセルの蔵書は、Edith が亡くなってからマクマスターへ)
・8月20日、ソ連、ポーランド、東独、ブルガリア、ハンガリーの軍隊、チェコ侵入 → ラッセル、ソ連を非難するとともに、全世界の共産主義者・社会主義者にアピール
・Autobiography、v.2;及び The Art of Philosophizing and Other Essays 出版
・核拡散防止条約

1969(97歳)
・2.1~2.2:チェコスロバキアに関するストックフォルム会議
・5月:同上、ロンドン会議
・Autobiography,v.3、及び Dear Bertrand Russell 出版

1970(数えで98歳)
・2月2日(約97歳10ケ月)、プラスペンリンにて死亡

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