年譜III(1945~1954)
ライン
1945(73歳)
・11月28日、上院で演説:水爆の実用化を予言(上院での演説は2回目)
・世界政府運動を開始
・Human Knowledge の執筆に着手。 ・A History of Western Philosophy 出版(英国初版は1946年)
・7月16日、米国ニューメキシコ州アラモゴルド砂漠で原爆実験
・8月6日広島に、8月9日長崎に、原爆投下
・8月15日、日本は無条件降伏(第二次大戦終結)。

1948(76歳)
・核兵器の拡散を阻止するためにソ連を原爆で脅かすことを主唱
・ラッセル理論哲学の集大成, Human Knowledge 出版
・ソ連(スターリン),ベルリン封鎖

1949(77歳)
・Patricia と別居
・6月、Order of Merit をジョージ6世より授与される。
・7月、ソ連、原爆実験
・10月、中華人民共和国、成立

1950(78歳)
・12月、ノーベル文学賞授賞。(Marriage and Morals(1929年刊))が授賞理由の一つ
・プリンストン高等研究所へ行き、アインシュタインと会う。 ・アリスと再会。
・1月、トルーマン大統領、水爆製造計画を発表。これに対し、アインシュタインは声明を出し、「国家の武装を通じて安全保障を達成し得るという信念は、軍事技術の現段階では、人類全体を破滅に導く幻想にすぎない」と訴える。
・2月、共和党の上院議員 J. McCarthy(1908~1957)は、国務省内の赤色分子200名の追放処分を要求
・6月、朝鮮戦争勃発
・米国でマッカーシー旋風

1951(79歳)
・1月21日、アリス死亡
・アメリカへの講演旅行(これがアメリカへ行った最後?)
・4月29日、ウィトゲンシュタイン(1889.4.26~1951.4.29)、ガンで死亡

1952(80歳)
・6月、パトリシアと正式離婚。パトリシアに11,000ポンドの慰謝料を支払う。(ちなみに、ノーベル賞の賞金は1万ポンド)
・12月15日、Edith Finch と再婚(4度目)

1953(81歳)
・ロンドン郊外に4階建ての家を購入して、1、2階を長男一家に使わせる。(長男には3人の子供あり)
・肺炎で死にかかる。 ・3月5日、スターリン死亡(フルシチョフが葬儀委員長)
・ウィトゲンシュタインの『哲学研究』出版される。

1954(82歳)
・12月23日、BBCを通じて核兵器の禁止・廃止を訴える。
・Human Society in Ethics and Politics、及び Nightmares of Eminent Persons出版
・3月1日、ビキニ水爆実験

もどる