出口康夫「三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』(岩波新書)- 理論哲学全般の本格的入門書」
* 出典:『信濃毎日』2005年12月25日付* 三浦俊彦『ラッセルのパラドクス』(岩波書店,2005年10月刊/岩波新書_赤975)の書評及び紹介
* 出口康夫(でぐち・やすお,1962~ )京都大学大学院准教授。数理哲学,科学哲学専攻
* 随分前に,三浦先生からいただいた新聞切抜きのコピーを電子化したものです。もらってすぐにホームページに掲載したと思っていましたが,Googleで検索してもひっかからないことから,うっかり忘れてしまったようです。遅きに失しますが,本日掲載します。(2013.9.22)
世にパラドックス(逆理)は数多い。アキレウスと亀が徒競走を繰り広げるゼノンのパラドックス。ドラえもんお得意のタイム・パラドックス。中でも「集合」という数学の道具立てが主人公のラッセルのパラドックスは、しごく単純。手品のように、アッという間に矛盾が出てくる仕掛けになっている。とはいえ、聞かされた側の大概の反応は「それがどうしたの?」。
ちょうど百年前にイギリスの哲学者バートランド・ラッセルによって発見されたこのパラドックス。見かけはシンプルだが、それ故にこそ衝撃力はメガトン級。時あたかも,ライフワークの出版直前だった現代論理学の祖フレーゲが長年築き上げてきた体系を、まるで積み木を崩すように崩壊させ、その後三十年以上に わたる、数学者・論理学者・哲学者入り乱れての、数学の基礎に関する熱い論争の火蓋を切り・・・。というパラドックス発見のドラマと、それが巻き起こしたドタバタ群像劇を期待した向きは、本書を読み進むにつれ、まんざらでもない誤算に気づくだろう。そう,本書はラッセルのパラドックスの解説本というより、その発見者であり、また自らもそれによって深刻な影響を受けたラッセル本人の数学や論理学の哲学、さらには言語哲学から存在論まで、つまり彼の理論哲学全般についての本格的な入門書だからだ。
驚異的に考え、書きまくったラッセルは、一方でひんぱんに立場を変えた哲学者としても悪名高い。また近年は手稿(注:The Collected Papers of Bertrand Russell)の出版が相次ぎ、その思索の転変が、下手をすると数カ月単位まで細かく追えると言う、喜ぶべきか悲しむべきか判断に苦しむ事態も生じている。加えて主題の性格上、彼の書き物には,論理や数学の記号がやたらと出てくる。
このやっかいな代物を分かりやすく紹介するという難題に挑んだのが、職業柄、理屈っぽい人種には事欠かない哲学業界でも、とりわけ理屈好きな三浦俊彦氏。その氏の、これまた、とことん理詰めで押していく,ラッセル哲学への共感とオマージュが全編に満ちあふれた本書は、ビシッと論理の筋が通っていて、読んでいてまさに痛快! これを偉大な達成と評さずして何と言おうか。
これで来年以降、ラッセルを専攻する学生が増えることは請け合い。ボクも三浦本を読み返して予習しなきゃ。