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野間宏「分子生物学と文学」

* 出典:『茨城文学』1975年2月号所収
* 野間宏(のま・ひろし、1915-1991):作家、評論家。
* 再録:小笠原克(編)『作家の自伝・第73巻 野間宏』(日本図書センター、1998年4月刊)pp.242-248.




 アインシュタインの相対性理論を取り扱う必要にせまられたのは、三年ほど前のことである。そして当然のことであるが、私はアインシュタイン自身の手によるその理論に触れたのである。しかし、それを一気に噛みくだくことはできず、私はアメリカの物理学者の書いた相対性理論の解説書を傍におき、アインシユタイン理論に立ち向うよう身をととのえたが、その理解はやはり困難をきわめ、私はこの追求をついに中絶しなければならなかつた。
 しばらくして私は、突然くやしい思いに見舞われたのである。そしてアインシュタイン理論のなかにはいることのできない自分とは一体、いかなる内容によって構成されているのか、と問わなければならなかった。数の属性、あるいは数学について考え切ることなく生きている哀れな自分の姿が、ようやく私に見えてきた。私は、そのアメリカの学者の書いた相対性理論の解説書さえ、読み切ることができなかったのだ。私は私のなかの空虚な部分を埋めようとして、数学の入門書、四、五種類をそろえて、時間をかけて読んだ。そしてそれを手がかりにその相対性理論の解説書を終りのところまで、たどるのに成功した。しかし私には、なお、アインシュタインの相対性理論を十分に理解できたという気持が生れでてくることがなかったのである。そして私は次第に落ち着きを失って行った。
 アインシュタインの理論を通過することなくして、現代の物理学を理解するなどということは不可能なのである。それでは物理学を生物学に導入することによって、生命の分子段階における解明をすすめて、分子生物学を根底から見るということもまたできがたいことなのだ。私は分子生物学の書物を何冊も読みつづけながら、そしてそれを読みおえながら、やはり自分のうちに、なお自身の追求に不足しているものがあることを、つねに感じとらされなければならなかった。アインシュタインのところに歩いて行かなければならないと私は自分に言いつづけているが、この私にはその手だてがまったくないという答えが、私のうちからは、でてくるのである。
 私はそのうちようやく、散歩に出られる身体になり、神田まで行きつき、一軒の書店のなかで身を休めていたとき、バートランド・ラッセルの『相対性理論への認識』(金子務・佐竹誠也(訳)、白揚社)を見つけた。そして私はこの書物が私の救い手となるにちがいないと、この書物の最初の三頁ほどを読んで行くうちに、はっきりと知らされた。このように、微分、積分などの数式をできるだけ使わずに相対性理論を解説するのは、やはりラッセルのような数理哲学より出発したすぐれた哲学者の手によるほかない,ということを私は考えながら、この書物に十分に時間をさいて読みおえた。時間をさいてといっても、私がこの書物を読むのにさいた時間は、他の相対性理論の解説書にさいた時間よりも、はるかに短かったのである。そのような類いまれな力がこの書物には備っていた。しかも私はこの書物を読みながら、自分もまた、大地の上に立って、何故に自分は地球の重力によって、ぎっしりつまっているように見えるがほとんど空虚な空間である地球の中へ、落ち込んでゆかぬのかという疑いを一度なりとも出すことなく、今日まで過ごしてきたのかと、自分自身のうちにまだ生きてとどまっている自然主義的な要素を認めさせられた。何故、地上に立つとき、私は地球の中へと落ちていかないのか。このことについてラッセルは次のように説明している。
「地上に立つときのあなたは、電磁力の作用をうけます。なぜなら、あなたの足下の電子や陽子には、ちょうど地球の重力に打ち勝つにたるだけの斥力があるからです、これがあなたを、ぎっしりつまっているようには見えるが、ほとんど空虚な空間である地球の中へ、落ちてゆかぬようにささえているものなのです。」
 ただ、このラッセルの書物を読むうえで注意すべきことは、この書物の訳者が「あとがき」で述べているように、解説者のラッセルとアインシュタインの間で、物理学を物質ではなく事象の上に建設するということについての考え(方)のうえで根本的なちがいがあるということである。ラッセルのこの事象の考えにアインシュタインは、反対する。ほとんど同じところにその考えが位置しているように見えながら、その二人の考えのちがいはじつに大きいといわなければならない。
 訳者が「あとがき」のなかで明らかにしてくれている、このちがいにっいて、私はここに引きだしておく必要があるだろう。それはよく考えをたどればたどるほどじつに重要なことなのだから。
「アインシュタインの考えでは、「事象の諸性質の束(Sens data)」のようなもので物質(物理的物体)を置きかえてしまったら、どうやってまったく同じ諸性質の束が二つあったとしても、たとえばパリのエッフェル塔とニューヨークのそれとを区別できようか、という反論で、それを区別するには束同士の時空的配置の差を考えざるを得まい、ということです。そしてその時空的な点は、拡がりをもった日常的な事象の性質の束から、理論的に導くのはむりであり、事象では説明しきれない、というのですが、これにはラッセルの方でも異論があるはずです。事実、ラッセルは、事象の束の交錯によって時空的な点(事象は測地線そのものであり、多くの測地線の交わるところを"点"と呼ぶ)を論理的に考えています。もっともこのような論理的操作を量子力学的レベルに適用するとなると、位置と運動量についての不確定性関係によって、これらの事象を一点で交わらせることは不可能になるはずですが、ラッセルはその点についてどう考えていたのか不明です。」
 測地線とあるのは、彎曲(わんきょく)した時空における惑星その他の運動の最短距離に相当するものである。
 アインシュタインの一般相対性理論などについて、どうして文学をする者が、しかも年をとったこの私が勉強をはじめなければならないのか。それを説明するのは、またそれを説明してその理解を得るのはむずかしいことだと思うが、それは無機物世界と有機物世界の連続性、あるいは連接が分子生物学の発展によって、サルトルが『弁証法的理性批判』のなかで仮説として成立させていたところを越えて、仮説の境を脱することが可能となり、実在として、引き出されることとなったからであると言えば、あるいは少しは理解が得られるのではないかと思う。
 サルトルの『弁証法的理性批判』のこの部分は、苦心の作ともいうべきところであって、その相互作用についての追求も用意周到と言ってよいのだが、しかしまたそのために、かなり煩瑣なところを残している。サルトルがこれを書きすすめていた時、まだ分子生物学はそれほど十分な展開をとげてはいず、サルトルはもっぱら生化学の成果を媒介としてその思考をすすめているのである。
 サルトルが『弁証法的理性批判』のなかで当時の生化学の成果をできる限りそこに導入してその思考をすすめているところに眼を向けると、へーゲルが『精神現象学』のなかで、当時の自然科学の到達点としての元素、あるいは素の解明の作業を引き入れ、その思考をすすめているところを、私は思い浮かべないわけにはいかなかった。とはいえ、へーゲルと同じように、サルトルの『弁証法的理性批判』のこの部分は、その仮説の成立作業に全力を投じて、あるところまで成功しているといってよい。サルトルの『唯物論と革命』のあまりにも単純な、そしてまた単調といってよい世界からみるとき、『弁証法的理性批判』の成立する世界への歩みは、やはり大きな歩みであったのである。
 サルトルがアインシュタインの一般相対性理論にふれているのは、例の「フランソワ・モーリアツク氏と自由」という文章であるが、ここにあっては、サルトルは、一般相対性理論の中心に入りこんで、その理論の根底にあるものを引きだしてくる力を欠いていると、いま、私は考えないわけにはいかない。そして私は『弁証法的理性批判』において、あのように生化学に近づいたことのあるサルトルが何故にその後の新しい分子生物学の展開に、眼を向けることがないのかという不審な感じを抱かせられる。もっとも、私はこの分子生物学の急速な発展によって、私が以前から主張していた、人間を《生理的(物理的)》《心理的》《社会的》にとらえるという考えのうちに、まだ空虚のままに括弧につつんでおいてあった、この(物理的)という言葉を括弧からとりはずし、人間を物理的、生理的、心理的、社会的にとらえるというところへ引き延ばすことができるようになったのである。これは私の文学理論にとっては、非常に都合のよいところであり、私は分子生物学者の大きな努力に感謝しないわけにはいかないのである。
 とはいえ、私は分子生物学者たちが、その研究を進めるなかで提出してきた"人類の生存の危機"の問題を、自身の前において、これと格闘をつづけなければならなくなったのである。これは、じつに長い時間を必要としたが、私はこれを途中でやめるなどということは、できなかった。私は私の文学理論のなかに、やがて埋めなければならないと想定していて、ほとんど真空のままに置かれていたその部分を、この学問の前進によって埋めることが可能となり、実際に私自身、その文学理論を完備するという作業にとりかかりながら、その分子生物学者が、その学問の基礎の上に立って、しかもまた学問のわくをこえて、市民たちに直接に訴えつづける"人類生存の危機"という警告については、眼をつぶっているなどということはできるわけはないのである。そして私はこの人類生存の危機の問題の根拠のなかに、自分を惜しむことなくほうりこむために、生態学、微生物学、免疫学、精神神経医学、心理学、数学、言語学などの多くの書物に、次々と近づいていかなければならなかった。もっとも、ずっと長く病気をしていて、家にとじこもっているほかにはなかった私には、書物を読むということが、私にできるほとんど唯一のことだったのであるが。
 とはいえ、分子生物学、生物物理学、分子遺伝学、ライフサイエンスなどの、最近のあまりにも急激な発展は、その実験過程のなかで、恐るべき危険を人類にもたらす可能性を生むにいたっており、人類生存の危機の警告を行い、ヨーロッパ文明の没落を告発した、その学問そのものが、人類生存の危機の尖兵となるかのような様相を呈することとなったというのは、また、じつに不可思議きわまることである。もちろんこれを不可思議なこととして、そのままにおいておくことはできない。生物学に物理学を導入するとき、そこに機械論的な考えが生まれるのは避けがたいことであって、分子生物学者の半ばが機械論的な考えのなかに入りこんでいくことは、必然的ともいってよいことだったのである。私がジャック・モノーの考えるところを重要と認めながら、その著書『偶然と必然』にきびしい批判を加えなければならなかったのも、そこに恐るべき機械論への道がつけられているのを感じとり、また見出したからなのである。(1975年2月)