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Psychology and East-West Tension, by Bertrand Russell

In: Preventing World War III: Some Proposals, ed. by Quincy Wright, William M. Evan, and Morton Deutsch. Simon and Schuster, c1961.
Repr. in: Bertrand Russell's Fact and Fiction (London; George Allen & Unwin, c1961)pp.209-221.

 邦訳タイトルは異なっていますが,北川悌二訳の「東西緊張の心理」と鹿島守之助訳の「東西の融和」は同じ原著を邦訳したものです。
 鹿島氏の訳にはところどころ,無視できない誤訳がありますので注意して読む必要があります。北川悌二氏は英文学者だけあって,より信頼できる訳となっています。

* 北川悌二(きたがわ・ていじ,1914-1984)邦訳書のラッセル『事実と虚構』を出版した時(1962年),北川氏は東大教養学部教授(英文学専攻)。日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人でもある。
* 鹿島守之助(かじま・もりのすけ,1896-1975):外交官,実業家,政治家,外交史研究家で法学博士。元鹿島建設会長,元参議院議員で文化功労者。昔,日本経済新聞社の『私の履歴書−経済人』だったか,鹿島守之助の伝記を読んだことがありますが,経済人(企業家)にしては立派な人だと思いました。

ラッセル「東西緊張の心理」
 北川悌二(訳)

出典:ラッセル(著),北川悌二(訳)『事実と虚構』(音羽書房,1962年 月刊)pp.86-104




Psychology and East-West Tension
by Bertrand Russell

ラッセル「東西の和解」
 鹿島守之助(訳)

出典:モートン・ドイッチェ,ウィリアム・エバン,キンシイ・ライト(共編),鹿島守之助(訳)『第三次世界大戦の防止』(鹿島研究所出版会,1965年3月刊)pp.


 今日存在している東西両陣営間の敵意は,すべての正気な人間にとって重大な不安の種になっている。それには全面的核戦争の悲劇的可能性がひそみ,またたとえそうまではならなくとも,それはたえず増大する武器にたいする出費を要求し,その武器はたえずおそろしさの度をまし,金がかかるものとなり,最後には,東西ともに,その生活水準を最低限度にまで落とさざるをえなくなってしまう。こうした明白な事実を考えて,多くの人びとは,とくにソ・米間(米ソ間)のもっと友好的な関係をつくりだすことが望ましいことと考えている。だが,この方面での努力はいままでのところむなしく,その失敗は,なにかおこなったところがあったとすれば,全般的な危機を増大させる効果しかなかった。したがって,平和的共存がうまく推進されるべきものとしたら,なにか新しい診断法を発見し,ほかの方法をさがしてみなければならない。

[ From a forthcoming book or essays edited by Quincy Wright,WilliamM.Evan and Morton Deutsch,to be published by BellTelephone Laboratories,New Jersey.]

The hostility between East and West,as it exists at the present day,is a cause of the gravest anxiety to all sane men. It involves the catastrophic possibility of an all-out nuclear war and,short of that,demands continually increasing expenditure upon continually more deadly and more expensive weapons of war to which no end can be seen except reducing both East and West to subsistence level. In view of these obvious facts, a great many people perceive the desirability of producing more friendly relations,especially between Russia and America. But efforts in this direction have hitherto proved fruitless,and their failure has, if anything,augmented the general danger. It seems,therefore,that,if peaceful co-existence is to be successfully promoted,some fresh diagnosis must be found and other methods must be sought.

 今日東西両陣営のあいだに存在する敵意が,分別のある人全体に最も深刻な苦悩の種を与えている。この敵意のなかには,人類絶滅の核戦争を起こす破局的可能性が含まれている。そこまでゆかないにしても,ますます巨大な金額を要する戦争兵器を製造し続けるために必要な国費は,膨張の一途を辿るばかりで,いつ止まるとも,予想がつかず,東側も西側も,しまいにはただ生きてゆくだけが精一杯という有様になってしまうのではないかと思われる。この明白な事実をみて,多くの人々は東西が,とくにロシアと米国とのあいだに友好関係の樹立されることを希望しているのである。しかしながら,今日までのところ,この方面の勢力は成果をあげるに至っていない。むしろ,その失敗が総体的危険をますます増大させるばかりであった。したがって,もし平和的共存をうまく促進させなければならないなら,何か新しい処方箋を見出すか,何か適当な方法を考究しなければならないものと思われる。
 この面倒な問題の根源は人間の心にあり,非心理的な事実にあるのではないというのが,わたしの信念である。和解がはじまらなければならぬ場所は,この紛争の真理の性格に関する政治家・一般大衆の信念にある,とわたしは考えている。こうした信念がかえられたら,いま軍縮会議を不成功にさせている難点は消滅してしまうことだろう。さしあたって,それぞれの側は相手の不法を強く確信し,その確信の度は増大して,どんなにわずかなりと,一方がなんらかの譲歩をすれば,それは絶対悪に対する降服の様相をすらおびるまでなってきている。この気分がつづくかぎり,どんな交渉も成功をみぬことは明白である。 

[注:本論文 "Psychology and East-West Tension" を収録した Fact and Fiction は,1961年に, Allen & Unwin 社から出されています。しかし,最も基本的なテキストであるべき,Allen and Unwin 版(の初版)において,本パラグラフの "At present, each side" のところは, "At each present, side is ... となっています。ここは一目見ておかしな英文だと(誤植だと)わかるのでまだよですいが,校正が不十分であり,残念です。なお, Google ebooks で見たところ, Routledge 版は修正されているようです。]
It is my belief that the source of the trouble lies in the minds of men and not in any non-mental facts. I think that the place where conciliation ought to begin is in the beliefs of statesmen and plain men as to the true character of the conflict. I think that, If these beliefs were changed,the difficulties which at present make disarmament congresses abortive would melt away. At present,each side is firmly persuaded of the other's wickedness,so firmly as to believe that any concession by one's own side,however slight,has the character of surrender to Absolute Evil.While this mood persists,it is obvious that no negotiations can succeed.

 ことがうまく運ばない原因は人々の心の中にあって,心と関係のない事実そのもののなかにあるのではないと私は信じている。和解を成立させるには,まず,政治家並びに一般の人々の紛争の真相に関する考え方から調整しなければならないと私は思っている。また,人々の信念が変えられるならば,現在軍備会議を失敗に終らせている種種の困難も氷解するものと思われる。現在,双方とも相手方が邪悪であると信じている。非常に強く信じ込んでしまっているので,たとえ少しでも,相手側に譲歩することは絶対悪に降服することを意味するものであると信じている。こんなような(→このような)雰囲気に包まれている限り,調停など成立する見込みはないことは明白である。
 現在の紛争を分析するばあいに,忘れてならぬ事実が二つある。軍備・意図せぬ戦争勃発の危険・西ベルリンにたいする西欧の義務・ハンガリーにおけるロシアの横暴等に関して,厳としたかたい事実ともよべるものがある。さらにまた,それに比較してはやわらかい事実ともよべるものがある。これらのものは,敵意を増大させる行動の原因になった希望と恐怖からなりたっている。この二組の事実の間にはたえず相互作用がおこなわれ,どちらが先かを決定することは,昔からの雌鶏(めんどり)と卵の問題に似ているともいえよう。しかし,やわらかい事実をかえることは,かたい事実をかえるより骨がおれず,かたい事実をかえるもっともやさしい方法は,まず最初に,やわらかい事実にとりくむことであろう。
In analysing (analyzing) the present troubles,there are two kinds of facts to be borne in mind. There are what might be called hard facts,concerned with armaments,risks of unintended war,Western obligations to West Berlin,Russian tyranny in Hungary,and so on. There are also what,in comparison, maybe called soft facts.These consist of the hopes and fears that have inspired actions which have increased hostility.There is a continual inter-action between these two sets of facts,and to debate which set should come first may seem like the old problem of the hen and the egg. I think,however,that a smaller effort is needed to change the soft facts than to change the hard ones,and that the easiest way to change the hard facts is to tackle the soft facts first.  現在のトラブルを分析すると,そこには二種類の事実のあることを記憶すべきである。まず,堅い事実と呼ぶべきものかある。それは軍備とか,不測の戦争の危険とか,西ベルリンに対する西側の義務とか,ハンガリーにおけるソ連の圧制などに関するものである。これと対比して,別に軟らかい事実と呼ぶべきものがある。それは東西間の敵意をますます深刻にさせるような行動を刺激する希望とか恐怖とかである。この二つの種類の事実のあいだには,絶えずお互いに作用し合う働きがある。それ故,どっちが先に起こって,他の原因になるのかを討論することは,卵が先か鶏が先かという例の問題と同じである。しかしながら,軟らかい事実を変える方が,堅い事実を変えることよりも容易にできることであると思う。また堅い事実を変えるための最も容易な方法は軟らかい事実に先ず取り組んで,これを解決することであると私は思っている。
 さしあたって,いずれかの側の勝利というより,むしろ人類の幸福の観点から,このことを考えてみよう。東と西相互間の感情が友好的であり,いずれも相手を絶滅させようとする意図をもっていないとしたら,大量破壊の武器(大量破壊兵器)にたいする莫大な出費の無益さを双方がさとることは明白である。ものを考えるすべての人の生活の刻一刻をいま暗いものにしている恐怖の暗雲から,双方はぬけでることだろう。双方は協力して,地球の人口の最大多数のものをいまだに圧迫している貧困と栄養不艮の状態を好転させることができるだろう。いまは新兵器の技術的な仕事に使われているじつにすばらしい莫大な技術が,そのかわりに,人間の生活をもっと幸福にもっと繁栄したものにする発明に使われるであろう。この変化をひきおこすのに,なにが必要だろうか? ただ,東欧と西欧が,敵意のある感情ではなく,友好的な感情をたがいにもちあうだけのことである。
Let us,for the moment,consider the matter from the point of view of human welfare rather than from that of the victory of either side.It is obvious that,if the feelings of East and West towards each other were friendly and neither had any wish to exterminate the other,both sides would perceive the futility of immense expenditure on weapons of mass destruction. Both sides would emerge from the cloud of fear which now darkens every moment in the life of every thinking person. Both sides could combine to lessen the load of poverty and malnutrition which still weighs down the majority of the population of the globe. All the immense and truly remarkable skill which is now employed in the technical business of new armaments could be employed,instead,in inventions that would make human life happier and more prosperous. What is needed to bring about this charge? Only that both East and West should have friendly,instead of hostile,feelings towards each other.  さてここで,東西何れか一方の勝利という問題よりも先に,人類全体の幸福という観点から事象を考究してみよう。東西両陣営の相手に対する感情が友好的であって,双方とも相手を絶滅させたいなどと望まないならば,両方とも国民全滅用武器を造るための巨額の費用が不要になることを認めることは明らかである。両陣営とも,そうなれば思慮あるすべての人の心を日夜暗くしている恐怖の暗雲から外へ出てくるであろう。そして双方とも,地球上に住んでいる大部分の人を苦しめている貧困と飢餓を軽減するために協力するであろう。今日新兵器を製造するために使われている優秀なしかも貴重な技術を,人類の生活をより幸福にし,より繁栄させるために必要なものと発明するのに使うことができるであろう。こういう変革をもたらすためには,何が必要であるか。それは,ただ東西両陣営が,敵意を捨ててお互いに友好的感情を抱きさえすればよいのである。
 「だが,相手のようにひどい不法をおかす国民にたいして,どうして友好的感情をもつことができよう?」と双方でいうであろう。われわれの側で語るこの話の残りは,悲しくも聞きなれたものである。「ソビエト人が無神論的唯物論者であることを知らないのか? 彼らが支配しているどんな国にも個人の自由を許していないことを知らないのか? ハンガリーと東独における彼らの残忍な横暴ぶりを耳にしていないのか? 一九四五年にかつてドイツ領であったところからドイツ人を乱暴にも追放したことを知らないのか? 共産主義の領土内で少しでも独立精神を示した男女を極地の強制労働収容所に送りこんだ人非人を許せ,とわれわれに要求するのか?」とわれわれはたずねられることだろう。西欧側の立場についてはこれまでにしよう。だが,東欧も自分の立場はあるものと信じ,それが,その国民が聞くことを許されている唯一のものになっている。西欧が徹底的に帝国主義義的であり,個人の自由を口にしていながら,アジア・アフリカ・ラテンアメリカでは手当りしだいに国家の自由を抑圧している。と東欧は,王張する。共産主義者が世界平和の代表者であり,これを西欧がたえずおびやかしているのだ,とわれわれは納得させられる。自由によせる西欧のいかさまの愛好心に関しては,その同盟者フランコはどうだろう? 彼はヒトラーとムッソリーニの援助で残忍な軍事的暴政を確立し,西欧がその行動の原則だといつあわっているすべての信念にさからって,今日におよぶまで検閲制度を強行しているではないかと,王張する。そのうえさらに,アメリカの貸銀労働者は今日にいたるまで,エンゲルスが雄弁にその状態を描写している一八四四年の英国の貸銀労働者と同じひどい暮らしをしている,と東側の人たちはたがいに語りあっている。
'But',both sides will say,'how is it possible to have any friendly feeling towards people so abysmally wicked as the other side?' The rest of this speech,from our side,is sadly familiar.‘Do you not know, we shall be told,that the Soviets are atheistical materialists? Do you not know that they permit no individual freedom in any country that they dominate? Have you not heard of their brutal tyranny in Hungary and Eastern Germany? Were you unaware of their barbarous expulsion of Germans from formerly German territory in 1945? Can you ask us to tolerate the monsters who put in Arctic concentration camps every man and woman throughout Communist territory who showed one spark of independence? So much for the Western case. But the East,also,believes that it has a case,Which is the only one that its subjects are allowed to hear.The East maintains that the West is incurably imperialistic and that,while it prates of individual liberty,it suppresses national liberty wherever it can in Asia,Africa,or Latin America. Communists,we are assured,stand for world peace,Which the imperialistic West is continually threatening. And as for the supposed love of freedom in the West,how about its ally Franco who estab1ished a brutal military tyranny by the help of Hitler and Mussolini,and to this day enforces a censorship against all the beliefs by which the West pretends that it is inspired. Moreover, they assure each other that American wage-earners to this day are as badly off as the British wage-earners of 1844 whose plight was so eloquently depicted by Engels.  「しかしながら,お互いが仇の生まれ替りのように嫌っているのを,どうして友好的にすることかできるか。」と双方で言うであろう。この話は残念ながら,われわれに耳新しいことではない。次のようなことはよく聞かされたことである。「ソ連の国民」は無神論者で唯物主義者であることを知っているか。ソ連国民は自分の支配する国においては個人の自由を認めないということを君たちは知らないのか。ハンガリーや東独におけるソ連の残忍な圧制について聞いたことがないのか。一九四五年にドイツ人を旧ドイツ領から,むごたらしく追い出してしまったのを知らないのか。共産主義国内で,ちょっとでも独自の立場を主張する気配を見せたものは,男といわず女でもみな,北極政治犯収容所に投げ込んでしまったあの人面獣心の輩のなすままに我慢していよ(よい)というのか」。これが西側の言い分である。しかし,東側にもまた,言い分があるようである。しかし,それはその国民だけが聞くだけのものである。西側は徹頭徹尾帝国主義で固まっている。また西側は口先では個人の自由などと言っているが,事実アジアでも,アフリカでも,ラテン・アメリカでも,それぞれの国の自由など全く圧迫してしまっているではないかと,東側ではいつも主張している。われわれは共産主義者は世界平和の味方であるが,帝国主義の西側はこれを脅かしているとよく聞かされている。西側が自由を愛していると言っても,西側の同盟国の一員であるフランコ(注:当時のスペインの独裁者)はどうだ。ヒトラーとムソリーニの援助をかりて,残忍な軍事圧制政府を樹立したではないか。そして,西側がいつも鼓吹している自由な信念抑圧の監察制度を(西側同盟国のスペインは)今日まで採用しているではないか。そればかりでなく,今日の米国の労働者は,かつてエンゲルスがその窮状を雄弁に物語ったことのある一八四四年における英国の労働者と同じくらい生活が苦しいことを訴えていると言っている。
これらそれぞれの話は,真実と虚偽のまぜあわせである。それぞれが相手から激しい悪口雑言の反論をひきだしている。この双方の話は,国連の会合で高い地位にある政治家によって語られているが,すべての人がびっくりすることに,それは東西間の友好的感情をつくりだしてはいないのである。
Each of these speeches is a mixture of truth and falsehood.Each produces furious vituperative retorts from the other side.Both speeches are made by eminent statesman at meetings of the United Nations,but,to everybody's astonishment,they do not generate friendly feeling between East and West.  以上の話は,何れも真理もあるが,それと同時に虚偽も混合している。東西とも,それぞれ反対側から猛烈な悪口を浴びている。何れの側の話も,これは国際連合の会議の際,著名な政治家の口から出たものである。しかし,驚いたことに,これらの話によって東西間に友好的感情は全く醸し出されなかったのである。
 しかしながら,宣伝がそのひきおこそうと意図している感情の主要原因になることは,まずない。第一次世界大戦のはじめに,ドイツ人の残虐行為の話は,それがどんなに確実なものでも,でたらめな宣伝として英国の大衆には相手にされなかった。この相違は,大衆の気分の相違にすぎなかった。一九一四年,英国の大衆の大部分は好戦的気分にあり,その感情を正当化する理由をよろこんでうけいれた。一九四五年には,勝利はたしかなものになり,戦争の倦怠がまさに正反対の反応をひきおこした。この二つの事実からえられる教訓は,相手について人が信ずることは,じっさいにおこつているものより,世におこなわれている風潮がその原因になるということである。
Propaganda,however,is seldom a prime cause of the emotions which it is intended to stimulate. At the beginning of the First World War,stories of German atrocities, however untrue,were eagerly absorbed and repeated throughout Britain.At the end of the Second World War,far worse atrocity stories about German concentration camps,though completely authenticated,were shrugged off by the British public as unrealistic propaganda. The difference lay solely in the popular mood. In 1914, the great majority of the British public felt warlike and was glad of reasons to justify its feelings. In 1945, with victory assured, war-weariness caused an exactly opposite reaction. The moral of these two sets of facts is that what is believed about an opposing group depends upon prevailing fashions much more than upon what is happening.  しかし,宣伝というものは,これがかき立てようと企図する感情の原動力となることは滅多にないものである。第一次せ界大戦の始まった頃,ドイツ軍の残虐非道な話が,たとえ本当でないにしても,英国中に広まり,繰り返し人々に語られた。第二次世界大戦の終り頃,ドイツの政治犯収容所にまつわる残忍な物語はこれよりも更にひどく,また真実性があったけれども,英国民はそれは事実無根の作り話だと思って一蹴してしまった。この相違は全く国民大衆の雰囲気次第である。一九一四年には,英国民の大部分は好戦的感情を抱いていた。それで自分たちのこの感情の裏付けとなる理由がある(=存在する)と,喜んで受け入れたものである。ところが一九四五年,勝利の見通しがついた頃になると,戦争に飽き飽きした気持ちが,これと全く反対な反応を起こす原因となったのである。この二つの種類の人間の徳性は要するに敵に対する味方の考え方というものは事実何が起こったかということでなく,むしろ国民一般がどんな感情をそのときもっているかということによって決まるものであるということである。
 東欧と西欧は相互に敵意をいだくべき理由があり,その理由は,軍備の初期の段階だったら,気が狂わずとも戦争を当然のものにするとも考えられる類いのものだった。この事実を否定するのは無意味なことである。一九一七年と一九一八年に新しくたてられたボルシェビキ政権は西欧をイライラさせるいくつかのことをやった。それはドイツと別個に平和条約を結び,帝政時代の国債の支払いを拒絶し,レナ川流域の金鉱を没収した。この一連の行為の結果として,英国・フランス・日本・チェコスロヴァキアはロシア攻撃に参加した。この攻撃を命じた諸政府にとって不幸なことに,陸海軍の兵士はぼルシェビキにたいして敵意をいだかずに,頑強な反乱をおこしたので,それを撤退させざるをえなくなってしまった。意図をくじかれた当局は,女性の国有とかそれと同類の話ででっちあげて世論を支配しようとしたが,貸銀労働者の間にロシアにたいする敵意をひきおこす点で,それは成功をみなかった。しかしながら,それは,政治意識をもった大部分のロシア人の間に深く根ざした激しい敵意を植えつける点では成功したのだった。
It would be idle to deny that both East and West have had reasons for mutual hostility such as,in an earlier state of armaments,might, without complete insanity, have been thought to justify a war. In 1917 and 1918,the new Bolshevik Government did several things that annoyed the West: It made a separate peace treaty with Germany;it repudiated the Czarist national debt;and it confiscated the Lena gold fields. As a consequence of these acts,Britain,France,Japan,and Czechoslovakia joined in an attack on Russia. Unfortunately for the governments which ordered this attack, the soldiers and sailors felt no hostility to the Bolsheviks and mutinied so vigorously that they had to be withdrawn. The baffled governments tried to sway public opinion by invented stories of the nationalization of women and similar fables, but they did not at that time succeeded in rousing hostility to Russia among wage-earners. They did succeed,however, in rousing a deep-seated and passionate hostility to Western governing classes in most politically conscious Russians.  東西両陣営が相互に敵意をもつ理由があった。少なくとも軍備の初期の段階では戦争を起こすにはそれ相当の理由があったと考えられていた。しかしこのことを否定しただけでは片手落ちである。一九一七年と一九一八年において,ボルシェビキの新政府は西側を悩ますようないろいろなことをした。ボルシェビキはまずドイツと単独に平和条約を結んだ。ロシア皇帝の借金の支払いを拒絶した。またレナ金鉱を没収してしまった。これらの行為の結果,英国,フランス,日本,チェコスロバキアの各国が共同してロシアを攻撃した。この攻撃を命じた政府は不幸なことであるが,兵士はボルシェビキに対して全然敵意をもっていなかった。それで政府もついに折れて,撤兵せざるをえなくなった。それで,困惑した政府は婦人の国有化だとか何か愚にもつかない話(注:共産主義のソ連では女性を個人の男性からとりあげて国のものにしてしまうというデマ?)を捏造(ねつぞう)して,世論を静めようとしたが,これと同時に,労働者たちにロシアに対する敵意をかき立てようとしたが,これも失敗に終った。ただ,これらの政府は政治的意識の最も高いロシア人のあいだに,西欧の支配階級に対する根強い情熱的敵意を植え付けてしまうこととなったのである。
もし核兵器がなかったら,こうしたことすべては,やがて鎮静していったことだろう。この兵器は,最初ロシアに,ついで西欧世界に,新しい恐怖感と相互の不法さにたいする新しい確信をうみだすことになった。苦悶する患者が,危険におちいったとき,その危険を増大するあらゆることをしがちになることは,精神病医がよくみかける現象だが,以上のことは,むろん,そうした類いの反応だった。諸国の政府はつねにこうした行動をとってきた。わたしがまだ少年のころ,ロシアが中央アジアをおかして英領インドに侵入する態勢をととのえるのではないか,と英国政府は恐れていた。アフガニスタンがこのロシアの計画を助けるものと懸念し,英国はアフガニスタンに二度戦争をしかけ,これでアフガニスクンも英国に好意をよせるようになるだろうと考えていたのだった。これは愚かしいことだったが,さして重大なことではなかった。現在の愚かさは,心理的にはそれと非常に似かよったものだが,それは世界的規模のものであり,したがって全世界に不幸をもたらす可能性が十分にあるわけである。
 All this might have simmered down in time if it had not been for nuclear weapons.These produced,first in Russia and then in the Western world,a new feeling of terror and a new conviction of each other's wickedness.This was,of course,the sort of reason that psychiatrists study in mentally afflicted patients who, when they are in danger,are apt to do everything possible to increase the danger. Governments have always acted in this way. When I was a boy,the British Government was afraid that Russia, advancing through central Asia, would be in a position to invade British India. It was feared that Afghanistan might help them in this project, and the British therefore made two wars on Afghanistan under the impression that this would cause Afghans to love the British. This was a folly, but a little one. The present folly is psychologically very similar,but on a global scale,and may bring disaster to the whole world.  もし仮りに,核兵器という問題がなかったら,この敵意も自然に静まってしまったかも知れない。しかし核兵器がまずロシアで製造され(!?),次に西側で製造されたので,新しい恐怖感が生まれ,お互いが相手が邪悪だと信じ込むようになった.(松下注:これはひどい誤訳。自由主義世界の人間は悪いのはすべて共産主義という思いからか,鹿島氏も原子爆弾を作ったのは西側の米国だと当然わかっているはずなのにこのような訳して疑問に思わなかったようである。即ち,「produced」というのは核兵器が作られたということではなく,北川悌一訳にあるように,「新しい恐怖感と相互の不法さにたいする新しい確信」が生み出されたことをいっている。)もちろん,これは脳を犯された病人が危篤状態になると,かえって危険を増すようなことを,何でもしがちになるという精神科の反応研究と同じようなものである。政府というものは常にこんなふうに行動するものである。私が少年の頃,英国政府は,ロシアが中央アジアを横断して,英領インドへ侵入しはせぬかと言ってロシアを恐れていた。またアフガニスタンがロシアを援助しはせぬかと心配した。そこで,英国は将来アフガニスタンを味方につけようと思って,アフガニスタンに戦争を二回もしかけた。全く馬鹿気た話である。しかし,これは小さなことである。現在も心理的にはこれと同じような馬鹿気たことが横行している。現在のは全地球的であるから,一歩誤まれば全世界に災害を及ぼすかも知れないのである。
 現在の紛争は,それぞれの側が相手にたいしていだいている巨大なかたまりとなった恐怖・憎悪・疑惑の感情によってひきおこされている。いずれの側にもそうした感情をいだくべきいわれがあることを,わたしは否定しない。わたしが否定するのは,その感情がひきおこす行為が危険を減少するという考えである。行為がそれをおこなわぬばあいより危険をはるかに増大するという意味で,双方の行為は,本質的には正気を失った反応にすぎない。危険について双方が合理的に考えることができたら,彼らはあらゆる宣伝を動員して紛争の基盤を拡大させることはせずにそれを縮小させることであろう。
The present trouble is caused by the vast mass emotions of fear,hate,and suspicion which each side feels towards the other.I do not deny that on each side there are grounds for these feelings. What I do deny is that acts which they inspire are such as to diminish danger. They are, on both sides, essentially insane reactions in the sense that they make the danger immensely greater than it would otherwise be. If both sides were capable of thinking rationally about the danger, they would minimize the ground of conflict instead of using all the arts of propaganda to inflame it.  現在の難問題は,国民大衆が相手の国に対して恐怖と憎悪と懐疑心とを抱いているから起こったものである。両方の立場にそれぞれ,こんな感情を抱く根拠のあることを認める。しかし,大衆が実行したいと思っている行動は危険を軽減するための行為であると言うことはできない。双方にとって,こういうことは現在の危険状態を軽くするどころか,ますます激化するに役立つ不健全な反動である。両方で何とかして現在の危険をなくすために合理的思考をめぐらすことができるならば,闘争をあおるような宣伝術を用いたりせず,ひたすら闘争の原因の除去につとめるだろうと思う。
 この紛争のきわめて注目すべき一部として,東欧と西欧のイデオロギーの相違を考えてみよう。ロシア人は無神論者であり,あらゆる手段をもちいて彼らに抵抗するのがわれわれの宗教的義務だ,とわれわれは教えられている。現代において,この非難は時代おくれの響きをおびている。ソクラテスは無神論で告発され,これが彼の処刑された理由の一つになった。初期のキリスト教徒は,オリンピックの神々を信じないからといって,無神論者の非難をうけた。ギボン(注:Edward Gibbn, 1737-1794, 英国の歴史家)がのべているように,「悪意と偏見が合流してキリスト教徒を無神論者の一味にしたてたのだったが,彼らはローマ帝国の宗教制度にたいしてじつに勇敢に攻撃を加え,そのために裁判官からこの上なくきびしい非難をうけても,いたしかたはなかったのである」(『ローマ衰亡史』第十六章)。だが,後世になり,他の正統派でない神学と同様に,無神論も認められるようになった。中国人は十一世紀に神をすて,蒋介石が政権をとるまでこの状態はつづいたが,われわれが彼らと戦っているときでさえ,これは,彼らと戦う理由にはなっていなかったキリスト教と回教のあいだのイデオロギー的相違は,何世紀もの長いあいだ,両者間の和解を不可能なものにしていると考えられていた。どちらも勝利をえられぬことがわかると、この二つのイデオロギーの信奉者たちは,なんの支障もなく共存できることをついにさとったのだ。一八五四年から一九〇七年まで,ロシア政府は熱心なキリスト教信者であり,資本主義のひたむきな支持者だったが,英国はロシアにたいしていまと同じ敵意をいだいていた。わたしがまだ少年のころ,グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809-1898,英国の政治家)がトルコ人にたいする英国の反感をかきたてるときまで,ロシアにたいする敵意は,英国では当然のことと考えられていた。その当時のわたしの遊びの一つは'いらくさ'をうちたおすことだったが,わたしやすべてほかの英国の少年たちほ,この'いらくさ'を「ロシア人」とよんでいた。だが一九〇七年に,政府はロシア人ではなく,ドイツ人を憎むべきことを決定した。半世紀にわたる英露間の敵意をきおこした紛争はすべて一,二カ月の折衝によって解決され,そのときから一九一七年まで,帝政政府に加えるどんな批判も不快視されることになった。現在もし中国が武力を増大させてロシアの脅威になったら,ロシアと西欧問のイデオロギー的紛争はすぐに忘れられてしまうことであろう。
Take, as a very noteworthy part of the conflict,the difference of ideologies between East and West. We are told that the Russians are atheists,and that it is our religious duty to oppose them in every possible way. In our time this accusation has an old−fashioned sound.Socrates was accused of atheism,and this was one of the grounds on which he was put to death. The early Christians were accused of atheism because they did not believe in the Olympic Gods. As Gibbon states it:‘Malice and prejudice concurred in representing the Christians as a society of atheists, who, by the most daring attack on the religious constitution of the Empire,had merited the severest adimad-version of the civil magistrate'(Decline and Fall, Chapter XVI). But in later times atheism,like other kinds or unorthodox theology, has come to be tolerated. The Chinese became atheists in the eleventh century,and remained so until Chiang Kai-shek came to power,but this was never alleged as a ground for fighting the Chinese, even at times when we were at war with them.The ideological differences between Christianity and Islam were thought, for many centuries, to make peace between the two impossible. When it was found that neither side could win, it was realized at last that adherents of the two ideologies could live together without any difficulty. Britain had the same hostility to Russia as it has now from 1854 to 1907, although at that time the Russian Government was earnestly Christian and a whole-hearted supporter of capitalism. When I was a boy,hostility to Russia was taken for granted in England until Gladstone excited the country against the Turks. One of my amusements in those days consisted of demolishing nettles, which I,and all other English boys,called 'Russians'. But in 1907,it was decided by the British Government that we were to hate the Germans and not the Russians.All the disputes that caused a half-century of enmity between Russia and Britain were solved by a month or two of negotiation,and from then unti1 1917 any criticism of the Czarist Government was frowned upon. At the present day, if China increases in power and becomes a threat to Russia, the ideological conflict between Russia and the West will be quickly forgotten.  現在の闘争で最も顕著な点は,東西間のイデオロギーの相違である。ロシア人は無神論者であると言われた。またあらゆる方法をもって,無神論者に反対することはわれわれの宗教上の義務であると聞かされてきた。われわれの時代では,こういう非難は時代遅れのようにひびく。ソクラテスも無神論者を非難した。これは,彼が死刑になった理由の一つである(松下注:北川悌一訳にあるように,まったく反対(ソクラテスは無神論で告発された。)であるので,ひどい誤訳。鹿島氏は外交官であり,疑いなく英語が堪能なはずであるので,単なる不注意であろうが,ソクラテスのこともあまり知らなかったとしか思われない。)初期キリスト教徒はオリンピアの神を信仰しないと言って,無神論者扱いされた。ギボンの筆によると,こう言われている。「キリスト教徒こそ無神論者社会を代表するものであると言って,悪意と偏見とが同時に暴露されたが,キリスト教徒こそ勇敢にヨーロッパの宗教組織を攻撃して,最も苛酷な文官の非難をうけたのである」。(ローマ衰亡史第十六章)。しかしながら,後に至って,無神論者他の正統派に属さない教派と同様,許されるようになった。中国人も十一世紀には無神論者となり蒋介石が政権の座につくまで続いた。しかし,これは中国を相手に戦う理由とはならなかった。英国の対中戦争の時ですら戦争の理由ではなかった。キリスト教とイスラム教とのあいだにはイデオロギーの相違があり,双方を和解させることは不可能であると,何百年ものあいだ考えられていた。何れの方も勝ちを収めることはできないことが判ったとき,この二つのイデオロギーを信奉する者が何らの困難なしに共存できることを悟ったのである。英国は一八五四年から一九〇七年にかけて,現在と同じようにロシアに対して敵意をもっていた。そのとき,ロシア政府は熱心にキリスト教を支持し,資本主義の支持者でもあった。私が少年の頃は,英国は当然のこととしてロシアに敵意をもっていた。そして,ついにグラドストンは国をあげてトルコ人に刃向かわしめてしまった。当時面白い遊びの一つで,私ばかりでなく,すべての英国の少年か遊んだ「ロシア人」と呼ぶ棒切れを折る遊びがあった。(松下注:このあたりも問題。左の欄の北川悌一訳を参照。)ところが,一九〇七年になると,英国政府はロシア人を憎むのでなく,ドイツ人を憎むのだと言い出した。英国とロシアとのあいだに半世紀にわたって,わだかまっていた敵意を含む紛争が,わずか一,二カ月の交渉で一切解決してしまった。その後一九一七年に至るまでのあいだは,ロシア政府に対する批判は歓迎されなかった。現在になるとどうであろうか。中国が勢力を得て,ロシアの脅威になると,今度はロシアと西側とのあいだにあったイデオロギー上の紛争は即座に忘却の彼方へ去ってしまう有様である。
 ロシアにたいして敵意をもつもう一つの原因は,自由対独裁の問題である。これに関して奇妙な事実が一つあるが,それは,共産主義の脅威にたいして西欧の自由をまっとも熱心に守りぬこうとしている人たちが,西欧の自由を縮小し,ソビエトの体制に近いものをつくりだそうとしてもっとも有力に働いている当の本人であり,心から自由を愛好している人たちは大部分,共産主義との平和共存を可能で望ましいものとだれよりも強く確信している人たちだ,ということである。自由を妨害しようとする赤狩り(マッカーシズム)の光景はじつにばかばかしいもので,小説家がそれを考え出したのだったら,彼はがまんならぬほどとほうもない男と考えられたことだろう。スローガンでつんぼにされていないものの目に明白なことは,東欧における自由の欠如と西欧における自由の重大な脅威は,ともに恐怖が生みだしたものであり,自由を増大するための第一歩は恐怖を減らすことにあるという事実である。自由は死骸にはたいして役だつものではなく,核戦争によって自由を防衛しようとするものは精神病院の患者になってもしかるべき人物だけ,とつけ加えても,おそらく逆説の非難はうけずにすむことであろう。したがって,西欧における口先だけの自由愛更新は,ふつうには無意識なものであるにせよ,口にはださぬ目的をかくそうとする口実にすぎぬことは,公正な観察者の目には明白なものになっているにちがいない。
 Another of the grounds alleged for hostility to Russia is the question of freedom versus dictatorship. There is one curious fact about this,which is that those who profess the greatest eagerness to defend Western freedom against the Communist menace are the very men who are doing the most to diminish Western freedom and produce an approximation to the Soviet system, whereas those in the West who have a genuine love of freedom are,for the most part,those who are most firmly persuaded that peaceful co-existence with Communism is both possible and desirable. The spectacle of McCarthyism in defence of freedom is so ludicrous that,if a fiction writer had invented it,he would have been thought unpardonably fantastic. To anyone not deafened by slogans,it should be obvious that the lack of freedom in the East and the grave threat to freedom in the West are both products of fear,and that the first step towards increase of freedom must be diminution of fear. Perhaps,without being accused of paradox,one might add that freedom is not very useful to corpses,and that any defence of freedom conducted by means of a nuclear war can only be supported by those who deserve to be patients in psychiatric wards. To an impartial observer,it must,therefore,be obvious that the professed love of freedom in the West is a pretext, usually unconscious,to cover up aims which are not avowed.  ロシアに対して敵意を抱いたのは何故か。その理由の根拠の一つに独裁に対する自由という問題がある。この問題について一つ奇妙な事実がある。すなわち,共産主義の脅威から西欧の自由を擁護するために最も熱心な人は,西欧の自由を避け,ソ連の制度に接近しようと勢力している人に他ならないということである。しかも,西欧で心から純粋に自由を愛している人は,大体共産主義との平和的共存は可能であるばかりでなく,望ましいことであると心底から信じ込んでいる人であるということである。自由を守るマッカーシーズムの振舞いは全く笑止千万であって,誰か小説家の創作したものならば,あれは全く許すべからざる幻想的なものであると思われた。スローガンを聞き飽きた人でなければ,誰でも東側には自由はなく,西側の自由が深刻に脅かされているのは何れも恐怖の結果によるものである。したがって自由を盛り立てるための第一歩は,この恐怖の除去でなければならないと思うであろう。おそらく,誰にしても死んだあと自由など役に立つものではないので,核戦争によって自由を守りぬくことができるというのを信ずるものは,精神病院行きの狂人だけであろう。穏健な考え方をするものにとっては,西側で自由の擁護を公言しているのは,何か公言をはばかる目的を隠すための,おそらく無意識かも知れないが,口実にすぎないことは明らかである。
 過去において,軍国主義者はしばしばその目的を達成することができた。事実,歴史は長い一連の帝国主義的征服とみることができる。ペルシャ人はイオニアのギリシャ人を,ローマ人は地中海付近のすべてのものを征服した。ローマ帝国が倒れたとき,蛮人の群れは新しい帝国をいくつか建て,多くのばあい−−たとえば英国において−−先住民の大部分を根こそぎに殺してしまった。しばらくの間,帝国主義の主導権は回教徒の手中にあったが,コロンブスとヴァスコ・ダ・ガマの出現とともに,それは西欧にとりもどされた。西半球のインディアンあるいはインド人のいずれにたいして,白人がそれを支配すべき法的理由はいささかもなかった。世界征服の野心は,つぎつぎにと,スペイン人・フランス人・英国人・ドイツ人を燃えたたせた。キュロス(Cyrus 前600〜529.ペルシア帝国の建設者)の時代からヒトラーの時代にまで延びているこのながい歴史は,東欧と西欧の軍国主義者と政治家の−−いや,軍国主知者と政治家ばかりでなく,一般民衆の−−無意識な欲求の中に深くしみこんだものになっているのである。
Militarists,in the past,have often been able to achieve their aims .History,in fact,may be viewed as a long series of imperialistic conquests. The Persians subdued the Ionian Greeks,the Romans subdued everybody who lived near the Mediterranean. When Rome fe1l,hordes of barbarians established new kingdoms and,in many cases - for example,in Britain − exterminated most of the former inhabitants.For a time,imperialist leadership was acquired by the Mohammedan, but,with Columbus and Vasco da Gama,it returned to the West.There was no shadow of legal justification for white dominion over Indians, either in the Western hemisphere or in India.The pursuit or world dominion inspired success the Spaniards,the French,the British,and the Germans.This long history,from the time of Cyrus to the time of Hitler,has become deeply imbedded in the unconscious aspirations of militarists and statesmen both in the East and in the West− and not only of militarists and statesmen,but of a very large part of the general population.  過去の軍国主義者は,しばしば自分の目的を達成することができた。事実,歴史は帝国主義的征服の長い連続とみることができる。ペルシャ人はイオニア海のギリシャ人を征服し,ローマ人は地中海沿岸に住む民族を征服した。ローマが衰亡したとき,野蛮民族が略奪団となって新王国を築いた。そして,多くの場合 −例えば,英国の場合など− そうであるが,先住民族の大部分を追い出してしまった。一時,帝国主義的指導権を回教徒が握ったことがあった。しかしコロンブスとパスコ・ダ・ガマが現われるに及んで,この指導権はまた西側へもどってしまった。西半球にせよ,インドにせよ,そこに住んでいるインディアンを白人種が支配する権利があるなどという法的根拠は全然ないはずである。世界征服熱はスペイン人,次にフランス人,英国人,ドイツ人と次々にひきつがれた。紀元前のペルシャの王様サイラスの時代からヒトラ−の時代まで,この征服欲の長い歴史は,東洋のまた大西洋の軍人,政治家の,いや軍人と政治家だけではない,一般国民の大部分の人の心の奥に植え付けられたのである。
 殺戮をおこなって成功をおさめる幸福な時代がもうおわりになったことを理解することは,とくに本国で権力になれっこになっている連中にとって,困難なことである。そうした時代をおわらせたのは,近代兵器のもつおそろしい性格である。兵器が社会組織におよぼす影響は,べつに目新しいものではない。それは歴史がはじまったとき,馬とろばの争いで開始され,当然のことながら,この争いで馬が勝利者になった。騎士道の時代はは,その言葉が物語っているように,馬の時代だった。この時代に終止符をうったのは火薬だった。中世を通じて,自分の城におさまっている豪族は諸国の中央政府にたいして自由を保持することができた。火薬が彼らの城を破壊できるようになると,今日でもくりかえしとなえられている自由防衛論を口にしながらも,豪族たちは新たに強大の度を加えたスペイン・フランス・英国の君主制に屈服せざるをえなくなった。こうしたことすべてはよく知られている事実である。いま新しいものは,勝利を得ることが不可能になった事実である。この新事実はじつにおもしろからぬものであり,敵を破ることはけだかくすばらしいことと歴史を読んで思い込んでいる人たちは,近代世界に順応することがまったく不可能になってしまった。ファーブル(Jean Henri Fabre, 1823-1915.フランスの昆虫学者)はその指導者のあとを追う習慣のある一段の昆虫のことをのべている。彼はそうした虫を円盤の上に置いたが,指導者はそれが円形であることを知らず,ぐるぐるめぐったあげく,彼らはついに疲労で死亡してしまったのだった。近代の政治家とその信奉者たちは,これと質的に似かよった同じ愚行をえんじているのである。
It is difficult,especially for those accustomed to power at home, to realize that the happy days of successful slaughter have been brought to an end. What has brought them to an end is the deadly character of modern weapons of war. The influence of weapons of war on social structure is no new thing. It begins at the dawn of history with the conflict between the horse and the ass,in which,as was to be expected,the horse was victorious.The age of chivalry, as the word implies,was the age of the horse. It was gunpowder that put an end to this age. Throughout the Middle Ages,barons in their castles were able to maintain freedom against the central governments of their countries. When gunpowder was able to demolish their castles, the barons,though they made all the speeches in defence of freedom which are being repeated in our own day,were compelled to submit to the newly strengthened monarchies of Spain,France,and England. All this is familiar. What is new is the impossibility of victory. This new fact is so unpalatable that those in whom history has inspired a belief that the defeat of enemies is noble and splendid are totally unable to adapt themselves to the modern world. Fabre describes a collection of insects which had the habit of following their leader. He placed them on a circular disc which their leader did not know to be circular. They marched round and round until they dropped dead of fatigue. Modern statesmen and their admirers are guilty of equal and very similar folly.  自国で権力に馴れた人にとっては,予想通り敵を殺戮できたいい時代は終ってしまったことを悟ることがとくに困難である。そういう時代が終るに至った原因は,近代戦争の兵器の性質が変ったからである。戦争の兵器か社会機構に与えた影響は決して新しいものではない。それは馬とロバとのあいだの闘争など歴史の黎明期に始まったものである。馬とロバとの闘争では,誰でもそう想像する通り,馬が勝った。騎兵隊時代は文字通り馬の黄金時代であった。この時代を中断させたものは火薬である。中世時代までは,居城を構えた大名たちは,中央政府内に自由を維持することができた。火薬がこれら大名の居城を打ち破ることができるようになってからは,大名たちは,今日と同じように自分の自由を維持擁護するために弁舌を振るったけれども,ついに新たに強大となったスペイン,フランス,イギリスの君主政体に屈服せざるをえなくなってしまった。これは世人のよく知っていることである。新しいことというのは,勝利が不可能になったことである。この新事実は誰にとっても不愉快であるが,とくに敵を打ち負かすことは立派なことであるという信念を歴史から学んだ人々は,現代の社会に自己を適用することが全くできないのである。ファーブルは指揮者のあとについてゆく習性をもっている昆虫を集めた話を残している。ファーブルは昆虫の指導者が歩いても果てしない丸い円盤であることを全然知らないような円盤の上へたくさんの昆虫をのせた。ところがこの昆虫どもは,この円盤の上をぐるぐる何回も歩き回って疲れ果てて死んでしまったという話である。現代の政治家と彼についてゆく国民は,全くこれと同じ愚かなことを演じているようなものである。
   ファーブルの昆虫より愚かさにいっそう輪をかけている連中が西欧世界にいるが,東欧においててもおそらく同じことであろう。全面戦争で勝利を鐘得することがもはや不可能なことを認めねばならなくなると,彼らは逃れ場をもとめて,戦いながら死ぬ人の英雄的行為を礼讃し,ほとんど例外なく,その美辞の結び文句としてパトリック・ヘンリー(Oatruck Henry, 1736-1799, 米国の愛国者。雄弁家)の言葉を引用する。パトリック・ヘンリーが闘争で死んだとしても,後世の人たちが自分の英雄的行為の実りをうけることを彼が期待していたことは,彼らの脳裏にほぜんぜん思いうかんでこない。近代的な彼のえせ模倣者は,唯一の結果が生命なき世界になることを確信していても,正義のために戦わねばならぬという考えを,主張する。この極端な見解をとる人びとの多くは,自分が民主主義者であることを公言しているが,彼らは,ほんのわずかな狂信者がそれ以外の全人類を死刑に処する権利をもっている,と考えているわけである。この病的な見解は,前代未聞の極端な宗教的迫害をひきおこすものであり,それがわたしを震えあがらせると同様に,あのトルケマグ(TThomas de Torquemada, 1420-1498.スペインの初代宗教裁判長。判決の過酷と処刑の残酷で有名)をも震えあがらせるであろうことほ疑問の余地がない。自分たちが好まぬ党派が勝利を得るくらいなら,人類を絶滅させたほうがよい,と考えている人たちの心には,無意識ながらも,不誠実の要素がひそんでいるのではないかと思わずにはいられない。戦争によって勝利を接待することができぬことは,彼らにがまんならぬほどの苦痛をあたえるものであり,その結果,彼らは心のどこか片隅でこの事実をしりぞけ,核戦争でなにか奇蹟がおこり,それが彼らの正義と考えているものに勝利をもたらすだろうと信じつづけているらしい。これは狂信者には共通の幻想だが,こうした人たちが大国の政治を支配していることは残念なことである
There are those in the West world,and presumably also in the East, who carry folly a step farther than it was carried by Fabre's insects. When forced to acknowledge that victory in a general war is no longer possible,they take refuge in applauding the heroism of those who die fighting,and they,almost invariably,conclude their rhetoric by quoting Patrick Henry. It does not occur to them that Patrick Henry,if he should die in the struggle,expected to leave behind him others who would enjoy the fruits of his heroism. His modern would-be imitators profess to think that one should fight for the Right even if assured that the only outcome will be a world without life. Although many of the people who take this extreme view profess to be democrats,they nevertheless consider that a small percentage of fanatics have a right to inflict the death penalty upon all the rest of mankind.This morbid view involves an extreme of religious persecution surpassing all that previous ages have known. I do not doubt that it would have horrified Torquemada almost as much as it horrifies me. It is scarcely possible to doubt that there is an element of unconscious insincerity in those who would prefer the end of Man to the victory of a faction which they dislike. It seems probable that they find the impossibility of victory through war so intolerably painful that in a corner of their minds they reject it and continue to believe that in a nuclear war some miracle will give the victory to what they consider the Right. This is a common delusion of fanatics. But it is a pity when such men control the policy of a great State.  西側世界にもこれと同じような人々がいる。おそらく東側にもいて,ファーブルの昆虫よりも,もっとひどい愚行を演じているのである。全面戦争の勝利など最早ありえないことを無理に知らされて,人々は華々しく戦って死んだ英雄の行跡を称賛して自らを慰めたり,パトリック・ヘンリーの愛国美談をもって話を結ぶのである。′パトリック・ヘンリーが立派に戦って死んだならば,あとに残った多くの人々が彼の英雄的行為の恩恵に浴することができたが,今日そんなことは期待できない話である。現代の英雄気取りの男が考えていると告白することは,戦争の結果は,ただ人のいなくなった世界が残るだけであると保証されるにしても,おれは'正義のために戦う'という。こんな極端な考え方をする人は多く民主主義であろうけれども,一部の狂信者が他の人類すべてに死罪を科す権利があると考えている。こういう病的見解のなかには,古今に知られた宗教上の迫害を上回るような極端なものを内蔵している。それはわれわれの心胆を寒からしめると同様に,冷厳をもって一世をならしたトルクマーダー宗教裁判所長の心さえ震え上がらせたに違いないと思う。自分の嫌いな一分子が勝利を収めるくらいなら,人類の絶滅の方がましだと思う人々の心中には,無意識のうちに不真面目なところがあることは疑いの余地がない。あまり悲惨なため,心のすみで嫌っている戦争の勝利の不可能を,人は信じているようである。また核戦争の場合は何か奇蹟が起こって,人が正義だと思っているものに勝利が与えられるものであると,相変らず信じ込んでいる。これは狂信者の共通の妄想である。しかし,このような妄想を抱いた人が一国の政治を司っているとは悲惨なことである。
 この狂気の世界で正気をとりもどすその第一歩は,おこりうる最悪事態が全面的核戦争であることを,双方の側で広く厳粛に認めることである。東欧と西欧の政治家が,敵の成功のほうが戦争にくらべたら小さな不幸だ,と宣言する姿をみたいものである。しかるべき検討をすませたあとで心の底からこの事実が認められたら,双方が膝をつきあわせ,それぞれの重大な利益をそこなうことなく,平和共存を確保するにはどうしたらよいか,を考えることができるようになろう。だが,いずれの側も協議が失敗におわることを希望し,すべての証拠にもかかわらず,自分の側がいまは時代おくれになってしまった意味での勝利を戦争で獲得できると心中ひそかに思っているかぎりは,だらだらとした協議方式をつづけることは意味のないことに思われる。合衆国で軍事訓練をうけている青年は,もし戦争になったならではなく,戦争になったとき,なにをすべきかを教えられていると,わたしはたしかな筋から聞きおよんでいる。同じことはロシアについてもいえるだろう。これは,(印象をうけやすい年ごろの青年が,その国の当局によって,まったくの悲劇におわるに相違ない一連の事件を望みはしないまでも覚悟はするようにと奨められていることを意味する。しかも一方では,青年たちが進むことを命じられている目標となる不幸の大きさは,手段のかぎりをつくして彼らには知らせまいとする努力がはらわれているのである。戦争の危険が減少されるべきものとしたら,この種のことはかえねばならぬことであろう。
The first step towards the recovery of sanity in our mad world should be the public and solemn recognition by both sides that the worst thing that can possibly happen is a general nuclear war.I should like to see the statesmen or East and West declare that the success of their opponents would be a smaller misfortune than war. If this were acknowledged sincerely and after due study,it would become possible for the two sides to come together and examine how peaceful co-existence could be secured without sacrifice of the vital interests of either. But it seems hardly worth while to prolong the tedious process of negotiations while each side hopes that negotiations will continue to end in failure and secretly cherishes the belief that,against all the evidence,its own side would,in war,achieve a victory in the old-fashioned sense. I am credibly informed that the young men who undergo military training in the United States are instructed as to what to do when war comes, not if war comes. I have little doubt that the same is true in Russia. This means that young men at an impressionable age are encouraged by the authorities of their country to expect,if not to desire,a course of events which must be utterly catastrophic,although all imaginable pains are taken to prevent the young men from becoming aware of the magnitude of the disaster towards which they are told to march. This sort of thing will have to be changed if the danger of war is to be diminished.  われわれの狂った社会を,もとの健全なものに戻すために必要なことは,今後起こりうる可能性のあるもののうち最悪なものは全面核戦争であるということを,両陣営が等しく,虚心坦懐に認めることである。東西の政治家が,敵が成功しても,その方が戦争よりも災害は少ないものであることを天下に声明して貰いたいのである。真面目に,慎重に考慮して,このことをよく認識するならば,東西両陣営とも平和的共存こそ一方の重大利害関係など何も犠牲に供することなく円満に達成できるものであることを悟り確信するに至るものと思う。しかしながら,交渉が継続されても,しまいには失敗に終るだろうと,当事者双方が思っていながら,戦争ともなれば,どんなことがあっても自分の方が昔ながらの勝利を収めることができると,密かに信じている。それゆえ,両陣営内の交渉進捗を徒に延引するのは,全く無駄なことである。米国で軍事教練をうけている青年は,一朝戦争が起こった場合,あるいは戦争になるならば,何をするのか行動の指令をうけているという話を,確かな筋から聞いたことがある。ロシアにおいても,これと同じではないかと思う。要するに感受性の強い青年時代のものに,将来つき進まなければならない 幾多の災害について何も知らせまいと苦心してみたところで,どうしても言語に絶するような災害が押し寄せてくることを予め覚悟しておくよう国家がすすめているからである。戦争の危険が軽減されるとなれば,この種のことも当然変更が加えられるはずである。
 これをかえるにはどうしたらよかろうか? これは頂上からはじめぬばならぬものと,わたしは考える。公表と宣伝は現在じつに有力なものであり,どんな強国にせよ,そこの大部分の人びとは必ずといってよいほど,その政府が彼らに信じさせたいと思っているものすべてを信じている。政府がわれわれに信じてもらいたがっていることが,政府が真実であると信じているものと一致することは,まずありえないことだし,ましてや,それがじっさいに真実であるものと一致することは,さらにありえぬことである。大国における権力衝動は人間の欲望と本能をしっかりと捕えているので,事実の認識が支配の衝動の障害になるばあい,そうした認識を確保しつづけることはきわめて困難になる。これが,東欧と西欧の戦争準備の下地になっている心理的事実である。相手の不法をたがいにしゃべりたてることは,良心が身を隠す煙幕にすぎない。わたしは,東欧なり西欧なりが完全無欠だといっているのではない。それとは逆に,双方の政府の罪は深いものと,わたしは考えている。しかし,この事実は,たとえそれが事実であろうとも,双方の国民の絶滅はおろか,中立諸国の国民まで絶滅させようとする理由になるものとは思われない。相互の憎悪を増大させる宣伝はなんの役にもたたぬものであり,それを好んでもちいている連中は,大量殺戮を奨励していることになる。       
How can such a change be brought about? I think it wi11 have to begin at the summit. Publicity and propaganda have now such influence that the majority in any powerful country is pretty sure to believe whatever its government wishes it to believe. It is unlikely that what the government wishes us to believe will be what the government believes to be the truth, and it is still more unlikely that it will be what,in fact, is the truth. Power impulses in great States have such a hold upon men's desires and instincts that it is very difficult to secure acknowledgment of facts when such acknowledgment thwarts the impulse to dominion. This is the psychological truth which underlies the warlike preparations of East and West. The mutual talk about each other's wickedness is merely a smoke-screen behind which conscience can hide.I do not mean that either East or West is impeccable. On the contrary, I think the governments of both are deeply criminal. But I do not think that this fact, if it be a fact,is a reason for desiring the extermination of the populations of both and also of neutral countries. Propaganda which promotes mutual hate serves no useful purpose,and those who indulge in it are encouraging mass murder.  かかる変更を如何にしてもたらすことができるか。まず頂上会議で取り上げるぺき問題であると思う。世間に公表し宣伝すれば,その影響力のために大部分の列国が自分の政府の希望は兎も角として,そういう変化を信ずることは確かだと思う。政府がわれわれに向かって信じ込ませようと望む事柄は,それは政府自ら真実であると信じているからであるとは限らない。また事実,そういうものが真理であるとは尚更限定できないものである。大国における力というものが国民の希望なり本能なりに強く作用するので,かかる事実を認めると,それが支配欲の邪魔となるような場合は,そういう事実の認定が大変むずかしくなるものである。これは東西とも戦争準備をしているあいだ体験する心理的真理である。お互いが相手が悪いのだと言って泥試合をするかぎり,良心を雲の彼方にすっかり隠してしまう煙幕にすぎない。そうかと言って,東西の政府が完壁であるという意味ではない。それどころか,東西政府には双方ともに罪があると思う。これが仮りに事実だとすれば,この事実は東西双方の国民ばかりでなく,中立国の国民をも巻き添えにして,根絶してしまいたいと言う希望をもっていたことにはならないと思う。東西をお互いに憎み合わせるような宣伝は何一つ価値のないものである。こんな宣伝に専念する人こそ国民大衆の殺戮を助長するものである。
 くりかえしてのべるが,和解は頂上からはじまらねばならぬもの,とわたしほ信ずる。キャムプ・ディヴィッド(Camp David. アイゼンハワーの別荘。1959年,フルシチョフ訪米の時,ここで会談が行われた。)がその糸口になったかもしれないのだが,頂上会談の準備中に(米国の)U2飛行機による偵察とその妨害をつづけた東西軍国主義者たちの手によってそれは破壊され,頂上会談はそのためにお流れになってしまった。わたしが実現させたいとねがっているものは,和解委員会とよんでもよい,きわめて小規模なものをつくることで,その構成は東欧と西欧,さらにいくつかの強力な中立国からでた有力者からなり,彼らはしばらくの間いっしょに時をすごし,相手を悪魔の使者としてではなく,個人として考えることになれるようにならなければならない。国連は,中国の国連加盟を認めたあとで,この委員会を任命することもできよう。こうした人たちが,その交際のはじめのころに,具体的ではっきりとした提案をあつかおうとせぬことを,わたしほ望みたい。合意が可能に思われ,合意の必要が明白になる心理状能−−彼らはまずこの状能に達すべきである。近づきになって心がなごみ,この心理状能が生じたあとだったら,意見一致が困難になっている問題処理にすすむことも可能になるであろう。
I believe,I repeat, that conciliation will have to begin at the top. Camp David might have been a beginning, but was sabotaged by the militarists of West and East, who continued the U−2 flights and their interception during the preparations for the Summit Meeting which consequently proved abortive. What I should like to see is the establishment of a very small body, which might be called the Conciliation Committee, consisting of eminent men from East and West and, also, certain eminent neutrals,who should spend sometime in each other's company until they had become accustomed to thinking of each other as individuals and not as emissaries of Satan.This committee could be appointed by the United Nations,given the previous admission of China.I should wish these men,in the early stages of their association,to make no attempt at concrete and definite proposals. I should wish them,at first, only to arrive at a state of mind in which agreement seemed possible and the necessity of reaching agreement had become evident. After the mellowing influence of propinquity had produced this state of mind,it would then become possible to proceed to the tackling of questions as to which agreement is difficult.  繰り返して言うと,東西の和解はまず頂上会談で始めるぺきものであると,私は信じている。キャンプ・デービッドの頂上会談はその先鞭をつけたものであった。ところが,この頂上会談の準備中に,U−2型機を飛ばしたり,これを途中で捕えたりして東西の軍人が邪魔立てしたため,この会談は不成功に終ってしまったのである。私がここで提案したいのは,もっと小規模な和解委員会と呼ぶ程度のもので,これに東西から代表者が数名出席し,さらに中立国からも何名か出席させて,お互いが個人として,あくまで国王の密使でなく(松下注:原文は 'not as emissaries of Satan' なので,「相手を悪魔の使者としてでなく」),腹蔵なく会談する習慣を身につけるようになったらよいと望んでいるのである。この委員会は国際連合が任命するとよい。また予め中共(注:中国)も仲間に入れた方がよいと思う。私はこれらの委員の人々が,はじめは具体的なはっきりした提案など何も行なわない方がよいと思っている。各人は,まずどういう気持ちになったら意見の一致ができるか,そういう気持ちになることが先決問題であると思う。そうすれば意見の一致を見出すことが可能になるのである。お互いの親近感が出て,心を和らげておけば,意見の一致を見出すことが困難である諸問題を解決するのに,ことが円滑に運ぶものと思われる。
 こんなことをやっても,新しい喧嘩の種が生まれ怨恨の情がますだけだ,と考えられるかもしれない。だが,その逆を示す証拠がある。ハグウォッシュ会議(the Pugwash Conferences カナダで開かれた核兵器反対の科学者の懐疑)には東西両陣営および中立国の科学者がすべて参加するが,そこでは,友好的な個人的関係を維持し,全員一致の結論に到達することが可能であることがわかった。長い年月をかけて東欧と西欧がつくりあげた相手のメロドラマ的な像は,個人的接触が緊密になれば,そう長くは心に残らぬものである。こうした接触をつづけてゆくうちに,人びとは相手のもつ共通な人間性に気づいてくる。彼らは同じように寒暑を感じ,腹がすき喉がかわくのも同じである。長いこと時をかければ,彼らはついには相手の冗談もわかるようになる。そしてだんだんと,おたがいの政治的部分はわずかな部分にすぎず,われわれがともにもってい偽のはうが,われわれの異なる抽象的信条よりも大きな場所をしめていることが感じられるようになる。わたしが心に描いているこの一団の人たちは,それぞれの政府から援助をあたえられれば,正気をとりもどす原動力にしだいになることであろう。また,東西双方のカの限界は,大量破壊の近代的可能性によってもたらされたものであり,古い意味での勝利を双方に不可能なものにしているが,このカの限界を,この一団の人びとは東西両陣営に同じように認めさせることになろう。
It may be thought that nothing would come of such a procedure except renewed quarrels and increased bitterness.There is,however,some evidence to the contrary. The Pugwash Conferences in which scientists,Eastern and Western and neutral,all meet,have found it possible to preserve good personal relations and to arrive at unanimous resolutions. The melodramatic picture of each other which East and West have created through the years does not easily survive close personal contact. In the course of such contact,people become aware of each other's common humanity. They share sensations of heat and cold,of hunger and thirst, and even,at long last,an appreciation of each other's jokes,and it comes gradually to be felt that the political part of each of us is only a small part,and that the common humanity which we share covers a larger area than the abstract creeds in which we differ.Such a group of men as I have in mind,if encouraged by their governments,could gradually become a source of sanity, and accustom East and West, alike, to admit the limitations of their power which have resulted from the modern possibility of mass destruction and have made victory in the old-fashioned sense impossible for either side.  そんな手を使っても,結局新しい口論と,不和が増すだけで何もよいことはないだろうと思うかも知れない。しかし,そうならないという証拠がある。東西両陣営に,中立国もまじえた各国の科学者が参集したパグウォシュ会議の例だと,参集者はみな個人的に親しい友達となり,満場一致の決議に到達することができたのである。何年もかかって東西が作り上げた各国のメロドラマのような姿というものは,各人が個人的に親密になりさえすれば,容易に消えてなくなってしまうものである。そういう個人的接触によって,人々はお互いが共通に持っている人間性というものに気付いてくるのである。人々が暑さも寒さも,飢餓も渇きの感情もともに分かち合えば,しまいにはお互いの冗談もわかるようになるし,また各人が分担している政治上の仕事など大したことではなく,それよりも各人一人一人が心の中で分かち合っている共通の人道問題の方がわけの分からぬ抽象的信条などよりも遥かに立派なことであるということが段々身にしみてくるものである。私が心の中で密かに考えているこういうような人々は,政府が援助の手を差し伸べれば,一段と健全なものとなり,東にも西にも同様に,国力の限界というものを認めさせ,ひいては大衆殺戮の可能性を封じ,また旧式の戦争の勝利などというものは東西何れの陣営にとっても不可能なものであることを悟らせるに至ると思う。
 こうした団体が政府にすすめるべき第一の仕事は,おそらく,それぞれの相手に関する正しい知識を普及することであろう。現在は,こうした知識は,双方の側で危険なものとみなされている。アメリカでは,ロシアに関する正しい知識をあたえる本は公共図書館から追放をうけている。ロシアでは,西欧に関する正確な知識はほとんど完全といってもよいほどに禁止されている。第二次世界大戦がおわったとき,西欧で捕虜になっていたロシアの兵隊は,西欧がロシアの宣伝どおりのものではないことを彼らが知っているという理由で,ロシア政府から嫌疑者あつかいをうけたのだった。東欧と西欧の政府は,新聞にのせられる憎悪と虚偽の度を弱め,猜疑心をかきたてるようにたくらまれた一般の誤った考えをうち消すために,新聞をもちいることに,金力をつくさなければならない。
Perhaps the first work which such a body should recommend to governments would be the spread of truthful knowledge about each other. At present such knowledge is regarded on both sides as dangerous. In America,books giving truthful information about Russia are banned from public libraries. In Russia,there is almost complete prohibition of accurate knowledge about the West. At the end of the Second World War,Russian soldiers who had been prisoners in the West were all suspect to the Russian Government because they knew that the West is not what Russian propaganda present it as being. The governments of East and West should do what lies in their power to moderate the virulence and untruthfulness of the Press and to use the Press to refuse such popular misconceptions as are calculated to inflame suspicion.  この委員会組織が政府に勧告すべき第一の仕事は,東西お互いが相手に関する正しい知識を流布させることである。現在そういう正しい知識は,双方とも危険であると考えている。米国ではロシアに関する正しい情報を書いた書物は,公立図書館から閉め出されている。ロシアにおいては,西側に関する正確な知識は全くと言っていいくらい禁止されている有様である。第二次世界大戦の終ったとき,西側の捕虜になっていたロシア兵は自分の眼で見た西側は,政府が宣伝して教えていたものと違っていることを知ってロシア政府に対して不信を抱いた。東西両陣営の政府は,新聞の悪意と虚偽を和らげるために全力を尽すべきである。またお互いに懐疑心を起こさせるような誤まった知識を国民にもたせるようなことを阻止するために新聞を利用すべきである。
 和解をこころみる第一の動機は戦争の防止であり,戦争の意味するものに関する正しい知識がひろく普及されなければならない。武器を増大し憎悪と疑惑を刺激することで生存は確保できぬことが,東欧と西欧の両国民にはっきりと知らされるべきである。 The primary motive in any attempt at conciliation should be the prevention of war,and correct information about what a war would mean should be widely disseminated. It should be made clear to the nations of both East and West that survival is not to be secured by multiplying weapons of war or by exacerbating hatred and suspicion.  和解を心がける最大の動機は戦争の防止である。戦争とは一体どんなものであるか,それについて正しい知識を広く普及させなければならない。戦争兵器を二重三重にしても,また憎悪や懐疑心を昂進させても,生き残ることができるものではないということを東西両陣営の国々に徹底的に知らせなくてはならない。
 現在の世界は,共産主義と反共産主義の世界ばかりでなく,中立国の世界も,毎日毎時,完全消滅の危険につつまれて生活している。この危険をへらそうとするなら,戦争の主要武器を手中におさめてるい人びとの自治権を縮小することが必要になってくる。現在の緊張状態は,即座の報復ができるように準備することが双方に必要であるかのような雰囲気をかもしだし,それぞれが不意の襲撃をしかねまじきものと相手を思いこみ,こうした襲撃がおこなわれたと誤って考えさせる誤差の多い発見方法が考案されているからである。われわれ各人の生命は,驚くべき精巧さをもった技術的発明を支配している人びとの手中にある。こうした人びとは,これは人間として避けえぬことだが,技術の近代的成果自体を究極の目的そのものに考え,すぐれた技術がもっと危険でない方面に転用されると,それを残念なことに思いがちである。東西の緊張がつづくかぎり,技術的支配力をもっている人たちはわれわれの安全の擁護者と考えられているが,事実はまさにその道である。東西陣営がそれぞれ相手にたいしていだいている感情が疑惑の度をうすめ,恐怖の情が弱まるときまで,彼らは危険なものとは感じられぬであろう。わたしはくりかえしてのべるが,世界の危険な状態はふつうの男女のいだく危険な情熱によってうみだされるのだが,この情熱は,双方の愚かしい宣伝にかきたてられてきたものである。もしわれわれが世界消滅のさし迫った危険にもうさらされまいとしたら,ひろく拡められたこうした情熱こそ,しずめなければならぬものとなる。
The world at present,not only that of Communists and anti-Communists,but also that of uncommitted nations,is living in daily and hourly peril of complete extinction. If this peril is to be lessened,it will be necessary to diminish the autonomy of those who control the major weapons of war. The present state of tension has made it seem necessary to both sides to be prepared for instant retaliation, since each side believes the other to be capable of an unprovoked attack and has devised fallible methods of detection which may cause a false belief that such an attack has been perpetrated. The life of each one of us is at the mercy of those who control technical inventions of marvelous ingenuity. These men, as is humanly inevitable,tend to regard the modern triumphs of technique as ends in themselves and to deplore anything that would divert technical skill into less dangerous channels. While the tension between East and West persists, those who have technical control are thought to be the guardians of our safety,whereas,in fact, they are the exact reverse. They will not be felt to be a danger until the feelings of East and West towards each other have grown less suspicious and less filled with fear. The dangerous state of the world is caused, I repeat,by the dangerous passions of ordinary men and women,which have been inflamed by unwise propaganda on both sides. It is these wide spread passions that must be assuaged if we are to be no longer exposed to the imminent risk of total annihilation.  現在世界中の国は,共産主義,非共産主義をとわず,また態度未決定の国々もまた,毎日いや毎時間,全国民がみな殺しになるのではないかという恐怖におののいて生きているのである。この恐怖が軽減されることありとすれば,戦争兵器の大部分を制御する機能をもった人々の自粛こそ必要なこととなる。現代の緊張状態のために,東西両陣営は,相手が故なくして攻撃をしかけてくることがあると思い込んでいるので,自分の方は何時でもこれに報復できる準備を整えておく必要があると考えているのである。またかかる一方的攻撃を事前に看破するため,人の誤解を招くような探知方法を考え出したのである。それで,われわれは誰も彼もが,奇想天外な技術的発明を司る人々の思いのままに翻弄されているのである。人間である以上,かかる人々も近代的技術の勝利はそれ自身が目的であると考えがちである。また技術能力をあまり危険でない方面に転換できるものは何でも開発したがっているのである。東西間の緊張状態が続いている限り,技術面を司っている人々こそ,われわれの安全を守ってくれるものと考えられている。しかし,ことはこれこそ全く反対なのである。東西両陣営のあいだの感情が和らいで,お互いに恐怖の念をあまりもたなくなれば,これらの人々こそ危険にさらされるのである。また繰り返して申し述べると,東西双方の愚かな宣伝によって,そそのかされる普通の市民の恐怖心のために,今日の世界は危険にさらされていると思われているのである。世界の人々を総員皆殺しという最大の災害から守るためには,こういう広く世間に流布した感情を緩和するより他に手立ては何もないのである。
 東西陣営の安全が交渉の成功にかかっていることを双方の政府がついに確信するようになれば,多くのことが急速に実現可能となろう。中立国の管理制度のもとにおける核兵器の全面禁止が,その第一のものである。これをおこなうまで,双方の民衆の恐怖状態をしずめることは困難だからである。これが達成されたら,ドイツとベルリン問題といった難問題のうけいれ可能な解決策を発見する目的をもって,和解委員会が双方に打診をおこなうことが望ましい。この解決策は,東西両陣営間の力の均衡を破るものであってはならず,双方が面子をつぶさずにうけいれられるものでなければならない。このような条件がみたされなければ,提案された解決策を双方がのむ見通しはまずないであろう。和解委員会がもつべき資格はただ勧告的なものであるが,やがて,その提案する解決策に抵抗することを困難にする道徳的権威をそなえるように,それが成長するとが望ましい。もしそれが成功をおさめ,またそれが国連によって任命されていたら,国連は,その仕事をうけつき,世界で唯一の強力な軍隊をそなえた其の世界政府樹立をめざして指導的活動をはじめることができよう。いずれにせよ,人類生存の長期にわたる希望をあたえてくれるのは,世界政府だけである。世界列強の現在の心構えでは世界政府は実現不可能なものだが,人類のすべての友にとって,世界政府こそわれわれの努力がむけられる目標でなければならない。
If the governments of East and West were at last persuaded that the safety of each demands successful negotiations, many things would quickly become possible. I should put first the total abolition of nuclear weapons under a system of inspection conducted by neutrals,for,until this is achieved,the present state of popular terror on both sides is difficult to mitigate If this had been achieved,I should invite the conciliation Committee to approach both sides with a view to finding acceptable solutions of difficult problems such as that or Germany and Berlin.Such solutions should not alter the balance of power between East and West,and should be such as each side could accept without loss of face,for,if these conditions are not fulfilled,there will be little hope of both sides accepting the suggested solutions. The Conciliation Committee should have only an advisory capacity,but it may be hoped that it would in time acquire such moral authority as would make resistance to its proposed solutions difficult. If it achieved success and had been appointed by the United Nations,the United Nations should take up its work and might lead the way to the creation of a real World Government endowed with the only powerful armed forces in the world. In any case,only a World Government affords a long term hope of the survival of the human race. In the present temper of the Great Powers, World Government is not possible,but for all friends of Man it must remain the goal towards which our efforts should tend.  東西両陣営の政府が,自国の安全のために,どうしても交渉を成功に導く必要があると最後に決意するならば,その時こそ,いろいろな事柄が次から次に可能になってゆく。私はまず第一に,核兵器を全面的に廃止して,これを中立国の監視の下におくことを提案する。何となれば,核兵器の廃止が達成しない限り,両陣営の人々の恐怖心は,どうしても緩和することが難しいからである。核兵器撤廃ののち,私はドイツ問題,ベルリン問題等種々厄介な問題の解決策と東西両方が共同で考究するための和解委員会を招請すべきであると思う。こういう解決が達成できたからといって,けっして東西間の力の均衡を破ることはない。また,かかる解決策を受容したからといって,決して面子を失うこともないと思う。というのは,こういう条件が満足に満たされなければ,東西何れも提案の解決策を受け入れる気づかいがないからである。私の提案した和解委員会は勧告をする権能を有するだけである。しかし,この委員会が将来は道義的権威を有するようになって,委員会の提案事項を拒否することが困難になることを望むものである。この委員会提案が成功して,国際連合から委員任命が行なわれれば,国際連合はただちに仕事にとりかかり,やがて世界をうって一丸とした強大な軍隊をもった世界政府が創設される運びとなるものと思う。とにかく,この世界政府ができれば,はじめて全人類が生き残るという長期的希望をもつことができるのである。現在の世界の大国の気持ちでは,こういう世界政府は今のところ不可能なことである。しかし,すべての人類の友人にとって,世界政府こそ,われわれが努力を傾注すべき大目標であることは,何時になっても変らぬものである。
(掲載日:2013.07.22/更新日: )