「物言いたげで唇閉ざして去ったラ氏氏 (バートランド・ラッセル) の肚(腹)裏」
* 出典:『読売新聞』1921年(大正10年)7月31日付期待されたラッセル氏(注:バートランド・ラッセル)と愛人ブラック嬢は、官憲の眼玉(めだま)の光りと病魔の全く癒えぬため、僅かに数語を残したのみで唇を固く閉ざした儘遂に三十日横濱を去ったが、氏に親しく接近して居た某氏は見送り後ホット一息つき、
「先生の言ったことは沢山あるがどうも官憲の忌憚に触れるところが多いので、たとえば過激ロシアと日本の現・・・(←読めず)あるが言うことを憚る。然し氏は、最初本年の三、四月頃には日本の労働問題や社会主義や色々研究する心算であったが、今度はホンの観光に過ぎなかったので勿論何の期待もなかった。帰る時迄には思ったよりも凡ての日本が進歩していることに大いに驚かされ満足して居る風・・・(←読めず)感心して居たし、賀川氏とも大いに共鳴した。尚福田、河田、桑木(理博)、西村氏等とはよく話して、日本が数学的に優越していることを嘆賞して居た。但し現今アメリカの資本主義に禍された日本の官僚、軍閥的政策を排斥した。人種平等を唱えながらその行動は反対で、殊に朝鮮に対しては暴虐を用い、遂に支那をして恐怖の余り米国と携えしめ、朝鮮を益々悪化させて居る。その結果として日本は遂には米国と戦わなければならぬ羽目に陥るかも知れんと憂えていた。そして日本が己(=自)惚れてる様に日英同盟は頼むに足らんし、自力では経済の点に於いて到底勝ち得ないであろうと言っていた。現在の支那は思想的にみても経済組織・政治制度に於いても日本より遙かに劣って居る。支那の今後進むべき道はロシアの取った革命であり、それには熱烈な愛国の士の出現を要する。日本は国際的関係の円満と労働問題の救済に注意せねばならん。若し日本が一度敗戦した暁には必ず或力が来たり、資本家の危ない日が来るかもしれないとかたって居た」そうである。