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「来朝中の哲人ラ氏去る」

* 出典:『読売新聞』1921年(大正10年)7月31日付
 「ラ氏」=「バートランド・ラッセル」


 来朝中の思想家バートランド・ラッセル氏は、愛人ブラック嬢、エレン・ハーパー嬢(注:Eileen Power:アイリン・パワー)と共に三十日正午横濱出帆の加奈陀太平洋汽船エムプレス・オブ・エシア号で晩香坡(=バンクーバー)に向け出発した。之より先桟橋には堺枯川氏を始め多数の社会主義者が見送りの為参集し、此世界的思想家の出発を惜しみつつ首途の行を盛んにした。斯くて船が碇を捲くやラッセル氏は舷梯からあの痩躯をのばし、白手巾(ハンケチ)を振りつつ、両嬢と共に投接吻をなしつつ感謝の意を表したが、桟橋には多数の角袖巡査が見送りの群れに交じりつつ絶えず眼を光らして居た。
 尚同船で過般来朝した比律賓(フィリッピン)島上院議長クェゾン氏も比島独立運動の為米国へ向かって出発した。