初めて刑事の出迎えを受けた哲人ラッセル氏- 昨夕七時横濱に入る,此際沈黙の人でありたり,併し日本の風物は美しい,東京に入るは今日正午
* 出典:『読売新聞』1921年(大正10年)7月25日付<哲人バートランド・ラッセル氏,愛人ブラック嬢,エレン・ハパー嬢(松下注:Eileen Power アイリン・パワー)の一行は,予報の如く24日午後7時40分で(に)横濱(横浜)に着した。ラ氏は白いセル服(松下注:背広)に憔悴した身体をステッキに支え,青い帽子に豊かな肉体を瀟洒なサンマー・ドレッス(松下注:summer dress)につつんだ愛人に扶けられ下車。ジャパン・タイムズ記者の案内で階段を上がるときも蹌々踉々(そうそうろうろう?)として歩を進めていた。横濱署からは正(ママ)服の巡査1名,他に数名の刑事らしいのが氏の一行を警戒して居った。氏は,
「折角の御迎えでありがたいが時間がないので失礼する。東京へ行く事も未定である,私は此際沈黙の人で有りたい」と厳格の面(おも)を初めてほころばせながらやがてポツポツ,
「日本に来て心地よく感じたのは綺麗な海と水の眺めでした。神戸へ来る途中は夜間であったが,甲板に出て眺望したこともある。神戸で労働者の出迎えを受けて会場へは行ってみたが,内には入らなかった。」と。やがて一行を待ち受けた自動車に分乗して,(横濱)グランドホテルに向かったが,昨夜横濱に泊まり,25日正午東京に行く予定だとホテル側の人は語っていた。
(参考記事)「足の遠のく外人客,各ホテルはがら空き,殆ど例年の半減,東京駅ホテルだけが日本人で満員」(「東京朝日新聞」同日=7月25日)
毎年春から夏にかけて英米仏等外人の観光団や避暑客で東京の各ホテルは賑わうのであるが,本年は非常な不景気で各ホテルの外人泊客は例年の殆ど半減である。主なるホテル・・・(以下はコピーしてませんので,興味のある方は図書館でごらんになってください。)
「東京ステーションホテル」
東京駅開業の翌年(大正4年11月2日)創業。辰野金吾(1854-1919)の代表作の1つ。(松下撮影)