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世界平和アピール七人委員会:新委員に井上・伏見氏-反核で近く首相に要請

* 出版:『朝日新聞』1982年5月13日朝刊
* 世界平和アピール7人委員会:アピール
財団法人・下中記念財団について
鼎談:下中弥三郎と世界連邦運動(茅誠司,田中正明,尾崎秀樹)


 世界平和アピール七人委員会は(1982年5月)十二日午後,東京市ヶ谷の私学会館で委員会を開き,欠員となっていた委員に,作家の井上靖氏,日本学術会議会長の伏見康治の両氏を充てることを決めた。また,近く鈴木首相に面会を求め,「六月の第二回国連軍縮特別総会では,被爆国の首相として核兵器廃絶のために積極的にイニシアチブをとるよう」申し入れることを申し合わせた。
 世界平和アピール七人委員会は,昭和三十年十一月に,当時世界連邦建設同盟理事長だった下中彌三郎氏(1878~1961)の提唱で結成された。その時のメンバーは,下中氏のほか,前田多門,湯川秀樹,平塚らいてう,上代タノ,茅誠司(元東大学長),植村環(日本YMCA名誉会長)の各氏。
 だがその後,下中,前田,湯川,平塚,上代の各氏が亡くなり,またその間,委員として補充された川端康成,朝永振一郎の両氏も死去したため,今年の四月八日以降は,茅,植村両氏に途中から参加した大河内一男(元東大学長),田畑茂二郎(京都芸術短大学長)の両氏を加えた四人になっていた。そこで欠員となった三人を補充する必要が生じ,取りあえず井上靖,伏見康治両氏に参加を要請,両氏もこれを了承したものだ。それでもなお一人が欠員だが,「できるだけ早く,できれば女性から補充したい」(七人委員会事務局長の内山尚三法政大学教授(=松下注:ラッセル協会発起人の一人))としている。
 新しく委員になった伏見氏は,記者会見で,「私が選ばれたのは,亡くなられた湯川,朝永両氏と同じ学問の分野にいる人間だからでしょう。であれば,物理学者として,核に関連する情報を委員会に提供できると思う。核兵器廃絶のために力を尽くしたい。」と語った。井上氏は,所用のためこの日の委員会には欠席したが,同夜,都内の講演会場で,「核装備に反対し,国と国との間の紛争解決は平和的にというアピールは,日本人として当然のことだと思う。断るべき理由もないので,参加を了承した。」と語った。