バートランド・ラッセル『反俗評論集-人類の将来』の中の「知的戯言の概要(1943) 」(松下彰良・訳) 610 - Bertrand Russell: Unpopular Essays, 1950
知的戯言の概要(1943) n.61そういった信仰が、冷徹な科学によってすっかり置き換えられてしまえば、恐らく世界は、その興味のいくつかと多様性を失うことであろう(Pehaps + would)。もしかすると(Pehaps)、私達は、アブセダリアンズ(Abecedarians)のことを喜ぶことを自分自身に許してしまうかも知れない。彼らは、あらゆる冒涜的な(profane 神聖を汚す)学習を拒否し、ABCを学ぶのは邪悪であると考えたために、そう呼ばれたのである。そうして、私達は、ナマケモノがノアの洪水以後どうやってアララト山からペルーまでの旅 -大洪水以降、旅行は、移動の極度の遅延によってほとんど信じられないほどになった(はずである)- ができたのか疑問に思ったイエズス会士の当惑を楽しむかも知れない。 賢明な人間は、豊富に供給される財貨(goods)を享受するだろうし、知的なゴミのようなもの(財貨)からも、 他の時代と同様、現代においても、豊富な食事(味わうもの)を見つけるだろう。(参考:助動詞のmayの意味を使い分ける!知っておくべきポイントとは? → https://kimino-school.com/study/post-2660/) |
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.61
|