知的戯言の概要(1943) n.10
この関係から、キリスト教正統派は奇妙に火葬に反対するが、それは神の全能を十分に認識していないこと(注:彼らは信じていると思っているが実際には信じていないこと)を示しているように思われる。焼かれた肉体は地下に埋葬されてうじ虫と化した肉体よりも、神は(肉体の再生のために)再び寄せ集めること困難だろうと考えられる(考えられている)。空気中から微粒子を集め、燃焼の化学的作業を元に戻すことはいくらか骨の折れる作業であることは疑いないだろう。しかし そのような作業が神にとって不可能であると想像することは確かに神を冒することである。(そこで)火葬に反対することは重大な異端を意味する(注:神の全能を信じないことは異端のはず、ということ)と、私は結論を下す。しかし、私の意見(判断)がキリスト教正統派にとって大いに重きをなすかどうかは疑問である。
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Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.10
In this connection the orthodox have a curious objection to cremation, which seems to show an insufficient realization of God's omnipotence. It is thought that a body which has been burnt will be more difficult for Him to collect together again than one which has been put underground and transformed into worms. No doubt collecting the particles from the air and undoing the chemical work of combustion would be somewhat laborious, but it is surely blasphemous to suppose such a work impossible for the Deity. I conclude that the objection to cremation implies grave heresy. But I doubt whether my opinion will carry much weight with the orthodox.
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