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[土田杏村「室伏高信氏の「ラッセル評伝」について」]

『文化』v.3,n.2?(1921年2月?)pp.48-49

*土田杏村(つちだ・きょうそん:1891~1934/右下写真): 評論家/1918年京大文卒。
* 室伏高信「ラッセル評伝」:『改造』v3,n1(1921年1月号),p.115-135.
* 室伏高信(むろふせ・こうしん、1892年- 1970年):評論家・著述家。朝日新聞の政治部記者を経て、第一次世界大戦後に雑誌『改造』の特派員として渡欧。1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで、雑誌「日本評論」主筆。大東亜戦争(太平洋戦争)を賛美。戦後は新生社を創立し、雑誌『新生』を発行。


本号以降、此の『北窓抄録』の欄を設ける。自分(=土田杏村)が読書をして居る間に面白いと思った断片を、順序も無く記述して行こう。我国の雑誌に現れた論文や著者の批評も為す積もりである。併し其の場合に時事に関したものを取り扱う自由を持たぬ事は言うまでも無い。雑誌の批評の場合には、特に新刊と許り限っては居ぬ。何時のものでも自分の興味に随って勝手に批評して行こう。

 (7)北窓抄録-読書雑感

 室伏高信氏の「ラッセル評伝」(『改造』所載)は何故かラッセルと言う人の周囲を許りぐるぐる廻って居て、ラッセル其の人の建築内へは少しも這入ってくれない論文である。ラッセルの哲学と数学との関係を説く処は、如何にもラッセル独特の範囲だから此れには大胆なメスを揮えないとして、其の哲学--所謂論理的原子論というものに就いては、今少し立ち入った議論があってもよかった。いや寧ろ其れが欲しかった。立ち廻り許り大袈裟にやり、(ラッセルの)『ライプニッツの哲学』だの、『数理哲学序論』だのいう小面倒な著作まで、ちょいちょい小道具として使ったが、さてよく見れば何の為に其んな小道具が出てきたのか、一向要領を得ない。

 加之此の論文には、少なからざる誤謬がある。又、多くの検討違いが含まれて居る。例えば、最初の一頁に就いて見れば、氏はウィルドン・カアの文章を引用し、ラッセルが無限の観念を明らかにした功績を称揚して居る。室伏氏は此れをもって先ずラッセル哲学の序言と為して見た訳であるが、室伏氏はどうも此れを見当違いして持ち出された様である。無限の観念を明らかにしたのは、(Russell: Our Knowledge of the External World, 1914, p.185 以下参照)ラッセルが科学的方法を哲学に応用した事の結果であり、其処から直ぐに彼の哲学とベルグソンの哲学などとの相違を述べ来り、随って彼の哲学の特色を論ず可きであるのに、室伏氏はカアの言葉を引用しただけで、障らぬ神に祟り無しと、直ぐに其の引用の次から、顧みて他を言って居る。此れでは鋏と糊の臭味が余りに強過ぎる。其れから直ぐ次に「ペリー・マルヴィン等一派の新実在論は主として、ラッセルの哲学を祖述するものと認められているのである」と書いてあるが、此れは誤謬である。ペリーの如きはジェームスの門弟であり、寧ろジェームスの議論の中の実在論的要素を高潮したものである。随って亜米利加の新実在論とラッセルの其れとの間には伝統上の直接関係は無い。其の議論の様式も異なって居る。