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土田杏村「ラッセルの哲学」

: 出典:『改造』v.3,n.7(1921年7月号)pp.9-14.
* 土田杏村(つちだ・きょうそん:1891~1934/右写真): 評論家/1918年京大文卒。
* 大正時代のラッセルの良き理解者・土田杏村氏は,このエッセイのなかで,ラッセル及びラッセルの哲学を評して,「ラッセルの哲学は正に冷熱だ。ラッセルの人格は正に氷れる熱汁だ。」とたとえている。アラン・ウッドの名著誉れ高いラッセルの評伝(1957年刊)のサブタイトルは,「情熱の懐疑家(passionate sceptic)」となっているが,土田氏はウッドより30年以上前に,ラッセルの特徴を言い当てていたと言える。
 なお,脱字や誤字がかなり見られる上に,当時と今日では送りがなや字体がかなり異なっており,読みにくいところがあるが,最小限の訂正のみ行った。(松下,2004.06.20)

1.論理と情熱との持ち主

の画像  バトランド・ラッセルは,不思議にも相反する二つの性格の平行的持主だ。謂うところの二つの傾向とは,一つは論理に随っての冷静なる思索であり,他は情意に随っての熱情的運動である。ラッセルが数学の原理の学究的検討をやって居る処を見ると,とても社会改造の情熱などを持って居る人の様には見えないで,単に一個の学究窮措大(ママ)の姿を想起せしめるが,さて翻って「社会改造の原理」や「自由への途」を論じ出す情熱の奔激を眺めると,彼が急湍(きゅうたん)の様の性格の流露はまざまざと其の紙面に躍って居るに驚かされる。ラッセルの性格は冷熱だ。正に氷れる熱汁だ。
 我々の環境悪を改造しようという性格の持ち主は,多くはヒューマニズム風の型に属する人物である。人間は万物の尺度なりという言葉が何時までも其等の人物の言動に支配原理となって居る。プラグマチストは現代に於ける其の一つの代表者であったと見てよいだろう。此れに反して専一に冷静なる思索に沈潜しようという性格の持ち主は,自己の人間的要求などを一且棚の中へ蔵い込んで置いて,論理一点張り,学問の体系片押しで以て万事を律しようとする。其の前者には学問自体の体系を無視して,ただ浅薄に,ただ通俗的に随在する惧れがあり,其の後者には,現実複雑の事象に無頓着となって,融通の利かない象牙塔内の窒息化骨(ママ)を経過する危うさが伴う。実にも此の危惧,此の堕落を免れ得た哲人,社会改造家は甚だ少なかった。然るにラッセルは,不思議にも其の両端の性格を併せて具有する,現代に稀れなる性格の持ち主なのである。
 ラッセルの性格は冷熱だ。正に氷れる熱汁だ。

2.彼の哲学的企図

 実はラッセル自身が傾向の此の両端を批評して居る。
 彼によれば,現代の哲学の中には三つの主なる典型を認める事が出来る。
 第一はカント,ヘーゲルの末流としての所謂古典的伝習の哲学であって,此れはプラトオ(プラトン)以来の組織的哲学者の方法と結果とを,現在の要求に適応せしめようとするものだ。第二はダアウイン(ダーウィン)に起って,過去にはハバート・スペンサア,現代にはジェームス・ベルグソンを有力なる闘士とし又闘士とした,所謂進化主義の哲学である。其の第一の古典的伝習の哲学者として近年英国に勢力のあったものはブラッドレイであり,此の学派の社会論,国家論は今も尚,英国の一部に勢力を持って居る。ブラッドレイによれば,世界は論理によって構成せられるのであって(松下注:いわゆる現代論理学=記号論理学がいう「厳密な(狭義の)」論理ではなく,広義の論理),即ち其れは毫末(ごうまつ)も具体的の経験に訴える処が無い。併し其の論理は此のヘーゲル派の其れの如きである可きで無く,否寧ろ其れの反対でなければならぬ。即ち「論理の真の機能は,・・・」,彼の意見に随えば,「経験の事実に適応せられては其れは構成的であるより寧ろ分析的なる可きものだ。」 此くして彼はヘーゲル学派の論理主義(松下注:ここもあくまでもヘーゲル流の「論理=弁証法論理」。)に反対する。
 次に第二の進化主義は如何なるものであるか。此れは其の方法に於ても問題に於ても其の真の学問的哲学では無い。今其の一つであるベルグソンの哲学を一言以て評せんか。第一に,其れの真理は進化の事実に関して科学が蓋然的(probable)であると許した処のものから立論して居まい。進化はただ宇宙の一部の研究である生物学の教える処であって,宇宙其のものに進化あるや否やを教える性質のもので無い。「哲学は一般的なるものであり,其の重要なる興味を存在するすべてのものに取るのだ。」 「進化主義」の哲学は余りに急ぎ過ぎた一般化を行ったものだ。第二に,進化主義の動機及び興味は全然的(ママ)に実際的(practical)であり,其の取扱う問題は純正哲学の問題には殆ど接触しない特殊の問題を研究して居るものである。詳言すれば,進化主義の主として興味を置く点は,人間運命の問題だ。或いは少くも生命の運命の問題。知識其れ自身の為めでは無くて,道徳性又は幸福に関しての興味だ。此れは哲学に取ては全く部分的の問題であって,其れの全部的問題では無い。 「哲学が学問的になる可きであるならば--而して此れが如何にして達成せらる可きであるかを発見するのは,我々の目的であるが,--哲学者が第一に,又最初に獲得す可きものは無利害心的知的探求心であって,其れは真個(?)の学問の人を特色づけるものだ。」 ベルグソンは,直観こそは確実性を持って居るという。如何にも直観は知性に欠く処の信服性を持っては居るであろうけれども,自己認識でさえ,いろいろの虚栄心や嫉妬心やの為めに,精確を保証し難いものである場合に,異なれる人格の壁を透して此れを知る事は尚更不可能の事だと言わねばならぬでは無いか。
 此く批評してラッセルは,全然経験の事実に訴えない哲学と,直観によって知性を不確実のものと見る哲学との間に,弟三の哲学的立場を見出す。それは彼の所謂「論理的原子論」(logical atomism)と呼ばれるものである。即ちラッセ其の人の立場だ。ラッセルによれば論理的原子論はハアヴアート大学の新実在論と其の根本的基調を共通ならしめて居るものだと言う。
 ディルタイに随えば,人間の世界観には其れ其れの典型がある。此の事が真だとするならば,此の個々人を拡大して,各国には各国固有の世界観,典型の国民性を認める事が出来ると言えるかも知れない。実際多少はこうした傾向を断言し得ると私は信ずる。大体に於て独逸哲学者には主知的論理的傾向が強く,仏国哲学者には経験的直感的傾向が勝って居た。'uberhaupt'(一般に)という語が,カントと言わず,独逸唯心論の概観的特徴であるならば,'liberte'(自由)は,(フランス)大革命のモットオであった許りで無く,仏国「自由の哲学」の方向特色を語って居た。哲学の大問題は常に此の独逸派の形式尊重哲学と,仏国流の内容尊重哲学と,両者の統一如何に係って居る。英国はロックヒユウムニル等(松下注:「ロック,ヒューム等」の誤植と思われる)を始めとして経験論哲学の醸成地であった。英語国民は,本来的に経験尊重の性格を把持して居る。其れ故に英国現代の哲学思潮は概略して経験論的傾向であるけれども,併し英国人は又他面冷静公平の気風を有し,健全なる常識の把持者であるから,古来常識学派の如き哲学思潮を生み,又時にヘーゲル学派の代表者をすら産んだ。主知論と経験論とを統一する仕事の産婆は英国人に就て最適であるかも知れない。ラッセルの哲学的事業は丁度其の事に関与して居た。而して彼は此の事業の完成に最もふさわしい性格の持ち主であった。
 ラッセルの哲学的企図は,論理と情熱との調和の人格的基礎の上に立てられた。即ち其れは哲学上の主知論と経験論との統一の事業であった。ラッセルは此の企てをば其の哲学の三部門の中に等しくプロジェクトした。此れが結果は第一の数学の哲学に就ては『数学の原理(松下注:ラッセルの『数学の原理』と『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』とは別の著書であるが,杏村がここであげている『数学の原理』は『数学原理(Principia Mathematica, 1910-1913)』のことと思われる。)に,第二の一般認識論に就ては『哲学の問題(現在出版されている邦訳書名は『哲学入門』)』に,第三の社会哲学に就ては『自由への途』に,何れも学界を驚嘆せしむる名著となって品化せられたのである。

3.「宇宙の市民」としての思索

 哲学の研究には,哲学だけの取る可き或る特別の方法が存在しようか。カントの発見した批判的方法は此の質問に対する一の肯定的答弁であったと見てもよい。蓋し我々の哲学は,他の常識や自然科学の知識の成立し得る根拠自体を究明するものであるから,此れに常識や自然科学の方法の無力な事は言うまでも無い。併し哲学は又一の学問であって,感想や直覚の詩的表明では無いが故に,其の方法は又確固たる一つの学問的方法でなければならぬ。即ち其の方法は同時に客観性を帯んだ其れでなければならぬ。
 此の後者の点に於ては,ラッセルは理想的に客観的であった。彼は其のあらゆる論文に於て,哲学が一つの客観的科学である。其の目的は純粋的に知識である事を力説して居る。其の為めに彼は,哲学が一つの完成せられた体系的科学である事を望んで居ない。ただ一面的の真理であっても,確実的なものであれば其れでよい。又其れがすべて確実的なものでは無く,回答を得る希望がいかほど微少であっても,「此様な問題の思索を続ける事,其等の問題の重要さを我々が知る様になる事,斯様な問題へのすべての接近を検査する事,きっぱり確定せられた知識内に我々の思索的興味を宇宙に於て維持保有する事」,其れだけで哲学の思索は正しい道を進んで居り,また其の目的の幾分づつを達成して居るとした。併し又同時にラッセルは,哲学だけの為に或る特定の方法が成立して居るとは考えて居ない。
 彼は言って居る。「哲学的知識は,本質的には科学的知識と区別の無いものだ。哲学にのみ開かれて科学には開かれないという特別の知識の源泉は存在せす,又哲学によって得られた結果は科学より得られた其れと根本的に相違して居るという事も無い。哲学の研究を科学から分つ其の本質的特性は「批判」という事である。此くしてラッセルが認識論を語り出す時には,普通の物理学者が物理学的現実の事象を語り出すと何の相違も無い態度である。ただ其処に何等かの区別を見る可しとならば,其れは彼自身主張する如く,彼の叙述には同時に鈍い「批判」が加えられて居たというだけの事である。
 さて茲に(ここに)ラッセルの認識論が始まる。「如何なる理性ある人間も,其れを疑うことの出来ないという,其れほど確実なる何等かの知識が抑も存在するであろうか。」「哲学とは何ぞやというに,其れは我々が日常生活の中に於て為し,又進んでは科学の中に於て為す如く,無頓着にして独断的にでは無く,此かる質問を惑わしいものにするすべてのものを探究し,又我々の日常の観念の底に横たわって居るすべての曖昧と混雑とを明瞭にさせた後,批判的に此の如き究極問題に答える,其の単なる企図である。」 彼は先ず,我々の日常経験する感覚に就て考察し,単に我々が感覚と呼んで居るものには,色,音,臭い,硬さ等の感覚的事実と此れを感覚する作用と,及び此の感覚的事実より論理を以て推論せられ,其の事実の原因になって存在して居るとせられる物理的事物と,此の三者の区別を為す可き事を論じた。(松下注:ラッセルは後にこの考え方を修正している。)例えば一つのテーブルの感覚があるとすれぱ,テーブルの硬さはテーブル自体の性質だとは言えない一つの感覚的事実であり,此れを感ずる我々の心的作用は感覚であり,此の感覚の原因であると推論せられるテーブルは物理的事物である。すべての物理的事実の集合を物質と呼ぶ。此の如く一つの心的作用に関係して三者の区別を為す事は,現代の所謂独墺学派の哲学者と呼ばれるブレンターノ,トワルドフスキイ,フッサアル,マイノング等の等しく試みる処であり,独墺学派では此れを内容,作用,対象と呼んだ。ラッセルは我々の心的作用と峻別せられる対象の世界,即ち彼の所謂外的世界の存在を推論しようというのであって,茲に彼の哲学は,独墺学派と全く同様に従来の独逸唯心論の傾向と区別せられる,客観的傾向の方法を取る事となって来た。

4.非我の哲学

 ラッセルの哲学の客観的方法は如何なるものであるか。其れはすべての論理,論理的命題を,一々我々の認識作用に還元せず,論理を,命題を,論理自体,命題自体として,丁度我々が何等かの数学式を取扱う如く,純粋客観的に,分析し,考察しようというのであった。此処にラッセルの詳密なる命題研究が始まる。彼が論理と言って居る場合には其れは帰納法でも無ければ又ヘーゲル論理でも無く,客観的なる所謂数学的論理なのであった。此の論理はブールの途を追ったものであって,ラッセルによれば,希臘(ギリシア)以来,論理に於ける最初の著しい進歩は,ペアノとフレーゲの二氏によって為されたというのである。此くして命題に就ては,数学に於けると同様に,命題の関係というものが非常に重要なものになった。或る物が或る性質を持ち,或は或る物が或る関係を持つ事を主張する命題を原本的命題(ママ)と呼ぶ。要言すれば原子的命題は是も原本的命題である。原子的命題に肯定的又は否定的に対応する事実を原子的事実と呼ぶ。原子的命題が基礎となって他の多くの複雅なる命題を生ぜしめる事は,恰も原子が,分子の中に入り込むと同様のものである。茲に彼の哲学の論理的原子論の名が由来した。存在する世界は多数の物と性質と関係とから成立して居る。
 彼は更に我々の知識に就て詳密な分析を試みた。知識には物の知識,真理の知識とがある。両者共に此れに直接知派生知とを区別する事が出来る(松下注:ラッセルが The Problems of Philosophy, 1912 などで言っているのは,「直接知(直知)」と「記述知」の区別であるが,「記述知」は,「直接知」から'派生'してくるものではない。「個々の知識」から類推などで出てくる知識を「派生知」といっているのであれば,ごく常識的なことであるので,杏村が我田引水しているのかどうか不詳)。派生知は其の末になればなる程,確実度を薄めて行くけれども,併し其れは全然の偽だとも言われない事である。然らば所謂真理とは何であるか。ラッセルは此処でも亦従来の真理に関する見解を慎重に分析したる後,真理の対応説を主張した。もしも客体関係によって関係せられた,客体名辞から成る一複合統一体が信念の中にあると同一の順序に存在するならば,此の複合統一体をば,信念に対応する事実というのである。
 通俗に哲学と言えば,或る哲学者の世界観,人生観を意味する。術語的に言えば所謂形而上学である。併しラッセルの哲学からは毫末(ごうまつ)も独断的形而上学の声を聞く事が出来ない。其れ故に,ラッセルに就て哲学上の何等かの結論や何等かの信仰を聞こうとするならば,其の人は直ちに失望する。彼にはただ部分的の認識論的研究があるのみだ。ラッセルは寧ろ世間一般の人間の求める形而上学的独断を排斥した。而して此の如き要求を生産する個我の執拗を客観的対象の世界に没入せしめ,「宇宙の市民」としての公平を以て,個我の迷執を批判し,破却しようと努めた。もしも強いてラッセルに形而上学を求む可しとならば,「自由人の愛」が即ち其れであると言ってよいかも知れぬ。彼は其の著書『哲学の問題』の最後に於て次の如くに主張して居る。「真の哲学的瞑想は,其れの満足を非我の拡大に見出し,又瞑想され居る客体を拡大し,しかも其の場合に主体は瞑想しつつある様なすべての物の中に見出す。自由の知性は,神の見る如くに見,此処彼処の区別を離れ,希望と恐怖を離れ,習俗的信仰と因習的僻見の桎梏を離れ,静澄に,非激情的に,単一にして又独特なる知識の欲望に於て--知識,其れは非個人的にして,純粋瞑想的にして,人間に取り獲得の可能なる知識--見るのである。」
 此れ即ちラッセルが転じて社会哲学と論ずる場合の態度であった。信條であった。彼は此れに於て,唯理論に相当する国家社会主義と,経済論に相当するアナアキズムと,両者の統一を求めて結局,コール,ホブソン等の,ギルド社会主義の立場に賛成した。併し其の批判は徹底的に非我への没入である。因習的僻見の打破である。其の態度には非激情的の激情が動いた。非個人的の個人が生きた。
 ラッセルの哲学は正に冷熱だ。ラッセルの人格は正に氷れる熱汁だ。