バートランド・ラッセルのポータルサイト

「ラッセル氏の帝劇見物 - 廻り舞台に興がったり、舞台裏で記念撮影

* 出典:『東京毎日?新聞』1921年(大正10年)7月26日付

 横濱グランドホテルで一夜を送ったラッセル氏は、25日午後5時新聞社の写真班の攻撃を恐れて通訳と唯二人入京し、帝国ホテルに小憩の後、改造社の山本氏の案内で帝劇を見物した。

 愛人のブラック嬢とパワー嬢は一足遅れ、帝劇のボックスで落ち合った。すっかり元気を恢復したラ氏は、相不變(変)無造作に結んだネクタイ、白麻の背広に黒い細い杖をついて、道具の間をくぐって舞台裏に出かけると丁度そこへ公暁の出を待つ勘彌と顔があって記念撮影をする。
 ブラック嬢は白粉(おしろい)を塗った勘彌の顔や黒く引いた太い眉に興味をもったらしく見とれたり、勘彌を立たせて携帯のカメラで写したり、大はしゃぎであった。
 ラ氏の注文で食事はホテルで食したいとおぼつかなげに車に乗って一時帰り、9時再び岡本綺堂氏の「切支丹屋敷」、朝妻櫻の物語を見に来た。
 破獄を企てる囚人の折れ釘や踏み絵等の基督教徒迫害の歴史に可成り興味をもってブラック嬢としきりにささやいていたが睡(眠)いとあって10時退場してホテルの2階32号室に雨をききながら滞京の第一夜を送った。

 ラ氏は「言葉の解らぬのが残念であるが勘彌の公暁は熱もあり動作も確かにうまい。併し脚本で見ると公暁が余り弱く思える。廻り舞台も舞台装置も面白い。」と語っていた。