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(朝日新聞「今日の問題」)
索 引


「ラッセル君東上、今明日中東京へ来て・・・」
『東京朝日新聞』1921年(大正10年)7月26日付

 (第1面のコラム欄「今日の問題」より)

 ラッセル君東上、今明日中東京へ来て予定の講演を始めるつもりか。所謂無産階級の同情者、共産主義(松下注:今の言葉で言えば民主社会主義に近い)の鼓吹者、哲学者、数学家として同君の名は可成り世界的に知られている。近来の一珍客に相違ない。
 この珍客の日本着以来の消息を聞くと随分貴族的な、悪く言えば人を見くびってかかるような態度がありありと見える。クロニクルのヤング君の感化かも知らぬが、色眼鏡を外してもっと真剣に日本人の多数に接し、真剣に日本の事情を研究しなければ、君の来訪は無意義だ。
(松下独り言:ラッセルは改造社(=雑誌『改造』で著名)の懇願により、中国から英国への帰途、日本にごく短期間立ち寄っただけである。横浜駅で(フラッシュは勘弁してほしいとの要請にもかかわらず)多数の新聞記者のフラッシュを何度もあび、妊娠していたドラ・ブラックに悪影響があっては大変と一瞬怒りを覚えステッキで新聞記者を追い払おうとした出来事があった。これを誤解し、「随分貴族的」だといった識者がいた。それにしても、「色眼鏡」で見ているのはこのコラム担当者(論説委員の一人と思われる。)ではないか。有名な思想家は、単なる海外旅行は許されないのか。訪れた国々においては「多くの人に接し、真剣にその国の事情を研究」しなければ、その国を訪問する意義はないとでもいうのだろうか。)
(以下は直接的にはラッセルに余り関係ないが参考まで)
 不景気風は例により学校卒業生に及ぼし、この夏卒業の新学士連数百名研究室に居残りだと。欧米ではこれが常態だ。学校出の肩書で飯が喰える時代は過ぎたのだ。形式から実質へ、世の中は長い眼には公平に動いて行く。

 太平洋会議の範囲?についても日米の間にいよいよ妥協出来、十一月頃ワシントンに大会議の開かれることは確実になった。尠くも(すくなくも)東洋の問題については、日本が中心だという大抱負と覚悟とを持ってこの会議に臨む事が何よりも必要だ。原(ママ)首相の腹は案外堅いらしいが、外務省あたりが案外却ってグラつく傾きのあるはどうしたものか。

1923年(大正12)9月1日の関東大震災で壊滅状態となった横浜市の中心部
(出典:【大正時代の写真】関東大震災