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(1)「病哲人静かに語る、東上したラッセル氏」+(2)「コラム欄」(同ページ)
『東京朝日新聞』1921年(大正10年)7月25日付

* コピーが不鮮明で判読不能のところが多いため、とりあえずの掲載とさせていただきます。精確に知りたい方は、大学図書館や都道府県立図書館などでお読みになってください。


(1)「病哲人静かに語る、東上したラッセル氏」

 「無産階級(プロレタリアート)の同情者」世界的思想家ラッセル氏は、若い愛人ブラック嬢をつれて穏やかな(?)奈良に、水清らかな京都に、たっぷりと真夏(?)の情趣に浸っていたが。奈良ホテルの湯上がりのバルコニーに夕月の涼味を酌んで、「もう一日泊まりたい」と予定をはぐらしたが、昨朝やっと京都をたって東上の途についた。車窓に入る沿道の風光に病後の思想家は(?)からず感激に打たれつつ、憧れの富士を雲間に見る沼津間近く、氏はクロニクル社の(ために)「日本の社会主義」を書いた。
 青表紙の小冊子をトンと伏せた。白麻の背広に青味がかった?飾、痩躯鶴の如しといった氏の顔は、眼は深く落ちて鼻?と秀でた病後の憔悴?さを偲ばしめたが、いかにも神経質な「癇癪?持ちです」といわれる面影が見ゆる。不自由な足を一等車にゆるやかに組んで、改造社の山本社長が贈った煙草?をくゆらしながら、ピタリと寄り添う白い豊満な肉体のブラック嬢と?と一語一語にこまやかな情緒をほぐらせる。隣席のパワー嬢は絹張りの?を胸のあたりにサラサラと揉んで、?にカメラを?っていた。氏は疲れたらしい身体を?そうに?に支えながら、?と語りだした。

(右写真:左から、ラッセル、パワー女史、ブラック嬢)
日本に受けた印象といっても単純な漫遊の旅であるだけ(に)、京都や奈良の景色が美しいと感じたのみです本願寺は立派でした。日本人に対する感情なり印象なりは、私は多く(の日本人に)接しないし、深くも知らぬから語り得ない。私は、京都で大学の教授とも話した。日本の文化の程度は英国とさほど隔たりがないと思っている。日本の数学は非常に発達している。」
(と)数学家の立場として氏は、一?にそういう批判をくだした。神戸における労働争議の内容批判は避けたが、
「日本の労働組合はよく発達している様に思うが、一方からなぜその組合を破壊しようとするのか、私はその破壊の目的が少しも判らない。」
と、氏が唱えるギルド社会主義者の立場から見ては極めて不可解であったらしい。
「そうして日本の社会主義者は、一体どういう目的で進んでいるのか、私にはまだ判らない。」
 氏は日?浅しとして避けた。話は現下の大問題とされつつある太平洋会議に移・・・?
「・・・なぜ日本は軍備制限を先ず提唱しなかったのか、英国が日本を助けて日英?守同盟の上から米国に当たるとしても成算あるかどうか疑わしい。これは非常に大問題である。」
と言って、話をさらに支那に転じ、
「支那は助けなくてはならない。支那をたすけて支那を強くなるとは、やがて日本それ自身が永久に強くなることである。これは日本の為十分考え(る)べきことで、欧州諸国からも支那分割問題などは決して起こるまい。四国借款のごときも戦(?)略的に成立する様になると結局は支那を?らし、ひいて(は)日本に*ってくることになろう。私は、何よりもこの点に対し日本の存在を強固にし、東洋の平和を維持する為、日本は支那に対して決して威張ってはいけないのだ。」
(と)氏が理想とする世界平和の一部をもらした。そうして
「私は疑う。支那は米国と結ぶかもしれない・・・?。」
氏は日本のような伝統的結婚(制度)の破壊的実行?主義者だけに
「日本の結婚制度は非常に残酷である。」
と一言もらした。田園の青年が都会集中の結果から荒廃?の憂いあるを話すと氏は、
「それは次なる問題である。」
と?いった。傍らに沈黙を守っていたケンブリッジ大学講師パワー女史は、
「米に代用される何物かがありますか?」
と言う。日本に於ける種々な方面の深刻の批判を求めると氏は、
「それはお気の毒ですが・・・。」
と避けてしまう。最後に氏は、こういった。
「世界に於いてもし尊敬すべき人を求めるなら、其処には二人をあげることができる。曰くレーニン、曰くアインシュタイン」
 斯くて午後七時半、横浜に着いて、グランドホテル(右写真:拡大するに入った。
 今(日)二十五日午前十一時上京、帝国ホテルに来る筈で、今日は帝劇を見物し、明日は真面目な学者、思想家などと談話会を催すと


(2)「コラム欄)(同ページ)

 ラッセル教授を引っ張ってきた改造社の山本実彦君が昨日京都から東道の主人として同車して来たが、その同じ室*には、一木真徳郎氏が座をしめている。ラ氏はその間厚い本を2冊読み終わったが、一木さんもまた負けずに何やら本から眼を話さぬ。そこで山本君?々と感心して、「よくも双方ああまで根がつづくものさね。」
*松下注:ラッセルは東海道線の一等車にのっていたそうであるが、個室になっていたようである。)