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(1)「神戸の争議にラ氏臨席」+(2)渡来船上の病ラ博士-日本国民に謝意を通ぜよ
『東京朝日新聞』1921年7月17日付第4?面


(1)「神戸の争議にラ氏臨席」

 神戸川崎造船所休業職工の幹部連八十名は、昨夜協議の上、代表者八名で同造船所の大株主を歴訪し其諒解を求め且つ軍費補充の為、職工姿で行商を行う事等を決議したが、営口丸で十六日門司着のラッセル博士から賀川豊彦氏へ「十七日正午神戸着貴下を訪問す」との電報があったので、賀川氏は、三菱川崎両造船所職工の友愛会員を率い、波止場で博士の上陸を迎えて、大倉山で前日同様大運動会をなし、博士の観覧に供し、活動写真をも撮影すると(神戸特電)
*右写真:大正4年時の門司港
*その他の情報源:「幕末・明治期日本の古写真データベース」



(2)渡来船上の病ラ博士-日本国民に謝意を通ぜよ

 (英国に)帰国すべく北京を発したラッセル博士は、愛人ブラック女史と共に十六日朝、門司着、海路神戸へ向かったが、記者が朝日百万の読者を代表して、博士の来朝を心から歓迎する旨を通ずると、卵色の背広服に包んだ病躯を椅子から心持ち起こすようにして、「有り難う、貴紙を通じて全国民に宜しく伝えて戴きたい。」と述べ、日本では三箇月前に死を伝えられた私が、この外の何事も発表し得ないのを残念とする旨、簡単に口を噤み、ブラック女史も沈黙を守っていた。(門司特電)