ケン・コーツ(編)『社会主義ヒューマニズム』へのあとがき(牧野力)
* 出典:ケン・コーツ(編)、日本ラッセル協会(訳)『社会主義ヒューマニズム』(理想社,1975年8月刊 311pp.)* 原著: Essays on Socialist Humanism, ed. by Ken Coates. Spokesman, 1972.
あとがき(牧野力)
ラッセルは、マルクス主義に批判的なところがあったが、『共産党宣言』を人類史上稀にみるユートピア作品と激賞した。それは、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる」ような1つの協同社会をつくることを目標としていることへの共感であったからである、と思われる。「物」と「階級」との支配から人間を解放する社会を目指すのは、利己心・無知・偏見・迷信のとりこになっていない人ならば当然で、誰もそのような社会を望むのではあるまいか。
ところが、性急な心情から選んだ実現の方式は、それぞれの社会の置かれた客観的条件や民度(民主化度)に影響されて、特色ある過程をたどらせてきた。地上の社会主義国がソ連だけであった時代にはソ連型社会主義方式が、唯一の指導的支配力を揮った。第2次大戦後、事情が変わった。地上に誕生した十余の社会主義国には、それぞれの民族的特色が出てきた。基本原理と共通項があっても、それぞれの社会主義化は民族的多様性を示している。ソ連一辺倒的な発想は改めて問い直されてきた。先進工業国の仲間入りしたソ連自身でも、閉鎖的な1国社会主義型から離脱・変貌の過程を歩んでいる。
「人間の顔をした社会主義」というコトバがソ連のチェコ侵犯以来、広く地上にひろまった。これは、閉鎖的・独裁的な変革に対する解放的・民主集中的な変革を求める心情と方式とのシンボルであるかのようである。大国か小国か、先進国か未開発国か、資源が豊富か乏しいか、科学技術や工業力がどの程度か、民度はどうか、立地条件や国際関係がどうであるか、などがどうであるかによって、それぞれの社会主義的国造りに、それぞれの差が当然生まれる。これは、現実的に、無視できない。特に、高価で悲痛極まりない犠牲を払ったソ連人民の実情が明るみに出て、一層、社会主義を原点から再検討せざるをえなくなった。
社会主義は、もともと、ヒューマニズムの発露であり、各人に非民主的な犠牲の強要をしないことが不即不離の条件であろう。どんな実現の方式も、その基底にこの深い人間的配慮を欠けば、何のための社会主義か、ということになろう。今まで、とかく、資本主義と社会主義の相反的部分だけに焦点をあて、大写しに強調し、性急な方法論を案出し、対時的・決戦的な心情に、拍車をかけてきた。両者は共に、人類のたどる過程にすぎないことを理解し、移行条件を研究するというよりも、むしろ不必要に闘争的に駆り立てられた。かえって、協力的・創造的・建設的な基調から離れやすかった。しかし、ラッセルはこういう論理と背景について、19世紀末から20世紀初め、約半世紀前に、警告している。
協同社会をつくるために、人間を資本から解放すると共に、人間自身の魂の解放もまた必要であり、社会主義社会は人間の創造性を不可欠とし、これを支えるものは民主主義であり、また、社会主義の主要目標である利潤分配の公正もまた、そこにしか宿らない。憎悪の哲学で感情的に点火して、権力奪取と独裁体制とが実現しても、大衆の自覚的協力体制や創造力を生かす実体は、却って、遠ざかってゆく。組合社会主義者(ギルト・ソシアリスト)ラッセルは考える。労組の充実により、一方では、大衆の民主的政治訓練を行い、独裁的官僚層の権力悪を監視し抑制する力を養い、他方では、産業民主制を実現する母胎としての勤労大衆の業務管理能力の広く厚い層の育成を計りあわせて、前衛的独裁集団が権力悪の温床になることを避けようとした。独裁理論は大衆を教育するより強制を招く。彼の所説を半世紀の現実が立証している。
こういう発想をするラッセルの生誕百年祭の行事として、ラッセル研究家たちが寄稿し、まとめた1冊が本書(K.コーツ編)である。(右写真:ラッセル平和財団理事長のK.Coates編『核廃絶の力学』)そして、ソシアリスト・ヒューマニズという標題の趣旨も、以上の点を背景としているのではあるまいか。
原著はバートランド・ラッセル平和財団日本資料センター所長・岩松繁俊教授から理想社・佐々木隆彦氏に送られたもので、日本バートランド・ラッセル協会は、谷川徹三会長の同意をえて、ここに翻訳刊行することになった次第である。原著の13論文の翻訳は10名の方(内3名の方に2論文を担当して頂く)にご依頼し、編集上のことはすべて出版社に一任した。訳語についてはある限度内で統一を計り、原注は出来るだけ原文を生かし、また訳者の注は短いものは括弧〔 〕の中に小活字にて本文中に加え、長いもののみ*印を付して原注の後に記載することにした。
最後に、お忙しい中に玉稿を賜わった谷川徹三会長に心から感謝の意を表する次第である。社会主義者ラッセルの所説の理解及び研究に役立つならば、訳者・発行者一同の望外の喜びである。
昭和50年5月1日 訳業世話人 牧野力