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野村実(『ラッセル=シュワイツアー往復書簡』への)「まえがき」
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会,1982年9月)pp.1-3.

* 原著:The Correspondence between B. Russell and A. Schweitzer, by Prof. Herbert Spiegelberg. In: International Studies of Philsophy, v.12(1980) 所収
* 野村実氏からいただいた手紙が行方不明(多分,早大ラッセル関係資料コーナーに寄贈)のため,いつ頃だったかよく覚えていないが,随分前に,野村実氏(故人:当時「日本シュワイツァー日本友の会」会長)から,ラッセルとシュワイツァーの往復書簡(全訳)が収録されている『シュワイツァー研究』n.11を寄贈していただいた。埋もれたままにしておくのももったいないし,シュワイツァーに関心を持っておられる方々にも参考になると思われるので,何回かにわけて,ホームページに掲載させていただくことにした。
*「シュワイツァー日本友の会
* ラッセルとシュワイツアーが会見している写真


雑誌『シュワイツァー研究』n.11の表紙画像の写真  ここにのせるバートランド・ラッセル=アルベルト・シュワィツァー往復書簡は,一九五五年末からシュワィツァー永眠の年である一九六五年の三月にいたる十年間に,両者のあいだでやりとりされた,あわせて四〇通ばかりの書簡に,ワシントン大学教授 H.スピーゲルバーガー教授が編集者としての解説を加えたものである。(口絵写真)
 したがって,現在の世界平和の問題にとっては,古いと言えば時代ものというべきかもしれないが,かたや,世界の諸政府に向って世界平和を勧告した有名な「ラッセル・アインシュタイン宣言」(一九五五年)の主唱者である倫理学者・哲学者であり,かたや,遠く原生林のはざまにかくれて,「生命への畏敬」の哲理を実践しながら,これまた全世界へ向って独りで反核を主張していたキリスト者・文化哲学者である。
 この両者がひとしく平和論者であるが故に,政治思想の相違を超え,しかもおのれの主張を曲げることなく,世界の平和を中心課題に,十年の交友を続けた記録として,まことに貴重であると思う。残念なことは,いずれも礼儀正しい交友であるので,主張の細部にわたっては深く理解しえないものが残るが,シュワィツァーを学ぼうとする者にとっては興味尽きない資料である。
 これを入手したのは昨年(1981年)八月であった。わが「シュワィツァー日本友の会」が主催して,シュワィツァーのゆかりの地をたずねようと,一行三〇名でアルザス,スイス,ドイツの各地を廻ったことがある。その途次,一〇名ばかりが,フランス友の会会長である H.バウル博士のバーゼル市の私邸で,F.ブーリー教授も同席しての歓談のときをもつことができた。そのさい,バウル博士からこの論著の写しを頂き,かつ邦訳を勧められた次第である。
 いま,全世界に反核反戦の声が高く叫ばれている。さる六月,ニューヨークで開かれた第二回国連特別軍縮会議にむかって,平和を願い求める全人類の切なる願いが,草の根運動として盛り上ったといってよいであろう。しかし,それらとはうらはらに,国際関係や軍備拡充は少しもゆるむ気配もなく,人類は一触即発の危険にいつもおびえざるをえない状勢にある。
 この時代に,われら何をなすべきか,誰もが考えるであろう。声明か,署名運動か,意見はまちまちであるが,歴史はなにによって動くのであろう,政治か,世論か,偶然か,天は人間の愚をあわれんでいるように思えてならない。私はこの往復書簡が世界平和の重要さ,複雑さと,それへの道の困難さを語っていると思う。なかんずく,私はシュワィツァーの慎重な態度に学びたい。
 いま,出版の運びとなるに当って,私はこの書簡と論考の翻訳を勧められたバウル博士と,それを喜んで許可されたレナ夫人,およびスピーゲルバーガー教授に心から感謝したい。
 また,ラッセル書簡は英語,シュワィツァーのはフランス語かドイッ語で書かれてあって,これらを一貫して翻訳する労を負って頂いた會津教授に厚くお礼を申しあげる。

一九八二年九月四日 会長 野村実


附記原文は International Studies of Philosophy, v.12(1980) にのったものの全訳である。ただし,このなかの第三六,三七の書簡が何の都合か欠けていたため,次号誌の発行前に著者から送って頂くのに手間取った。また,ラッセル関係の書簡類の大多数が,カナダのマクマスター大学に売却され,同大学の翻訳許可を要したり,他の大学で版権を所有するものもあるなどの事情が,最近ようやくわかったしだいである。
 また,はじめてこれを単行本として刊行したいと書店と交渉したが,それには枚数が少なすぎて,希望は叶えられなかった。止むなく本誌にのせたが,本誌としては頁数が多すぎるので,他の論著は次号に譲ったこともあわせてご諒承頂きたい。