バートランド・ラッセルのポータルサイト

紹介 -「偉大な思想家の実像(バートランド・ラッセル)

* 出典:『毎日新聞』1970年6月28日付(夕刊?)[「きょうのほん」のコーナ]掲載
* 日高一輝(著)『人間バートランド・ラッセル-素顔の人間像』の紹介
* 鈴木芳郎は、日高一輝氏の本名らしい。

 

 ことし(1970年)二月二日、九十七歳で、波乱に富んだ生涯をとじた巨人ラッセルの知られざる人間像を猫き、多方面にわたる英知を簡明にまとめたものである。哲学者で数学者、科学者、平和運動家であり、ノーベル文学賞、英国最高栄誉のメリット勲章をうけたラッセルは、また、恋に生き離婚に苦吟し、どん底生活を味わい、自殺を再三思いたったという半面をもつ人間でもあった。欺瞞(ぎまん)を憎み、人生をまっすぐに生き、言行一致を求め、しかも損得を越えて実行した二十世紀最大の思想家の'真実'を、ラッセルと親しい著者が、人間愛を基調にして語り、その実像を明らかにしている。

 

三度の離婚に苦しむ

 ラッセルは二歳で母を、四歳で父を失い、総理大臣をした祖父と祖母のもとで育てられた。内向的で孤独な少年で早熟、十五歳で性欲を感じた。ラッセルが初めて恋をしたのは、アリスだった。彼がケンブリッジ大に入学する前の夏十七歳の時、アリスは五つ年上だった。アメリカのブリン・マー女子大の学生で清教徒的な女であった。やがて彼女に求婚したが、祖母や叔母たちは、英国の伝統にあわないと反対した。それでもラッセルは伯爵の父から相続した二万ポンドの財産があったので、五年後に結婚した。だが、彼は子どもを欲したのに、アリスはほしがらなかった。「彼女は高潔な態度を示そうとして偽善に陥っていった」と彼は言っている。(後に医者に見てもらったところ、アリスは産めない体であることがわかった。)
 ラッセルは愛していないと感じると離婚した。ラッセルの生徒の友人だった、二度目の妻のドーラとの生活も不幸に終わった。ラッセルは恋愛は真実であり真剣なものでなければならないとした。だから愛してもいない男性に媚態(びたい)を示す女性を非難した。見せかけものは別れた方がよく、自然だとした。
 ドーラは二人の恋人をつくり、ラッセルはその一人を同居させる寛大さをみせたが、ラッセルとの間に一男一女を産んだドーラは、愛人との間にも二子をもうけ、結婚生活は崩壊するほかなかった。
 そして三度目の結婚の相手はオックスフォードの大学生で、彼の助手をつとめたマージョリー(注:Patricia Spence)であるが、ラッセルの変転きわまりない生活、広範な交遊、複雑な仕事は、平凡な家庭を夢みる彼女とあわず離婚して、四度目は、八十歳の時である。未婚の五十歳(注:正確に言うと、52歳)の女性エディス(注:Edith Finch)とである。ブリン・マー女手大学教授もしたことがあり、思想、感情、趣味が一致し、豊かな知識をもつ人であった。満ち足りた平和とやすらぎを家庭にもたらした。平和行進では夫とともにすわりこみ、囚人護送車で一緒に逮捕されたし、核兵器反対運動でも最大の同志だった。
 ラッセルは自分に不利だとわかっても信念を貫き、生一本で妥協やこびへつらうことをきらい、真実を尊び、虚栄と粉飾とごまかしはがまんがならなかった。第一次大戦で反戦運動をし、抗議パンフレットの元凶は自分だと名乗りあげて懲役刑をうけている。また、平和運動に対して、額面三千ポンドの機械メーカーの債権を手放してしまう潔癖さ、うそをいえなくて入閣のチャンスまでも棒にふったりしている。(注:正確に言うと、当選できそうであり、当選すれば入閣できる状況であった、ということ)
 核兵器撤廃には「自分は生命をかけるのだ」とラッセルはよく言っていた。「主張が善であれば死ぬことも立派だ。死によってその主張はひろめられ促進する」と語った姿が印象的的である。
 彼は言う。「'義憤'は大いに発しなければならない。不正不義に対して憤りを発しなくな ったら人間としておしまいであるし、社会は改善されない」と。だが'憎悪'とは違うと言う。
 

原爆で抵抗の火再燃

 八十歳の折りにあとは小説でも(書こう)、と思っていたが「静まろうとしていた自分の低抗精神に点火したのはヒロシマ、ナガサキであった」と述懐していた。
 この激しい正義の、生命をはった人生で、彼は一人の労働者のために、罰金を払ってや ったり、弟子の生活の世話に奔走したりする人間愛、思いやりもあった。
 ラッセルの求道精神の炎はもえつづけ、哲学上め立場を経験主義、合理主義におき、論理実証主義とも言っていた。そして「愛」こそがすべてを進め創りだしていく根源の力であるとし、真理を求めて歩みつづけた。「人間は何のために生きつつあるのか。それは、生かされているから生きていくのだと答えたほうがわかりやすいかもしれない。その人生目的は、生かされている目的と、生きている目的の一致でなけれはならない」とした。人間を支配する力は、衝動が基礎だとし、それを二つに大別し「創造的衝動」(何かの価値をもっていて独占をゆるさない、たとえは知識、善意など)と「所有的衝動」(他と共有しえない物を獲得し所持しようとする)とにわけ、創造欲を増進することは善、所有欲に支配されて動く行動や生活は悪とし、政治や宗教が乱れてくる原因はここにあると説く。また「わたしの人生を支配してきたのは、三つの情熱 - 愛への熱望、知識の深求、苦悩する人類のためにそそぐ無限の同情である。こうした情熱が台風のように、わたしをここかしこと吹きとぱした」と言う。
 後半の章では貧窮と獄中生活の面、詩人、文学者の面、逸話を軸にした性格の秘密などがつづられており、花やかな栄光と悲嘆の涙にくれた日々とユーモアとがまんじとなって展開されている。(講談社,四二〇円)