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バートランド・ラッセル著『私の哲学の発展』への訳者(野田又夫)あとがき

* 出典:『私の哲学の発展』(みすず書房、1960年刊)pp.361-364
* (故)野田又夫氏(1910~2004)は当時、京都大学教授



 本書は,Bertrand Russell, My Philosophical Development, 1959 の訳である。「まえがき」にのべられているように、巻末に付録としてアラン・ウッドの「ラッセルの哲学」の断片がつけてあるが、これも一緒に訳出した。(なお、アラン・ウッドが生前に発表した伝記『バートランド・ラッセル、情熱の懐疑家』は現在、木鐸社から刊行されている。一九七九年八月追記)

 ラッセルの自叙伝ふうの文章には、すでに『自伝的回想』(Portraits from Memory, and Other Essays, 1956.)中に「自叙伝のこころみ」があり、またシルプが諸家の論文を編集してつくった『バートランド・ラッセルの哲学』(Philosophy of B. Russell, ed. by P. A. Schilpp, 1944)のはじめにも,「私の精神の発展」という一篇がある。しかし単行の書物として書かれた自伝は本書がはじめである。(松下注:ご存知のように、もちろんその後『ラッセル自叙伝』全3巻が出されている。)
 この書物は,ラッセルが自分の哲学の発展の、原理的部分の発展をのべたものである。原理的部分というのは、主として,論理学・数学・物理学にかかわる哲学的分析の仕事を意味する。ラッセルの著作活動のもう一方のもの、すなわち政治・社会・歴史・倫理・教育・宗教についての仕事は、内容的にとりあげられてはいない。これはかれの哲学についての厳格な考え方にもとづくものと思われる。かれは政治や文化の批評を、論理学や認識論と同格の学問的仕事とはみとめないのである。それで、さきに挙げた「自叙伝のこころみ」や「私の精神の発展」とはちがって,この書物は,かれが哲学的分析において真とみとめえた理論を次々に要約して示した、いわば総計算書の趣きがある。自分の学問上の仕事はこれだけだがこれだけはやったのだ、というのである。そしてその要点を、改めて読者にわからせようとする老人の親切も強く出ている。たとえば第六章で、数学的論理学の核心が何であったかを説いているところを読んで目の覚めるような感じをもつ者は訳者だけではないであろう。
 しかしながら、それではこの本はラッセルの論理的分析の仕事の要約だけで,人生観や世界観の機微にふれるところはないのかといえば、もちろんそうではない。厳格な学問としての哲学を求めるということがそもそもきっぱりした世界観を求めるためのことであったし、哲学的立場の次々の推移もまた人生に対する態度の動きに結びついていて、これはあちこちで劇的表現をとっている。――たとえばラッセルは,初期に一時へーゲルの一元論を受けいれたがやがてムーアとともにそれに叛いた。このときムーアは認識論上の観念論を否定して実在論をとるという点にもっぱら力を注いだが、ラッセルの方は,弁証法の論理に対する全面的な批判をおこなった。そしてこれは,へーゲル哲学に対する全面的拒否であって、へーゲルの論じたすべての問題、政治や歴史や宗教の問題を、新たに考え直すという仕事を引受けたことであり、実際その後のラッセルはそれを果したとみとめられる。論理的分析は,同時に世界観批判なのである。同様な個性的な反応は、最近のヴィットゲンシュタイン学派に対しても示されている。後期のヴィットゲンシュタインは,デカルトをすてて,或る意味でパスカルの途をとったが、ラッセルはどこまでもデカルトの分析とヴォルテールの自由思想とシェリーの熱情とをもちつづけようとするのである。
 ラッセルのこの書物に似たものを過去に求めると,やはりデカルトの『方法序説』がそれだといわねばならないであろう。哲学そのものの性格からいっても,ラッセルはデカルトと問題を共有している。青年時代にデカルトを解析幾何学の創始者としてしか知らなかったとき、すでに哲学者デカルトの問題に出会っていたのだ、とみずからのべているとおりである。
 しかしながら、『方法序説』のデカルトとちがってラッセルは、すでに三十何冊かの本を書いている人である。この書物に示された内容のたいていのものは各時期のかれの著書でのべられたことである。いつもは自著の引用をしないラッセルがここでは旧著からの引用を多くかかげている。ではこの書物は客観的に見てどういう新たな内容をふくんでいるか。第一に,かれがまだ少年の日に書いた宗教についての未発表の手記が示されている(第三章)。第二に,へーゲル哲学を受けいれた二年間に書いた自然哲学,ことに力学についてのいくつかのノートが、これまた新たに発表されている(第四章)。ラッセルは歴史的興味があるかも知れぬとして発表しているのであり、ことに第二のものについてはどうしてこんな馬鹿なことを考えたかわからぬなどと言うが、少なくとも訳者にはつよい迫力をもつ文献である。さて第三に、これはすでにいろいろな雑誌に発表されたものであるが、現在の英国哲学の主流である、日常言語をよりどころにする哲学的分析(ラッセルはこれを哲学的分析とはみとめないであろうが)に対する、老ラッセルの強硬な反対をのべた諸篇が、ひとまとめに示されている(第十八章)。これはわれわれにははなはだ便利である。
 訳者は昨年この本を読んで異常な同感を覚え、たまたま求められて喜んでこれを訳した。翻訳は解釈だと思うので、自分の取りえたかぎりの意味ははっきり伝えようとつとめたが、一、二、意味を取りねて文字だけを辿ったところがある。たとえば第八章のはじめ(p.110)に,テキサス州人(Texans)というところはどういう人々のことを言うのかわからなかった。いま気になるのは,この類いのことであるが、しかしもっと重大な解釈上の誤まりを知らずにおかしていないともかぎらない。お気づきの方はどうかお教え願いたい。なお市井三郎氏には,若干の疑点を考えて頂き、みすず書房の富永博子さんからはゆきとどいたお世話をうけた。いずれにも厚く御礼申し上げる。
  一九六〇年八月 野田又夫

 こんど再版にあたって、初版で脱落していた文章を補い、誤字誤植を正した。これらを親切に御指摘下さった、猪狩佳久氏、土井邦夫氏に厚く御礼申上げる。 一九六二年十二月 野田又夫