バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平・宮崎佐知子・原一子[共訳]『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』
* 出典:『毎日新聞(朝刊)』1981年8月4日(火)付掲載* テキスト:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平・宮崎佐知子・原一子[共訳](玉川大学出版部、1981年)
* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954.
★「理性は大切でも、過大に期待すると誤用が多い」
哲学者ラッセルは、「理性は情熱の奴隷であり、またそれにとどまるべきである」というヒュームの言葉を好んで引用した。目的を選ぶのは情熱の役割である。理性はその目的を達成するための正しい手段を教えてくれる。理性は目的の選択とは何らかかわりがない。
しかしこのことを認めたがらない人が多い。大きくいって一つには、自分の目的には理性の裏付けがあると考えたいからである。自分の目的こそ理性の名における唯一の目的であり、従って他の人にも押しつけることができると考える。もう一つには、個人にも社会全体にも両立しない目的が存在しているが、この両立しない目的を抱きながら、それが両立しないことを認めたがらないからである。
例えば、金銭を使いたいと望みながら、他方では収入のわくを越えまいと願う。米ソは核戦争の準備を進めながら、核戦争に生き残れると思いたがる。
ラッセルは、平明な文章でこのような理性の誤用-理性に過大な役割を期待することから起こる誤用に一つ一つ反駁(はんばく)していく。それは理性の擁護-理性の正しい使い方を明らかにすることによって理性を擁護しようとする。軽妙な皮肉をとばしながら、追求の目的ははずさない。
原著(原題は「倫理学と政治学における人間社会」)は一九五四年に出版されたが、この本の中で、著者が善悪の主観的定義から抜け出て(善を多くの人々の欲望の一致、つまり政治的に実現された状態との関係で考えようとしたこと、そしてラッセルが晩年の情熱を傾けて核戦争防止の方向に向かって歩み出そうとしていること-この二つの点で、いまも新しい内容をもっている。
哲学とはこんなに平明なものかということを知り、自分と社会の生活を哲学的に見直していくための手掛かりにするにもよい本である。