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野村博「『ラッセルの社会思想』第1章 冒頭

* 出典:野村博(著)『ラッセルの社会思想』(法律文化社,1974.9. 206p. 22cm. 箱入)

「第1章 ラッセルの倫理思想」冒頭

おそらく現代の哲学者で、その倫理観についてラッセルほど痛烈な批判を受けてきたものはいないだろう。しかしまた、当代一流の思想家のうちでラッセルほど現代流行の陳腐な紋切り型の信念に対して、こんなにもそりの合わない所信を思いきって表現してきた人も、ほとんどいなかったのである。ラッセルの倫理観が示す知恵を歴史が後になって肯定するか否定するかはともかくとして、反俗的な思想の闘士として戦い、不合理に思われる観念ならどのような観念でも問題にしようとするラッセルの願望は、まことに感嘆に価いするのである。もとより、道徳とは一群の確固たる知識であると考える人々が、古代の迷信に深い根をもつものが多い伝統的な信念についてラッセルが行なってきたきびきびした批判を読んでも、何ら満足した快感を得ないことは明らかであろう。
 これは、ラッセルのアンソロジーともいうべき『バートランド・ラッセルの基本的著作・論文集』(The Basic Writings of Bertrand Russell, 1961)を共同編集した R.E.エグナー(Robert E. Egner)とL.E.デノン(Lester E. Denonn)が、その「第9篇 道徳哲学者」のタイトル・ページに書き添えた評釈の一部であるが、反俗の倫理思想家ラッセルの真骨頂をたくみに言い表わしている一文である。これに引きつづいてエグナーとデノンは、「ラッセルの言語・論理・哲学一般についての観念が歳月を経るにつれて変化してきたのと同じように、道徳論の領域においても彼の観点が徐々に変化し発展してきたのがわかる。」と書きしるしているが、私は、以下この章において、ラッセルの多方面にわたる哲学的思索のうち狭義の倫理思想としての倫理学説について、その変化ないし発展の跡を彼の著作によってできるだけ彼自身の言葉を引用しながら、いわば年代記的に追い求め、彼の政治社会思想の根底にあると考えられる倫理観を明らかにしていきたいと思うのである。