『理想』誌「バートランド・ラッセル特集号」編集後記
* 出典:『理想』n.448(1970年9月号)p.88.* ラッセル追悼号:ラッセルは、1970年2月3日死亡(英国時間では2月2日午後8時)
編集後記
バートランド・ラッセルが逝いて早くも半年を閲しよう(=経過しよう)としています。数え年で九十九歳ですから、まさに超人的な生命力といわねばなりません。しかも彼の場合には徒に馬齢を加えるというのでなくて、政治悪や社会悪に対する烈々たる闘志は最後まで燃えつづけていたものと思われます。あれほどの名門に生まれながら、その環境にあぐらをかくことを潔しとせず、自ら進んで荊曲の道(イバラの道)を歩んで行ったことは、特筆すべき事がらといえましょう。ラッセルはすぐれた哲学者であるとともに、いわゆる巾広い思想家でもあることは、その厖大な著述の若干でも繙いてみるならば、ますますその印象を深めることが出来ます。編集子がむかし読んだ『自由への道』など、そこには彼らしい気力があふれており、今日もなお生きている書物の一つだという気がします。
わが国でも今日まですでに数多くの翻訳や紹介が刊行されて来ましたが、彼の学問的業績、特に哲学者としての彼の正しい分析とか評価はむしろ今後もつづけられるべき課題です。
本誌は三四五号(1962年2月号)で「ラッセル研究」の特集をしていますが、今月は追悼の意をこめて、重ねて卿を偲ぶ特集となりました。ラッセル研究がさらに促進され、われわれ日本人が終生銘記すべき原爆の絶滅運動に百尺竿頭を進める機縁ともなれば、卿の素志を受け継ぐこととなりましょう。