西田幾多郎「学者としてのラッスル(ママ)」
* 出典:『改造』v.3,n.9:1921年(大正10年)10月号,pp.81-83.ラッスル氏(注:以下「ラッセル」とします。その他も原則として現代仮名遣いにします。)が先日入浴(注:入京)の際、山本氏(注:改造社社長・山本実彦氏)の招待によって、京大の人々の中に混じって、私も同氏に逢うことを得た。今度改造社から私に氏の印象記を書けと言うのであるが、私は不十分の英語で多少の話をした位のことで、印象記を書く様な鋭さと器用さとをも持たないのを遺憾とする。ただ、ラッセルという人は社会改造を唱える人であるから、街頭に立つ志士風な所もある人かと思っていたが、おちついた学者風の人で、なんだ『プリンキチア・マテマチカ』(ママ/「プリンキピア・マテマティカ」のこと)が氏の本質らしく思われた。無論、'子房は容貌婦人の如し'(注:'子房'とは'張良'のことで、劉邦配下の三傑の一人)というから何とも分からないが。
私はラッセル氏の著述をそう読んでいるわけでもないが、2,3の書を読んだ所から、学者としての同氏について一言して見たいと思う。
ラッセルがこれまで世に出している著述によって哲学者として如何程の人であるか。氏は認識論に於いて新実在論を主張する人である。デューイ氏とは正反対の立場に立っている。新実在論と言えば、実用論者か(が?)知識を生活の手段と見做し、真理はすべて主観的、相対的であり、唯生活に有用なものが'真理'であると主張するに反し、'真理'は知るという心理作用を超越し、我々が知ると否とに関せず、真理は真理であり、従って真理は客観的で不変的(注:普遍的)であると主張するのである。これの如き新実在論は実用主義や人本主義に反対して起こったものと思われ、英米に於いてかなり行われていると思う。ラッセル氏は英国に於ける新実在論者の中で有力な人であると思う。それでは新実在論というものは'認識論'として如何程の価値を有するものか。これは無論人々の考えにて異なるであろうが、私は実用主義論にも一種の意義を認めると共に、認識論として(は)新実在論の方が正しく真理そのものの性質を明らかにしていると思う。併し私をして有体(ありてい)にいうことを許さるるならば、私はラッセル氏などの新実在論には左程期待するものではない。新実在論の如き考えは19世紀の前半に於いて既にボルツァーノがその大著『知識学』に於いて明らかに論じており、近くはマイノングの対象論やフッサールの現象学の中にも含まれている。又、現今我国に於いて多少知られてきた西南派(注:新カント派西南学派)の哲学の如き目的論的批評主義として、実用論を深くしたようなところがあると共に、一方に新実在論の如き考えをも含んでいる。近来、独逸哲学と言えば悪くいうのが流行のようであるが、 私はこれ等の哲学はその基礎に於いて、又その範囲に於いて一層深く大きなものがあるのではないかと思う。
ラッセル氏は、ライプニッツの哲学について書いたものがある。ライプニッツについては無論多くの著述があり、かつカッシーラの書いた『ライプニッツの体系』という如きものがるが、ラッセルのものは氏自身の見方があり、明晰に論ぜられた良書であると思う。この書によっても氏の理解力の鋭利なることが分かると思う。私の考えでは、ラッセル氏の学者として動かすことのできない地位は氏の数学の哲学に求めねばならぬと思う。氏は、『数学の原理』(注:The Principles of Mathematics, 1903)という書を書き、後にホワイトヘッド氏と共に Prinicipia Mathematica という大著述を出している。この方面においても、必ずしも氏が唯一の人と言われまじく、又氏の思想の基たる論理学や哲学についても不十分に思われる所もないではないが、兎に角かかる研究は従来あまり没頭した人がなく、今の所氏の著述はこの方面における大著たることは何人も認めねばなるまいと思う。
ラッセル氏の数学の研究についてその基礎となる哲学的思想が尚一層深く大きくあって欲しいとは、私共にすら思われないでもないが、数学者の中にはラッセルの数学の知識を危ぶむ人もあるようである。私はこの点について何とも言う資格がないが、デカルトやライプニッツの如き偉人ならいざ知らず、この種の仕事は双方の専門家からよく言われないのが通常である。併し私は寧ろこの種の仕事を企てる人には、双方から同情を以って見なければならぬと思う。数学者がラッセルの数学の哲学の何か数学専門的の貢献を求めるならば、それは求める人の誤りであろう。ラッセルは数学の専門家としてみる人ではなかろう。又その書も数学そのものを書いたものではない。唯数学と論理との関係という如きものを論じたとしてはラッセルには兎に角独立の考えがあり、一角の学者であるということを許さねばなるまい。例えばポアンカレの如き人でも、その『科学と方法』という書の中に納めた「新しい論理学」という篇の中に特にラッセルを目当てとして論じており。ポアンカレはラッセルに賛成しているわけではないが、その外の論文にもラッセルが引き合いに出されている。この種の問題を論ずる人は、氏の説を可とする人でも、否とする人でも、ラッセルなどを全然顧みないわけにはいかないのである。又純粋な数学の専門書のなかでも氏の書が引用せられることがあるのではないかと思う。
私は茲に(ここに)数学と哲学との関係について一言したいと思う。数学と哲学との関係については色々の見方があるであろうが、私は昔プラトンが数学を理性の直感の一種と考えた如く、微妙なる数の関係に於いて実在の純なる形相が示されたものとして、深い興味を持ちたいと思う。この点に於いてマールブルク学派の哲学に同情を有するのである。ラッセル氏の方向はこれと異なり、単に数学と論理との関係を論じ、数の根本概念を説明したものだる。多少余談であるが、ライプニッツの哲学が氏の発見せる微分学と深い内面的関係があると思われる如く、ドュニン・ボルコウスキーの『若きスピノザ』という書に於いて言っているように、デカルトの分析幾何学はこれによって精神と物体との結合を計ったとう考えを面白く思う。デカルトの哲学に於いては'延長'が物体の本質であったのである。
ラッセル氏が我国一般に有名となった社会改造についての著述によってであろうが、私は氏の Principles of Social Reconstruction や Roads to Freedom などは学問上の著述として価値を論ずべきものではないように思われる。私は唯、純学究としてのラッセルについて一言したまでである。
ラッセル氏の認識論上の考えを知るに便なるものは Philosophical Essays, 1920; The Problems of Philosophy,1912 などあるが、前者は絶版にて、得難いようであるから、後者を見るの外ない。後者は Home University Library の中のもので、極めて得やすいものである。氏の数学の哲学については、氏の前に書いた The Principles of Mathematics,1903 はこれも絶版となっており、 Principia Mathematica の方は符号のみ多く、読み難いものであるから、氏が獄中で書いたという Introduction to Mathematica Philosophy, 1919 がよかろうと思う。