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村田為五郎「バートランド・ラッセルの二つの論文」

* 出典:『世界週報』(時事通信社)v.33,n.2(1952年1月11日号)p.36.
* 村田為五郎:当時『世界週報』特派員(ニューヨークにて)。後に時事通信主筆。


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 バートランド・ラッセルの二つの注目すべき論文が時を同じうして、(1951年)12月26日のニューヨーク・タイムズとヘラルド・トリビューンの週刊付録に載った。一つはニューヨーク・タイムズ・マガジンに「狂信への最善の答えとしての自由主義」と題するもの、他の一つはヘラルド・トリビューンのディス・ウィーク・マガジンに「狭き線」(The narrow line)として載ったものである。ラッセルは明春一月に「変動する世界への新しい希望」という書物を出すことになっていて、すでに英米の知識人から、その出版を期待されているが、これらの二つの論文はおそらくその物の中の一部ではないかと思われる。周知のようにラッセルは昨年ノーべル文字賞を得た世界的なイギリスの哲学者で、来年五月で八十歳になるが、アメリカ各地を講演したりしてきわめて元気である。彼の著書は早くから日本にも知られ、 また大正末期わが国を訪れたこともあって邦訳書もたくさん出版されている。主要著書に『社会改造の原理』『自由への道』『数理哲学序論』『精神分析論』(松下注:これではフロイトの精神分析と誤解される。ちなみに、勁草書房から出されている邦訳書名は『心の分析』)などがあり、戦後も『西洋哲学史』『知識論』(松下注:邦訳書名は『人間の知識』)『権威と個人』などがある。

 拘束されない精神

 ラッセルはニューヨーク・タイムズに寄せた論文の中で、「自分はデモクラシーを信ずるものの一人だが、しかしその信ずることを強制するような制度は好きでない。」といっている。あくまでも拘束されない(ものごとにとらわれない)精神の自由を彼は希望しているのだ。
 ソヴェト・ロシアの共産主義にたいしては反対の立場をとるが、しかし、アメリカのデモクラシーにたいしても彼は疑問を投げる。「アメリカは自由企業の国であるとみずから考えているかも知れない。」と彼はいう。アメリカ人は隣人が考えているとおなじことを考えなければならないようになっていて、この点はソヴェトとも似たところがあると彼は説明する。
 「自由な企業というのは物質の世界だけに限られていて、アメリカ人が物質主義に反対というときに意味するものもその点を指すのだ。」と彼は解釈している。

 自由主義の内容

 そこで、彼はいったい自由主義の内容をどのように規定しているか。

第一、何事であれ、絶対に正しいという風にかんがえないこと
第二、実証を隠すことによって信念を植えつけることができるなどとユメ考えないこと
第三、物事を考える元気をなくさないこと
第四、夫や子供からの反対であっても、常に議論をもって打ち勝つように努め、決して権威をふりかざしてはならないこと
第五、一方的な権威というものに尊敬を払わないこと、他方に必ずそれと反対の権威もあることを知ること
第六、有害だと思う意見でも権力をもって抑えないこと
第七、意見が奇矯に走っても決して恐れないこと、なぜなら今日受け入れられているどんな意見でも一度は奇矯だと思われたことがあるからである
第八、なんでも受け入れてくれるような意見に対してでなく、自分とちがった意見に喜んで耳を傾けること
第九、正しいと思うことが自分にとって不都合であっても、周到にこれに心を用うること、隠そうと思えば、ますます不都合な点が多くなるにきまっている
第十、馬鹿者の天国に暮している人達をそねまないこと、幸幅だと考えているのは馬鹿者だけなんだから
 戦争はさけられるか

 ニューヨーク・タイムズで原則論を説いたラッセルは、ヘラルド・トリビューンで現実の世界政治に蝕れて彼の鋭い分析の筆を加えている。先年イギリスの逝くなった労働党の精神的指導者ハロルド・ラスキと論争した際にも、ラッセルは西欧の再軍備がある程度第三次大戦の勃発を防ぎ得る効果のある点を指摘したことがあったが、そうかといって彼は決して再軍備に賛成だというのではない。むしろ西欧の再軍備が進む間に東欧もまた猜疑心をいよいよ深めて再軍備を急ぐから、終局においで戦争の危険が深まることについては深い心配をしている。
 「自分の考えるところでは、、もしも世界が是が非でも、もう二年間戦争を避け得られるものなら、その間に西欧の再軍備が非常に強いものになって、ソヴェトの世界征服の望みを捨てることになるかも知れぬ。」と彼は説くのである。しかし彼はまたすぐその後で、そういうように酉欧がソヴェトよりも強力になるという可能性が少いことも説いている。軍備は常に一方が進む間に他方も進むのが今日の世界の常識であるからだ。
 哲学者である彼は、戦争が起るとも起らないとも予言するのではないが、理想主義者、自由主義着として、彼はなお戦争を避け得られる道のあることを説くのである。世界にはまだ、アジア、アフリカをはじめ幾つもの広い地域にわたって物質的にも精神的にも恵まれない土地がたくさんある。それらの地域の人達にたいして生活水準を引上げるようにしてやることは、西欧先進諸国のつとめなのだ。たとえ一時的には西欧諸国にとって負担のかかることであっても、長い目で見たらそれが世界を救うことになるのだ。「われわれが自分たちの楽しむものを保存(保持)しようと思うなら、われわれは他の人達ともそれを分ちあうことなしにはできないことなのだ。」と彼は結論している