バートランド・ラッセルのポータルサイト


Peter McGrath(著)「理性の奴隷−ラッセル」
『Newsweek 日本版』(TBSブリタニカ)1993年12月15日号pp.47-48.

* Bertrand Russell; a life, by Caroline Moorehead (Viking Press, 1993. 596 pp. $30)の紹介(右下写真は,Orion Press 提供
* Peter McGrath は,次のように言っている。「どうやらラッセルは,モラルや政治の問題につきものの「個別性」を理解できなかったらしい。あくまで普遍的なものにこだわる彼の理性が邪魔をしたのだろう。」 これは一面的な見方と思われる。ラッセルは他の多くの哲学者と異なり,認識論中心の厳密な理論哲学と倫理や価値の問題に係る社会思想とを峻別したが,そのことの意味合いをよく考える必要があるだろう。また,ラッセルは,必要以上に自分の業績を過小評価して公言することがよくあり,それをそのまま受け取るのは危険である。「理性の奴隷」と'自己規定'したのは,オットリン(Ottoline)に1911年に出会う(注:子供の頃からの知り合いなので,正確に言うと再会)までのラッセルであり,長いオットリン(及び多くの女性)とのつきあいのなかで,「理性の奴隷」的な側面は急速になくなっていった事実を見逃してはならない。(松下)


 イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは,レデイー・オットーライン・モレル(オットリン・モレル)と激しい恋に落ちていた5年間に,数百通の恋文を書いた(松下注:1911年から(オットラインが死ぬ)1938年までに,ラッセルはオットラインに約2,000通の手紙を書いている。)。その手紙でラッセルは,自らを「理性の奴隷」「一種の論理的機械」と呼び,こうも書いている。「私の心はサーチライトのようなものだ。ある方面にはきわめて明るいが,他の方面についてはまったく何も見えない」
 キャロリン・ムアヘッドが『バートランド・ラッセル伝』で論じているように,ラッセルが論理的すぎて人から疎んじられたことは事実だ。オットーライン夫人も「彼の知性には常に感銘を受けたが,その知性が私を圧倒し,震え上がらせた」と書いている。
 確かにラッセルの知性は見事だった。使い古された言葉だが,その業績には「先駆的」という言葉がぴったりする。ホワイトヘッドとの記念碑的な共著『数学原理』を見てもわかるように,ラッセルは数学的論理学の生みの親だ。ラッセルはまた『指示することについて』で,「記述の論理(理論)」を展開。難解なことで知られ,言語と意味の関係を論じた「記述の論理(理論)」は,2つの大きな哲学の潮流,論理実証主義と記号論理学の先駆的な業績だった。
 ラッセルはモラルと政治にも深い関心を寄せ,90歳を過ぎてなお,平和運動にかかわっていたが,この分野では独自の哲学を展開するにはいたらなかった。
 なぜか。ムアヘッドは膨大な数にのぼるラッセルの友人や恋人たちの手紙,追想をもとに,哲学者の「2つの顔」に迫っている。どうやらラッセルは,モラルや政治の問題につきものの「個別性」を理解できなかったらしい。あくまで普遍的なものにこだわる彼の理性が邪魔をしたのだろう
 そしてラッセルは,その理性ゆえに人から疎んじられていることも痛いほど承知していた。ラッセルを,最も興味深いと同時に最も孤独な人間にしたもの。それが理性だったのだ。(Peter McGrath)