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ジョン・ルイス(著),中尾隆司(訳)『バートランド・ラッセル-哲学者とヒューマニスト>』へのまえがき

* 出典:ジョン・ルイス(著),中尾隆司(訳)『バートランド・ラッセル-哲学者とヒューマニスト>』(ミネルヴァ書房,1971年9月. 5,176,2p. 19cm.)
* 原著:Bertrand Russell; philosopher and humanist, by John Lewis, 1968.

 まえがき

 バートランド・ラッセルは、たぶんヒュームいらいのイギリスにおけるほかのどんな思想家よりも哲学におおきな独創的な貢献をしてきた人である。しかし、かれの名前がかれの同時代のだれよりもよく知られているとしても、これは全く形式論理学と数学へのかれの貢献によるのではなく、また、哲学的な思考に大きな地歩をしめてきた探究の「分析的」方法によるのでもない。広汎な大衆は、かれの社会的、政治的諸著作により大きな関心をもちつづけている。そして、それらの著作は、ラッセル自身、かれの論理学と認識論の見解となんの必然的な連関ももたないと信じているものである。(松下注:ラッセルは、論理学や理論哲学と社会思想との間には、論理的な・必然的な関係はないとは言っているが、心理的な関係も含め一切関係はないとは言っていない。)これらの問題について、私は1人の哲学者としての資格においては書かなかった。つまり私は、世界の現状を憂い、その現状を改良するなんらかの方法を発見したいと望む1人の人間として、そして同様の感情をもっているほかの人々に、平易な言葉で話しかけたいと切望している1人の人間として書いた」とラッセルは述べている。
 しかし、かれの思想のこれら2つの側面のあいだにどんな「必然的な連関」もかれにとって存在しないという事実は、哲学者とヒューマニストとのあいだに驚くべき乖離を暗示する。そして、この乖離は、かれ自身のもっとも深い確信のよってたつ地盤を掘りくずさずにはおかないであろう。この乖離を研究し、現実生活から奇妙に遊離した哲学を綿密に吟味することが、ラッセル哲学とかれの社会的理論との両面を理解するために本質的なことであるようにおもわれる。
 ある複雑な論理学的公式にもとづく哲学を検討し、しかも、一般の読者が読んでもわかる範囲でそれをおこなうことは、理論的な説明が幾分か単純化され、そして、論理学的な専門の領域を、最小限に減少することなしには困難であろう。しかし、その場合に、ラッセルの思考の全体にとって本質的なものが少しも失われないようにと願うのである。
 批判されるそれらの立場にたいして何を代替させるか、この問題にたちいることは、このラッセル哲学研究書の意図ではない。「論理学的分析」(Logical Analysis/→ 「論理的分析」)を超えて、あるいはそれに反対して、哲学の発展をはかることは重要であろう。だが、それは、分離して別にとりあつかうべき問題である。