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高坂正顕「バートランド・ラッセルの警告」
『心』(平凡社)1960年7月号、pp.2-4.

* 高坂正顕氏(1900〜1969)は、カント研究者。西田幾太郎の門下で、新カント哲学、ハイデッガー哲学の研究を進め、東京文理大(現・筑波大学)教授などをつとめる。その後京大教授となり、戦時中、高山岩男らとともに戦争協力の立場をとった。戦後は京大教授、東京学芸大学長、国立教育会館館長等をつとめる。
*旧字体は新字体に改めた。


 

 バートランド・ラッセルは、彼の『回想の面影』(注:Portraits from Memory and Other Essays, 1956/現在、みすず書房から『自伝的回想』という訳書名で出版されている)のなかで、次のような生々しい経験を記している。それは第一次世界大戦の危険が刻々と迫りつつあった頃のことであったが、彼はもし戦争が万一起りでもしたならば、イギリスは是非とも中立を守ってほしいと念願していた。戦争は、人々に不幸をもたらし、文化の一般水準を著しく低下させるからなのである。彼は次のように記している。
7月の末は暑い日が続いていたが、私はケンブリッジにいて、その状況について論じあっていた。私はヨーロッパが戦争に飛び込むほど狂気じみていると信ずることは不可能だと判定した。しかし私は、もし戦争が起りでもしたら、イギリスもそれに巻き込まれるかも知れないと信じた。それで私は、中立擁護のための声明書を書き、大多数の教授や学士院会員の署名を集めた。それは、『マンチェスター・ガーディアン』に掲載された。その当日、宣戦が布告された。彼らの多くは、殆んどすべて、その意見を変更してしまった。」
 ここに学者達の声明や署名についてラッセルが経験したことが示されているが、それに続く次の箇所には、大衆や世論についての彼の感想が記されている。彼は次のように書いている。
「私は8月4日の夕方、あちこちの街を廻って見た。特にトラファルガー広場の近傍で、その夕方を過ごした。私は歓呼する大衆を注視し、また通行人の感動を自ら敏感に感じとっていた。この日、またそれに続く日々において、私が驚愕の念をもって発見したことは、一般の男性も女性も、戦争の前途を喜んでいたことである。多くの平和論者が主張したように、それまで私は、戦争はいづれもいやがる大衆に対して専制的な、マキャベリ的な政府によっておしつけられるものであると、浅はかにも想像していた。」
 このような経験にもかかわらず、ラッセルは第一次世界大戦中、官憲と民衆の迫害の中にあって、平和主義の宣伝を行い、そのため1918年には、4ヶ月半にわたって投獄される。このよく知られている事柄について私は語る必要はない。ただ私は彼が世の中から理解されないことの故に、どれほど孤独を感ぜさせられていたかということ、また、牢獄の中で彼は『数理哲学序説』を書き、『心の分析』を書き始めたということ、そして特に、戦争が終った日の彼の感想だけを伝えておくことにしよう。
(1918年11月11日、正午に休戦が告げられた。・・・。)私はトッテンハム・コート街にいた。2分(間)の間に、店の人もオフィスの人も、すべて街に飛び出した。彼らはバスを乗っ取って(ママ)、思うがままの方向に走らせた。私はまた、互に見も知らぬ男女が、道の真ん中で出会うと、通りすがりにキスをするのを見た。大衆はうれしがっていた。私もまたうれしかった。しかし私は、以前と同じように孤独であった。
 ラッセルは、「私の生涯は2つの時期に鋭く区別される、1つは第一次世界大戦の勃発する以前の時期、1つはそれ以後の時期である。第一次世界大戦は私から多くの偏見を除き去り、また私をして改めて幾多の根本的問題を考えしめるに至った。」と記しているが、彼が第一次世界大戦を通じて得た経験は以上のようなものであったのである。

 

の画像  ところが、このような生涯を送ってきたラッセルが「社会の進歩の根幹」と考える倫理の法則は、簡単な次の命題で表現されている。「いかなる倫理の格率も、個有名詞を含んではならない。」 ここで彼が個有名詞と呼ぶのは、胆に個々の個人の名前を指すのではない。無論個々の個人の名前も含みはするが、しかしもっと広く、ある地域、国々、またさらに歴史上の特定の時期をも含むのである。つまり彼は、「ここと今といふ暴君」の支配からわれわれの倫理の格率を解放し、非人称的な命題の立場に立って、われわれ人類の全体にわれわれの関心を拡大せよ、というのである。
 この彼の主張がなされる所以は、1つは、われわれの歴史的現実の姿からして理解できるであろう。現代は人間の他の人間に対する不信の時代であり、人々は、そしてまた国と国とは互を疑い合い、憎しみあっている。そしてそれは、お互いにあまりにも個有名詞的に考えすぎるためだからである。無論ラッセルも、すべての個人的なもの、人間的なもの、感情的なものを単に棄て去れと言っているのではない。単に棄て去るのではなく、むしろこのような非人称的な命題の立場を附加せよというのであり、それによって、「ここと今という暴君」の支配から解放されることを求めているのである。だから、彼の主張は非人称的命題の立場に立つことによって、われわれの関心を人類の全体にまで拡大し、解放せんと求めるものと私は解したのである。
 しかしこのような彼の主張がなされるのには、更らに他の1つの所以がある。それは知識、或いは学問に関する彼の考え方によるものであるが、彼によれば、すべての学問は、「ここと今という暴君」からわれを解放し、われわれの視野を拡大させるものである。物理学にせよ、天文学にせよ、歴史学にせよ、われわれの知識をすべての物質に、或いは遙かな宇宙に、或いは遠い過去にまで導いて行くであろう。そして哲学の何よりの任務は、知的想像力の拡大にあるのである。
 このラッセルの考えにはもとより色々な問題がある。しかし今、それには立入り得ない。だが彼が、「いかなる倫理の格率も、個有名詞を含んではならない。」という要請を掲げていることは、あまりにも感情的、対立的、党派的、そして個有名詞的な考え方が自明のようにされている現代に対して、解毒剤、清涼剤の意味を有していると私は信ずる。ところが、今日の日本の知識人、文化人、大学教授といわれる人々があまりにも度々行う声明や署名運動も、その同じ感情的、党派的、個有名詞的という性格を帯びているのである。

 

の画像  私は学者や文化人が声明書を出し、署名運動を行い、街頭にまで進出してそれを行うことを、一概に否定しようとするものではない。それにも啓蒙や宣伝の意味があり、一般の注意を喚起する機能があり、またそれ自身に重要な政治活動としての役割がある。その上、そのような行爲をするのにふさわしい学者や文化人も数多くいることであろう。
 しかし私は、特に学者や大学教授達の声明や署名運動について、2つの警戒さるべき点を注意しておきたい。第1は、学者としての責任についてである。私もたびたび学者達の声明書に署名を求められることがあった。しかし私は署名はしなかった。というのは結論は同一である場合にも、そこに到る理由について異なる点が少くないし、共同声明ということになると、どうしても責任の所在がぼやけてしまう。私は学者の声明書はそれぞれの個人の責任において、自己の主張を示すのが正しいと思う。多くの声明書は反対声明のようであるが、共同の敵が想定されている限り、歩調は一つであるが、いざ建設ということになると歩調が乱れるのも、多くの共同声明の無青任さを示すものだと思う。
 第2は、大学教授とかそういった資格は、−或いは学会という類の名前は、− はずすのが好ましいのではないかということである。大学教授というだけで、自分の専門外の領域について特別な権威を持った発言をしているかのような錯覚を世間に与えるのは、世間を欺くものだからである。共同声明の場合には、−特に政治その他に関する場合には、− 学者も大衆の一員にすぎないという謙虚さがあって欲しいと思う。
 私はラッセルの『回想の面影』を読みながら、そのようなことを思はせられた。それがラッセルの警戒とどのように関係するかは、改めて語る必要はなかろう。 (了)