B.ラッセルのポータルサイト

蛯原八郎「神戸クロニクル (Kobe Chronicle) について」

出典:蛯原(著)『日本欧字新聞雑誌史』(1934.12),pp.203-204他.

* 蛯原八郎氏は,東京帝国大学法学部附属明治新聞雑誌文庫(=宮武外骨主宰)設置以来の職員。
*(参考1)松下彰良「来日したラッセルの足跡を訪ねて(1)神戸-その2」
*(参考2)鈴木雄雅「幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリト」

2.大正初期の英字新聞界-「クロニクル」「ヘラルド」「メイル」其他

 大正三年四月一日発行「日本及日本人」第六百二十七号に,大山由朗氏が『外字新聞及其記者』と題する一文を寄せている。よく当時の英字新聞界を紹介したものであると思うから,左に其要点を抜記させて戴こう。
 現今我国に発行する欧字新聞中の巨擘(きょはく)というべきは,神戸で発行する「ジャパン・クロニクル」紙(松下注:前身は明治23年にRobert Young によって創刊された日刊英字紙の「神戸クロニクル」。明治34年に「ジャパン・クロニクル」と改題。ラッセルはヤング(RObert Young, 1858.10.9-1922.11.7)と親交があり,ラッセルのエッセイが何本か同紙に掲載されている。)であろう。発行数に於いても,記事に於いても,同紙に匹敵するものは他にないのである。而して主筆ヤングの独特の論説を読む者は,自由思想家といわず,宗教家といわず,皆拍案嘆賞を禁じ得ぬという。ヤングは学識博く,深淵なる思想家である。世人往々彼を目して排日記者なりというも,こは彼の文書を味わいしこと無く,又彼に接近したことのなき人々に過ぎないのである。
 ヤングは,我国に合理協会(ラショナリスト・アソシエーション)の事業を創始した元祖である。随って宗教論者ではないが,彼の反基督的精神は,古代の基督教徒が当時の科学者に加えたる如きものとは全く其軌を異にし,宣教師及び牧師に対する攻撃に非ずして,其の教理並びにドグマに対する攻撃である。思うに此一点が即ち氏の文章の広く宗教家側にも読者を有する所以である。
 ヤングの長子及び次子は,いずれも新聞記者として,「ジャパン・クロニクル」に筆を執り,ヤングの帰英せる後には,イヴアンズを編輯長として,ヤング家一流の論文が掲載さる。イヴアンズも,また記者として老練家であるという。ヤングの事を記した序に,漏らすべからざる人物がある。それは『英文日本歴史』の著者として有名なマードックで,彼の文章は常に「ジャパン・クロニクル」紙上を飾る一つである。
(同書p.173より)
 「コーベ・クロニクル」は明治二十三年に米人ロバート・ヤング(松下注:ヤングは英国人のはず)の創刊したもので,記者中には文学者として世界的令名のある帰化人・小泉八雲(Lafcadio Hearn),「ジャパン・メイル」の寄稿家として,又英語教育家として第一人者たる英人ダブリユー・ビー・メーソン(W. B. Maison)等,著名な文筆家を多く控へ,優に関西独歩の声価を贏(?)ち得ていたが,同三十四年更に抱負を大にして,「ジャパン・クロニクル」(The Japna Chronicle)と改題した。持主兼編輯人は依然ロバート・ヤング,発行人名義は尾崎岩吉,発行所は,神戸市境町一丁目七番地(後,浪花町へ転)の同社であった(右写真は,大正7年のジャパン・クロニクル社の建物)。尚この改題の年については,明治三十二年,三十三年,三十六年,三十七年等の異説もあるが,其頃の現物が何処にも保存されていないので,いずれが真とも信じ難い。明治三十四年というのは,筆者が直接神戸の本社へ問い合わせて得たものである。東京帝国図書館の索引カードには,明治三十七年十二月の「コーベ・クロニクル」があるやうに記してあるが,実物は既に廃棄されているのことで見ることができなかった。
 「ジャパン・クロニクル」は,現存欧字新聞中でも錚々たるもので,其社説の厳正にして且鋭利なことは,創刊当初からの伝統であるといわれている。


ラッセル著書解題