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ラッセルの著書・研究書の書評

鶴見俊輔「ラッセル(著)『西洋哲学史』合評・まえがき」

* 出典:『思想の科学』v.3,n.1(1946年12月)掲載
* ラッセル(著)『西洋哲学史』(全3巻)の書評
* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
*(鶴見俊輔・付記):以下は、8月19日の「西洋哲学史」合評打合せの記事を中心にまとめたものである。その時の出席者は,松本正夫,武谷三勇,丸山眞男,鶴見和子の諸氏および自分であった。
* 鶴見俊輔氏(つるみ・しゅんすけ:1922~ ):哲学者・評論家。ハーバード大学哲学科に学ぶ。戦後、先駆社を創立し、丸山真男らとともに『思想の科学』を創刊。
* 明治時代(中期?)から第2次世界大戦敗戦後しばらくの時期まで、漢字の使用をやめ、日本語はローマ字やカタカナ表記にすべきであるとか、英語を日本の国語にすべき(極端な主張としてはフランス語を国語にすべき)であるとか主張する論者が現れたが、現在では漢字の使用中止を表だって主張する人は激減している。鶴見俊輔氏によるこのまえがきも、いっさい漢字を使わずに執筆されているが、今となっては、大部分の日本人にとって、漢字を使わないためにかえって読解しにくいものとなっている。(2003.12.16, 松下)

 いままでのテツガクシは,ほとんどみなテツガクシャによってかかれたものであり,テツガクシャのもつせまいキョウミをとうしてナンドもナンドもくりかえしかかれてきた.そのために、テツガクのレキシをかくうえでのマンネリズムとゆうべきものができてしまって,そのトクベツのかたをやぶってあたらしくかこうとゆうこころみが,ほとんどなされなかった.テツガクのレキシをかくには,もっとほかにタクサンのやりかたがあるとおもう.いままであまりかえりみられなかったこれらおおくのカノウセイについて,ひとつかんがえてみたい.

 これまでのテツガクシは,テツガクシャのケッテンをそのままうけついだものだ.だから,テツガクシャのよくないところをかぞえあげてみたら,それらはテツガクシにもあてはまる.たとえばテツガクシャは,ナンニンかのトクベツすぐれたひとをのぞいては、からだをうごかすことがきらいだ.「こんなことをやってみたらよかろう」などとゆうだけで,ジブンでそれをためしてみようとせす,じっとしずかなところにすわったままホンばかり――しかもテツガクのホンばかりよんでいる。だからこそ,このひとたちのかくテツガクシは、「このテツガクシャがこういった、あのテツガクシャがああいった」とゆうことをならべただけのものになるので,これらのテツガクセツとそれをうみだしたシャカイ―ジジヨウとのつながりぐあいをもセツメイするところまで,ゆかないのだ.しかしひとびとのしやべることのイミは,これがどんなフウにそのひとのおこないと,むすびついているかをしり,さらにそのときのシャカイ-ジジョウとどんなフウにむすびついているかをしらなくては、はっきりわからないものだ.むかしのテツガクシヤのいったことばかりをよんでそのケンキュウばかりをしていても,そのイミはわからない.そのテツガクをジッコウしたテツガクシャのコウドウと,そのテツガグをうみだしたレキシ―ジジョウとをはっきりとらえぬうちはそのテツガクのイミはわからないのである. いままでのテツガクシが,このように,テツガクセツのなかにのみ,そのイミをもとめたとゆうことは,つぎのカノウセイをみのがさせるケッカとなった.

(1)テツガクシャのいいあらわしかたのうつりゆきにチュウイしながらテツガクシをよみなおすことは,おおくのあたらしいひかりをこのうえになげるであろう.ちょうどブンゲイサクヒンをよむときとおなじようにカンカクをはたらかせながら,ヒョウゲンにチュウイしつつテツガクのホンをよみ,そのケッカをもとにしてテツガクシをかくなら,きっとあたらしいケッカがでてくるであろう.(『新潮』5月号所載・林達夫氏「反語的精神」参照).

(2)さらにまたテツガクセツのもたらすケッカをたどることをチュウシンとして,テツガクシをみなおすこともできる.Aとゆうテツガクは,シゼンについて,またシャカイについて,どんなことをのべたか.そして,Aののべたことは,そののちのシゼンカガクのジッケンにより,またレキシのうつりゆきにより,ただしいものとされたかどうか.このようにして,あらゆるテツガクセツは,それジシンにおいてカイシャクされるだけでなく,そのもたらすべきケッカにおいてとらえられねばならぬ.しかし,「もたらすべきケッカ」とは「もたらしたケッカ」とおなじものでないときのあることにチュウイせねばならぬ.ヘーゲルのテツガクはナチス-ドイツとセカイタイセンとをもたらしたから,このイミにおいてゼンゼンだめだときめるのは,ゆきすぎである.ヘーゲルのテツガクは,ナチスのほかのケッカをもおおくもたらしたし,このテツガクセツの「もたらすべきケッカ」のうちには,いままでのレキシにまだよくいかされていないところのものもあるわけだ.
 このようにしてテツガクセツのケッカをたどり,レキシのうえのすべてのテツガクシャが どのテンでシッパイし どのテンでセイコウしたかをしらべるならば,これらゼンブのテツガクセツのわるいところをすてて よいところばかりをあみあわせる*1 とゆうしごともできてくるわけだ.つまり,こんなフウにテツガクシをながめなおすことは,それジシンひとつのあたらしいちからあるテツガクをつくることなのだ.
 (テツガクセツのイミは,そのもたらすケッカにおいてのみ,はっきりとらえうるとゆうかんがえは,パースが 1878 ネンにだしたロンブン「われらのかんがえをはっきりさせるやりかた」によってテイキしたものである.1897 ネンにでたジェイムズの「シンぜんとするイシ」とゆうホンのなかの「かみさまシュギとハンシャウンドウ」とゆうロンブンもまたすこしベツのかたちでこのかんがえをテイキした.それにもかかわらず,プラグマティズムのシドウシャたちがこのかんがえをおしすすめてテツガクシをかきなおすところまで,いたらなかったのは,かれらがレキシテキなミカタをもたなかったことによる.このかんがえをもとにしてテツガグシをみなおすことは,たけたに・みつおシによりテイキされた.「技術文化」4+5所載の同氏「カッシラー『実体念と関係概念』」;「思想の科学」創刊号所載「哲学は如何にして有効さを取り戻し得るか」参照).

(3)ニコライ・ハルトマンは,モンダイガク(Aporetik)とゆうことをとなえだした.テツガクシもまたモンダィのあつかいかたのレキシとしてみるべきである.
 これにサイして,モンダイのあつかいかたが,テツガクシャそれぞれのキョウミによってことなり,さらにまた そのひとをめぐるコジンテキ-キョウグウ,ジダイのクウキ,シャカイのしくみによってセイヤクされていることをはっきりみとめねばならぬ.テッガク-モンダイのあつかいかたには,シャカイテキなルイケイ(type タイプ)のあることをも かんがえるべきだ。しかし,このようにレキシテキなブンセキばかりにちからをいれすぎると(これらのテツガクセツは、ゲンダイのシャカイ-ジジョウとちがうむかしのシャカイ-ジジョウのケッカとしてできたものだから,いまではツウヨウしないハンドウ-テヅガクだ)として ほうむりさるむきになりやすい.だから,さらにすすんで,これらテツガクセツのさしだすモンダイを,われわれのいまのモンダイとしてとらえることになってはじめて,これらのモンダィのあつかいかたをいかすちからがはたらくことになる.ただし、このばあいにも,シャカイ-ジジョウのちがいをはっきりつかむことによって,これらテツガクセツのゲンダイヘのテキヨウに てごころをくわえることが、なされねばならぬ。
 このようにして,テツガクシは,シャカィカガクのガイネンをもっとひろくそしてテッテイテキにとりいれて,かきなおされるとともに,われわれのいまたちむかっているいろいろのコンナンにひかりをなげるためのベンキョウとして,くみたてられなくてはならぬ。

 こんどラッセルのかいた「セイヨウ-テツガクシ」をとりあげて,このホンにことよせて,「これからのテツガクシは,どんなフウにかかるべきか」をかんがえてみることにした.なぜこのホンをとりあげるかとゆうと,「このホンは,いままでのテツガクシのホンとちょとけいろのちがったものだ」とラッセルがみずからいっているからである.それでもなおこのホンは,われわれのテツガクシヘのチュウモンをみたしてくれるものではない.このホンについてのクジョウはこのホンをヒヒョウされるかたがたによって,つぎにのべられるであろう.

1)「あみあわせる」とゆう考えは,ぜんぜん自分の立場をもたないで他人の言説をつなぎあわせる折衷主義のにおいがするが,その意味ではない。