バートランド・ラッセルのポータルサイト

グリーンスパン(著),野村博(訳)『科学と自由-ラッセルの予言』への序文

* 出典:グリーンスパン(著),野村博(訳)『科学と自由-ラッセルの予言』(世界思想社,1982年6月刊 vi,147,iii pp./世界思想ゼミナール・シリーズの1冊)
* 原著:The Incompatible Prophesies; An Essay on Science and Liberty in the Political Writings of Bertrand Russell, by Louis Greenspan, c1978.)

 序文

 この小論は、科学技術の時代に自由をどのように考えることができるか、というバートランド・ラッセルの社会的・政治的著作において人を動揺させる問題を考証しようとするものである。科学的に組織された世界と自由な世界という2つの概念の不一致は、矛盾と言えるほどラッセルにおいて大きいことが時々あるが、しかし、この矛盾ということばだけでは、彼の著作が示す不協和音よりも何かいっそう整然としたものを暗示する。自由主義がその中心的な確信にもかかわらず専制政治に向かう隠れた傾向を秘めているのではないか、というドストエフスキーのような19世紀の作家が表明した疑いの念は、バートランド・ラッセルの著作によって強められているのである。
 本文から明らかになるように、ラッセルの政治上の思想と活動を研究する人々を悩ませる問題は、ラッセルがいろいろな時に行なうように思われる矛盾した選択にある。政治学説が相反すると通常考えられている著者たちはすべて、彼らの異なった見解に対する権威をそれぞれバートランド・ラッセルの著作に求め、見つけ出すことができるのである。ノーム・チョムスキーは「自由と理性」(松下注:『知識と自由』とすべき)*1でラッセルを典型的なアナキストと見ているし、デイヴイッド・ホロヴィッツ*2は、ラッセルはボルシェヴィキに近いと言っている。ところが一方では、ラッセルをどのような種類のイデオロギーにも反対する経験主義の第1の代表と認める人々が他にいるのである。
 ラッセルに対する私の関心は、一部分は、このような見方をすべて分類しようとする企てとして始まった。私は大学学部に在学している時、マルクス主義の「野蛮」から西洋文明を守る冷たい戦争の最大の英雄の1人としてのラッセルを知った。当時われわれが気に入るようになったラッセルは、リチャード・クロスマンの『失敗した神』という広く影響を及ぼした本では、マルクス主義と共産党が非常に心を引きつけた1930年代にこれに抵抗する勇気をもった知識階級の間で数少ない英雄の1人として、簡単に紹介されていた。『ボルシェヴィズムの実践と理論』というラッセルの本は*3、自由主義文明と西洋が東洋の全体主義によって脅威を受けていると感じた人々によって大いに崇敬された教則本であった。何年も後に、一般大衆の人々の目から見えなくなったのも同然であったラッセルは、ソヴェートびいきの声明を出し、ついにはアメリカ人に対する闘争で北ヴェトナム人を擁護するという「ピースニク」(平和運動家に対する中傷の呼称-訳者)として、新聞記事などの見出しに再登場した。その間、『自由への道』や『社会改造の原理』のようなラッセルの急進主義的な著作が、自由社会主義者として、(例えば1968年チェコスロヴァキアで非常に悲劇的に終わった運動のような)人間の顔をした社会主義の代表者として、ラッセルを紹介する意図で出版されたのである。
 私が最初に研究し始めたテーマは、産業社会の問題に対する応答としてのラッセルの自由擁護論というテーマであった。彼がこの問題について書いたのは、この問題が通俗的な自由主義の信条となるよりずっと以前であった。彼は1950年代に生態学とエネルギー不足について*4、また1920年代にテクノクラシー対自由主義について書いている。ラッセルという人物は、現代に特有の問題に立ち向かった自由主義者として、重要なテーマであるように思われた。このテーマを彼の私的および公的な文書で検討するうちに私は、自由社会をもたらすために強制力を多量に使用するという厳格な施策をいかに彼がしばしば容易に受け入れ、要求さえしたか、ということに感心した。自由論者としての、さらにはアナキストとしてのラッセルは、完全に説得力があって、彼の著作のなかには、その説得力の点ですぐれた文書の部類にはいるものがある。よい世界の基礎を超強大国の強制力に喜んでおこうとしている地政学的現実主義者としてのラッセルも、等しく存在している。しかし私は、彼がこのテーマを全く納得のゆくようにまとめたとは信じない。したがって、彼の思考には深い裂け目がある。それは、自由と科学的に組織された社会の必要性との関係に潜む重大な危機である。この裂け目こそ私が本書で考察したいものであって、それによって、ラッセルの政治的著作に見られる他の衝突・矛盾・外観上の混乱は本来の視点にもたらすことができることを希望するのである。
 「自由」「科学」「組織」など、鍵となる語がこの小論でもっと正確に定義が下されていないことは、おそらく不思議に思われるだろう。もちろんラッセルは、彼の著作のなかでこれらの語の定義を下しているが、しかし専門的な定義は、これらの語の用法や語相互の関係について、じゅうぶんな味わいを与えるものではない。厳密に言えば、自由と自己実現または幸福は、相互に複雑な関係があるが、しかし、ラッセルの著作ではこれらがすべて同じ語族に属している。同様に科学・組織や類似の語は、厳密な意味では別々であるにもかかわらず、相互に合同(注:混同の誤植?)しがちである。この小論におけるこれらの語の散漫な用法は、異議があるけれども、科学と自由の関係に関するラッセルの思想がもっている問題の性質を示唆するものである。

[注]
*1 Noam Chomsky, Problems of Knowledge and Freedom (London: brrie & Jenkins, 1971/川本茂雄訳『知識と自由』番町書房、1975年)。
*2 David Horowitz, Bertrand Russell-Tribunal- The Final Passion, in Ramparts,v.8(Apr. 1970) ホロヴィッツは、ラッセルが革命(松下注:ロシア革命)を支持した事実に注意するが、その方法にではない。
*3 Richard Crossman, The God That Failed (London; Hamish Hamilton, 1950)を見よ。この研究は、共産主義者がマルクス主義によってどのように誤り導かれたかに関して悔悟の共産主義者たちが書いた一連のエッセイであるが、そのなかでラッセルは、共産主義を着破した「少数の人々」の1人であると賞賛されている。「バートランド・ラッセルは、1920年に書いた The Practice and Theory of Bolshevism (『ボルシェヴィズムの実践と理論』)を唯1つの句読点を変えることもなしに再版することができた。しかし、事件後の今日、きわめて賢明で人を軽蔑する人々のほとんどが……見る目がなかった」(p.9)。
*4 Bertrand Russell, New Hopes for a Changing World, (London; Allen & Unwin, 1951),pp.32-41(赤井米吉訳『原子時代に住みて-変りゆく世界への新しい希望-』理想社、1953年)。