『ヒロシマわが罪と罰 - 原爆パイロットの苦悩の手紙』へのラッセルの「まえがき」
* 出典:G. アンデルス + C.イーザリ(往復書簡)-『ヒロシマわが罪と罰 - 原爆パイロット
の苦悩の手紙』(篠原正瑛・訳)(筑摩書房,1987年7月刊,ちくま文庫あ-7-1)
・本書は,1962年8月筑摩書房より刊行されたものを,ベック社版(OFF LIMITS FUR DAS GEWISSEN: Der Briefwechsel zwischen dem Hiroshima - Piloten Claude Eatherly und Gunther Anders, 1982)によって再編集したもの(解説=芝田進午)/訳者の(故)篠原正瑛(1912~2001.11.15)はドイツ哲学者
(ちくま文庫のカバー裏より)「1945年8月6日,広島の上空で約45分間旋回した後,僚機エノラ・ゲイ号に向けて,私(Claude Eatherly)は「準備OK,投下!」の暗号命令を送りました。」・・・。後年,地獄火に焼かれる広島の人々の幻影に苦しみつづけ,「狂人」と目された「ヒロシマのパイロット」と哲学者 Gunter Anders(ギュンター・アンデルス:右下写真の右端に写っている人物)との往復書簡集。それは,病める現代社会を告発してやまない。ロベルト・ユンクの精細な解説「良心の苦悩」を付す。
ラッセル卿のまえがき
イーザリー(Claude Eatherly)の事件は,単に一個人に対するおそるべき,しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく,われわれの時代の,自殺にもひとしい狂気を性格づけている。先人観をもたない人間ならば,イーザリーの手紙を読んだ後で,彼が精神的に健康であることに疑いをいだくことのできる者はだれもいないであろう。したがって私は,彼のことを狂人であると定義した医師たちが,自分たちが下したその診断が正しかったと確信していたとは,到底信ずることができない。彼は結局,良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら,そのことを懺悔したために罰せられるところとなった。同時代の人びとの良心を揺り動かして,これらの入びとの目を今日の狂気に対して開かせるために彼が選んだ方法は,かならずしも,つねに最も理性的なものではなかったかもしれない。しかしながら,その理由づけは,人間的な感覚を失っていないすべての人びとの感動に価する。彼とおなじ社会に生きる人びとは,彼が大量殺戮に参加したことに対して彼に敬意を示そうとしていた。しかし,彼が懺悔の気持ちをあらわすと,彼らはもちろん彼に反対する態度にでた。なぜならば,彼らは,彼の懺悔という事実の中に行為そのもの〔原爆投下〕に対する断罪を認めたからである。私が哀心から望むことは,この事件の公開によって,すべての関係官庁がこの事件をもっと正しく判断するよう説得されるとともに,これらの官庁が力の及ぶかぎりあらゆる措置をとって,彼がうけた不正から彼を回復させることである。
バートランド・ラッセル
* 訳者(篠原)注:ラッセル卿の「まえがき」のうちで,英文のものは卿自身の手に成るオリジナル・テキスト。日本文のものは,英文のオリジナルをアンデルスがドイツ語に訳したテキストから,篠原が翻訳したものである。
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Preface by Earl Russell, O. M.
The case of Claude Eatherly is not only one of appalling and prolonged injustice to an individual, but is also symbolic of the suicidal madness of our time. No unbiased person, after reading Eatherly's letters, can honestly doubt his sanity, and I find it very difficult to believe that the doctors who pronounced him insane were persuaded of the accuracy of their own testimony. He has been punished solely because he repented of his comparatively innocent participation in a wanton act of mass murder. The steps that he took to awaken men's consciences to our present insanity were, perhaps, not always the wisest that could have been taken, but they were actuated by motives which deserve the admiration of all who are capable of feelings of humanity. The world was prepared to honour him for his part in the massacre, but, when he repented, it turned against him, seeing in his act of repentance its own condemnation. I most earnestly hope that as a result of publicity the Authorities may be persuaded to adopt more just views of his case and to do what lies in their power to redress the wrongs that he had suffered.
Bertrand RusselI
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(掲載日:2008.04.28)