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「はしがき」(『アインシュタイン平和書簡集』へのラッセルの序文)
『アインシュタイン平和書簡集』v.1(みすず書房、1974年12月刊)pp.xiii-xv.

* 原著:Einstein on Peace, ed. by O. Nathan and H. Norden, c.1960
* ラッセルの序文(金子敏夫訳:一部改訳)は、1956年5月8日に執筆されたもの。アインシュタインが1955年4月11日になくなり、約1年たって書いたものをこの本の序文にあてたものと思われる。


 アインシュタインの科学上の主題以外の、手紙と文章が集められ印刷されるのは、たいへん結構なことである。アインシュタインは、同時代の最も有能な科学者であっただけではない。彼はまたそれとは異った賢人であった。もし政治家たちが、彼の言葉に耳を傾けていたとしたら、人類のいろんな出来事の経過は、実際起ったほど悲惨なものにはならなかっただろう。「実際的な人々」と呼ばれる人たちの間では、広い展望のきく人のことを、すべて夢想家として非難する習慣がある。最も重要な関連事実の9割まで無視するか、知らない人でなければ、政治に関して発言する価値のある人物とは考えられない。このような土台に立って、誰も、アインシュタインに耳を傾けなかった。ヒトラー治下のドイツでは、相対性原理は、アーリヤ人を困らせることを唯一の目的とする、ユダヤ人の陥穿として非難された。ヒトラーもヒムラーも、相対性理論が理解できず、アーリヤ人には理解できないと、せっかちに推論したのであろう。ドイツに棄てられて以後住んだ米国において、アインシュタインは、科学者として、彼が当然価するすべての偉大な栄誉を受けたが、政治的な事柄について彼があえて何事かを発言すると、彼の発言は、多数の人々から、極めて好ましからざるものと考えられた。
ラッセルとアインシュタインの合成写真  私は、ほとんど常に、彼に賛成した1人であった。彼と私とは2人とも、第一次大戦に反対したが、第二次大戦は不可避だと考えた。彼も私も、水素爆弾戦争の恐るべき見通しに、等しく困惑した。私たちは、この問題について協力を惜しまない、優れた多くの科学者と手を組んで、共同宣言を発することに、同意した。私はラッセル=アインシュタイン宣言を起草し、アインシュタインに送った。彼から答えを得ないうちに、ちょうど私がローマからパリヘの空路で、彼の死を知った。パリに到着すると、署名に同意する旨の彼の手紙がきていた。これは彼の生涯の、最後の行為の一つであったに違いない。私たちは時々会ったが、私がプリンストンに1943年に住んでいた時を除いて、しばしば彼と会ったわけではない。当時週に一度彼の家を訪れ、彼やパウリィ、ゲーデルと科学の哲学について、いろいろな事柄を論じたものであった。パウリィおよぴゲーデルは、それぞれの分野でいずれも非常に秀れていたが、申すまでもなくアインシュタインは、最も秀れた人たちの中でも際だっていた。私には、これらの非公式の論議は大変啓発されるところ多く、極めて価値あるものと思われた。
 アインシュタインが、科学上の理論を容認したり、否定したりする態度は、フランシス・ベーコンの推奨する態度と、非常に異っていた。無論、われわれは事実を知らなければならない。しかし、理論は、それに何らかの価値があるようになるとすれば、個々の観察の注意深い収集、照合から、あらわれでるのであってはならない。どちらかといえばそれは、突然の創造的洞察として、詩人や作曲家のそれのように、出現しなければならない。エディントンが、1919年日蝕の観察によって、アインシュタインの予言を確認しようと計画した時、その結果について、アインシュタインはエディントンより、はるかに興味を示さなかった。私はホイスラー(1834〜1903 英国に在住した米国の油彩及びエッチングの画家)を称賛する一女性の物語りを思い出した。彼女はホイスラーに、バクシー橋があたかも彼の絵の一枚のように見えたことを話した。ホイスラーは答えた。「ああ、自然がさらによく姿を見せているのです」と。私には、太陽系が彼の予言を確証しようと決めて、自ら「さらによく姿を現わしている」と、アインシュタインは考えたのだと思われる。アインシュタインの方法を、学生指導用の教科書風の格言集に変えることは、困難である。その秘訣は次のようになるであろう。「まず先験的天性と包括的創造力を掴め、ついで汝の問題を追求し、しかるのち啓示を待て」。いろいろな困難があるのは、この秘訣の最初の部分である。
 アインシュタインは極度に自己充足した人間であった。その天才と名声にもかかわらず、彼は全く単純にふるまい、世間が彼に対して何らの優位を認めることを(アインシュタインが)求めているようには、いささかも思われなかった。彼の仕事とヴァイオリンは、かなり彼を幸せにしたと私は信じるが、彼の広い慈悲心と人類の運命についての関心は、彼に十分な平穏を得ることを許さなかった。私は彼の中に、虚栄や羨望の、ほんのささやかな痕跡も認めなかった。それはニュートンやライプニッツのような、最も偉大な人でさえ、容易にまぬがれがたい罪である。
 アインシュタインは生涯を通じて、個人と個人の自由を重視した。彼自身、彼の環境が要求する総ての勇気を示した。そしてしばしば他人に向っても、たとえ成功しないことが多くても、同様な勇気を示すよう呼びかけた。彼はナチの出現と共に、ドイツで個人の自由が失われたのを見、他の諸国においても同様な災難の起る危険を、すみやかに感知した。彼は「大軍」には、僅かな敬意しか払わなかった。彼の政府に対する態度は、ヘブライの予言者たちに実によく似ていた。彼は偉大な科学者であるのみならず、偉大な人間であった。彼を知りえたことは良いことであり、彼のことを考えると心慰められるような、彼はそういう人であった。