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ダグラス・クラーク『再び宗教は必要か(キリスト教とバートランド・ラッセル)』(相川高秋・訳)への訳者「あとがき」

* 出典:(荒地出版社,1959年10月刊. 157 p. 19 cm)
* 原著:Christianity and Bertrand Russell, 1958, by C. H. Douglas Clark.
 訳者あとがき

 本書は C.H.Douglas Clark, Christianity and Bertrand Russell, 1958 の全訳である。著者は英国人で、自然科学者、宗教評論家としてかなり知られており、1920年から1955年迄、英国リーズ大学教授として、無機化学、構造化学の講座を受持っていた。彼の著書としては次のものがある。
The Basic of Modern Atomic Theory (Methuen and Co., Ltd. London, 1926), The Electronic Structure and Properties of Matter (Chapman & Hall, Ltd. London, 1934), The Fine Structure of Matter, Volume I , X-Rays and the Structure of Matter (Chapman & Hall. Ltd, London, 1938), The Fine Structure of Matter, Volume I, Molecular Polarization (Chapman & Hall. Ltd. London, 1938), The Fine Structure of Matter, Volume III, The Quantum Theory and Line Spectra (Chapman & Hall. Ltd. London, 1938), The Story of the Atomic Bomb (Machinery Publishing Co.. Ltd. London and Brightor, 1945), The Scientist and The Supernatural (Epworth Press, London, 1966)
 クラークがこの本を書いた動機については、原著者序の中に詳しく書かれているが、訳者宛の手紙の中でも彼は次の如く書いている。
「私のこの書物が日本語に訳される価値があると思われたことは、私の非常な喜びであります。私はラッセルの書いたいろいろのものが、世に害毒を流していると思いますので、喜んでほん訳の権利を貴兄に差上げたいと考えます。私はラッセルに対して適当な答をこの書物の中でしたつもりでおりますが、キリストを信じていない人々にキリストを伝えることは非常にむつかしいと痛感しています。(松下注:「仏陀(orマホメット)を信じていない人々に仏陀(orマホメット)を伝えることは非常にむつかしいと痛感しています。」も同様)ラッセル、ハクスレイ、マーガレット・ナイトというような人々は、みんなこのような盲点をもっているのでありまして、そのための非常な害毒を世に流しているのです。それで私は許されるかぎり、これらの人道主義者達の宗教攻撃に対して、今後も答を書きつづけていくつもりです。……」
 筆者はその後、英国リーズのクックリッヂという村に、隠退して著述に専念中の同教授を訪ね、1週間程滞在して、色々の問題を話しあったことがあった。当時は前掲の『科学者と超自然的なもの』の校正中であって、私にもその校正刷を見せて、色々と意見をきかれたのである。2人の意見が最後迄対立したのは、'原爆の問題'であって、そこには英国と日本との原爆体験の根本的相違が、深く横たわっていたように思う。クラークは神学者ではない。その点はラッセルも同様であって、この2人とも、新しい神学書を多く読んでいるとは思われない。従って、ラッセルの『なぜ私はクリスチャンでないか』を、バルトやブルトマンを経た今日の神学の立場から批判することは極めて容易であって、彼が攻撃しているキリスト教は、神学的には19世紀の古い体系に属するものであるにすぎない。しかし重要な問題は、大衆が信じ大衆の中に生きている信仰はどんなものであるかということであって、信仰は科学の発見とは異って、発明者の知識が大衆の理解とは無関係に、大衆の生活を、変化せしめ得るものではない。その点において、宗教の世界では大衆の生活の中から信仰に関して語る声が大切なのであって、ラッセルはそれを否定的に語り、クラークはこれを肯定的に行なったのである。大衆に及ぼす影響力について云えば、10人のバルトも20人のブルトマンも、1人のラッセルにかなわないといってよい。
 筆者は数ケ月前、ロシヤ正教会の招きを受けた日本プロテスタント教会代表の1人として、ソ連に渡り、つぶさにソ連の教会の現状を視察する機会を得た。驚いたことは、この唯物主義、共産主義の国において、教会は隆盛をきわめ、何処の教会も立錐の余地もない程の超満員であった。入り切れない人々が、零下20度の戸外の雪の上に立っていたのは、非常に印象的だったのである。ソ連のある教会の牧師が筆者に云った。「日本の教会では、バルトのむつかしい神学等をやたらに教壇から話すので、信者が集まらないのではないか」私は同じ様なことを米国でも、屡々(しばしば)きかされたことがある。
 ソ連の教会では、1918年の政教分離の法令以来、教会内で政治を語ることはきびしく禁ぜられ、福音のみ、聖書のみが単純に会衆に語られて来たのである。勿論そのことの中に全く問題がないわけではない。しかしそのことが、教会生活を、より純真なものとなし、この世の生活では得がたい魂のなぐさめを、そこで与えて来たことも否定出来ないのである。筆者はそこで、久しぶりに、神学論義ではないほんとの説教をきく思いがした。牧師が自信と誇りとをもって、単純な聖書の話をしていたことも極めて印象的だった。
 ソ連での体験を通じて得た1つの結論は、科学的に人生を処理しようとしても、必ずそれだけでは片づかないものが残るということであり、逆に云えば、科学的にのみ処理しようとすればするだけ、それからはみ出たものへの要求が人々の間に強くなるということである。ラッセルの合理主義はよい、しかしそれで宗教を処理しようとしたところに彼の行きすぎがあったのである。
 キリスト教を科学的、歴史的に究明しようとした試みは、ラッセルの素人常識論とは別に、専門家の中にもあった。それは D.シュトラウスを代表の1人とする19世紀前半の、イエスの史的研究のグループである。彼等の研究の結果は、史的イエスを殆んど不可能にしたのであるが、その灰の中にキリスト教は滅びず、却ってその否定の中からバルト、ブルンナーの弁証法神学が生れたことは、人々のよく知るところである。がその弁証法神学もまた、その非歴史性、実存論過多の故にまた今日批判の的になりつつあるのである。今日の神学は、ロビンソンやコックスの世俗化論を別にしては、史的イエスの背後にあり、キリスト的実存の背後にある根元的なリアリティーに関するところの宗教的姿勢が問われるようになって来ているのである。そのよき解説書の1つを最近の八木誠一氏の『キリストとイエス』(講談杜現代新書)に見出しているのは、筆者のみではないと考える。
 そのように考えて来ると、信仰に関するかぎり、平信徒の「あかし」と称せられるものの重要性が再び問題となって来る。ラッセルの前掲書は、否定的な意味における一市民の非信仰のあかしであるが、その迫力と説得性とは、その常識性、経験性の力から来るのである。クラークの本書もまた一信徒の「あかし」の書物である。それはイエスの事実を神学的に、或いは歴史的に追及するのではなく、彼の日常の経験を通して「あかし」しようとするのである。ここに述べられていることは、史的イエスを生み出し、その史的イエスをキリストとしてクラーク自身に受け入れさせた力そのものに関してのいいわらざる「あかし」である。そのような「あかし」の論争として、この2つの書物を読むものにとってのみ、ラッセルの書物の30年という古さも問題とならず、クラークの現代神学に関する無関心も許されると思われるのである。
 結果だけを重んじ、過程をおろそかにするのは、現代の日本人の特質である。そのことは、西欧の数百年の進歩を50年でし遂げなければならなかった日本人にとっては必要であったのかも知れない。しかし信仰に関する限り、他人の体験の結果だけを受けついで、事なれりと考えることは到底許されない。たとえば宗教と科学というような古い問題も、この国においては、われわれの実存の事実としては、未だ深く受けとめられたことはないと云ってよい。そうであるとするならば、われわれはラッセルの投げかける基本的な問題とのとりくみも、さけてはならない事柄のひとつと考える。ラッセルの『なぜ私はクリスチャンでないか』は、どの国でもベストセラーズの1冊であった。そのことは、それへの反論の重要さをも意味するのである。この2冊を並べて改めて精読されることを心から願って止まない
 横浜にて 相川高秋