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『中央新聞』1921年(大正10年)7月30日(土)付 |
日本国民の永遠の幸福を望む 来朝中のボーランド(ママ)、ラッセル氏は昨夜の慶應義塾に於ける講演会を最後の名残として、愈々明三十一日午後、横浜出帆の加奈陀太平洋汽船会社のエムプレス、オブ、ルシア号(松下注:正確には、Empress of Asia* 下写真出典)で、加奈陀経由帰国する事となった。 本日は市中を一周見物して 午後五時から帝国ホテルを引き揚げ横浜に赴き、グランド・ホテルに於ける友人一同の招待会に臨む予定である。同氏は通訳を介して、 「日本国民の永遠なる幸福を望むと共に、在日中熱誠なるご声援を受けたる事を深く感謝す 日本は今や思想界の過渡期 にありて、国家興亡の秋(とき)である。慎重なる国民の自覚を祈る」と語った。 |