バートランド・ラッセルのポータルサイト
野村博(著)『ラッセルの社会思想』 * 出典:野村博(著)『ラッセルの社会思想』(法律文化社,1974.9 206p. 22cm./箱入)
 

序にかえて(日付なし)

 1872年5月18日に生まれたバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell)は、今世紀最大の哲人の1人として、公私ともに波瀾に富んだ生涯を1970年2月2日満97歳で閉じた。
 ほとんど1世紀に近い人生行路において、「純一無雑を猛烈に要求する極度に複雑なパーソナリティ」の持ち主であったといわれるラッセルは、だれもが自明で当然のことと考えるほど明瞭なことがらを取りあげて、それを徹底的に問題にした。そして既成の観念が依って立つ根拠や伝統的な信念が由って来た源泉を明らかにするとともに、宇宙における人間の地位についての自然科学的な認識――人間の宇宙的存在性の自覚―一にもとづいて、人生における真実と幸福をひたすら情熱的に追求してきたまことの哲人である。
 ラッセルについて卓越した伝記を書いたアラン・ウッド(Alan Wood)が、その書名を『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑論者』(Bertrand Russell: the passionate sceptic, 1957)と題して、「ラッセルは、情熱的にものを信じる人間になりたかったからこそ、情熱的な懐疑論者だったのである。」といっているが、まことにラッセルは、人間存在のあり方を追求するために、いっさいの既成の観念や権威を容認せず、事物の本性にいたるまで徹底的に問い続けた懐疑の人であった。「冷笑的な懐疑主義は不毛であるが、情熱的な懐疑論者は勇気と成就の人生を生きることができる。」アラン・ウッドが述べているとおり、ラッセルは、あらゆる学問の領域にわたり哲学的な検討と省察を加えて、無前提の学としての哲学本来の道をほとんど1世紀に垂んとして生き、長寿を全うした不屈の哲人であったといわなければならない。次々と世に問うてきた彼の数多くの業績は、私たちをして目を見はらせて余りあるが、そのなかでも政治・宗教・倫理などの実践的な社会問題に関して表明してきた彼の見解は、痛烈な機知に富む洞察力の鋭さのゆえに、人類の将来と今日を生きる人間のあり方について私たちに教示するところが実に多いのである。
 しかしながら、何もこのことは、ラッセルの多方面にわたる哲学的な見解がその長い生涯をとおし終始一貫してまったく変化しなかった、ということを意味するものではない。むしろラッセルは、アラン・ウッドがいうように、「自分自身の説であると誇って呼べる理論を生み出し、それから1年かそこら経つと嬰児殺しをよくやった。ちょうどたいていの哲学者が論敵の説を切り倒すのと同じように、ラッセルは無慈悲にも自説を切り倒して変えたものであった。」もちろん、たとえ見解は変えられてもラッセルには常に「オッカムの剃刀」として知られる方法の一貫性があったけれど、しかしラッセルみずからが認めているように、「私が哲学に関してものを書き始めて以来、きわめて多くのことがらについての私の見解は、たびたび変化してきたのである。」いや、むしろそれどころか、「哲学的な学説の体系が変化しないということは、知的な沈滞の証拠である。」とさえラッセルは考えていたのである。このようなラッセルにおける哲学思想の変化は、いうまでもなくいわゆる無節操のためではなく、歴史的社会的現実にむかって合理的な経験主義の態度で対処した結果であるとともに、「情緒的に望ましい結論にむけて哲学上の論議を操作しようとすることは、最大の知的犯罪である。」という強い確信をもっていた彼の知的な誠実さの表われでもある、と考えられるのである。
 ところでラッセルは、『80歳の誕生日にあたっての随想』(Reflections on my Eightieth Birthday in: Portrais from Memory and Other Essays, 1956)のなかで、「少年時代以来私の人生の重要な部分は、2つの異なった目的にささげられてきたが、この2つは長い間別々のままであったけれど、最近になってはじめて1つの全体にまとめられた。つまり一方では認識できるものがあるかどうかを見つけ出したいと思い、他方ではいっそう幸福な世界を創造するためにできることならどんなことでもしたいと思った。」と述べている。そしてさらに引きつづいて、38歳までのエネルギーの大半は前者の仕事についやしたが、第1次世界大戦の勃発とともに人間の悲惨と愚行に自分の思索は集中するようになってきた、と書いているのである。たしかにラッセルには、数多い著書・論文で扱われている内容からみても、2つの分離した興味ないし関心があった。その1つは絶対的に確実な知識の探求であり、もう1つは人間生活に対する愛情に満ちあふれた関心である。
 ささやかなこの拙著で私は、ラッセルの後者の系列に属する諸労作をとおして、彼の倫理・政治・宗教などの実践的な面にかかわる社会思想を明らかにしていきたいと思う。ところで、思想というものは、特にそれが社会思想といわれるものである限り、ある一定の歴史的社会的現実がかかえている諸問題を解決するための知的手段の体系であるから、その時代の政治・経済・社会の諸条件を無視しては意味のない観念の遊戯になってしまうだろう。ラッセルも画期的な大著『西洋哲学史』(A History of Western Philsophy, 1946)(松下注:1945のまちがい)に、「古代から現代にいたる政治的社会的諸条件との関連」という副題をつけ、その「序文」のなかで、「哲学者は、結果であるとともに原因である。すなわち哲学者は、その社会的環境やその時代の政治.制度の結果であり、また(もし哲学者が幸運に恵まれれば)後世の政治や制度を形成してゆく諸信念の原因となる。」と述べ、さらに引きつづいて、それぞれの哲学者を「各人の環境の所産として、また各人の属する社会というものに曖昧に拡散した形態で共通している思想や感情が、その人のなかに集中し結晶したのだというような人間として呈示するように努めた。」と書いている。
 しかし、ラッセルの社会思想を考察しようとするこの小著で私は、ラッセルその人が私たちが生きている「現代」の人であり、当面している歴史的社会的現実の諸問題もなおまだ同時代的であるから、彼の諸著作を取りあげる場合にも、それが書かれた時代的状況との関連をひとつひとつ詳細に論じることはしなかった。そこで小著の構成としては、まず実践的な倫理に関するラッセルの思想について、その変化・発展の跡をなるべく年代記的に彼の諸著作をとおして追究し、彼のいだくようになった倫理観を明らかにしていく。それから次に、このようにして確立された彼の倫理観――詳しくは後述するところによって明らかになると思うが、一言でいえば倫理的情緒主義の立場――にもとづいて政治の理念と現実に関して彼が行なった透徹した分析の方法を鮮明にしてみたい。そして最後に、ラッセルの倫理観や政治思想を支える根底となってきた宗教についての彼の所信、つまり自然科学的宇宙観の立場に立脚する有限・相対の人間観や、宇宙塵(=宇宙人)的存在性の主体的な自覚といったラッセルの思想の根源と考えられるものを究明してみたいと思うのである。