H.ゴットシャルク(著),鈴木祥蔵(訳)『バートランド・ラッセル小伝-自由なる世界人の教育』への「まえがき」
* 出典:H.ゴットシャルク(著),鈴木祥蔵(訳)『バートランド・ラッセル小伝-自由なる世界人の教育-』(明石書店、1989年4月刊。224pp.)* 右下写真出典:邦訳書口絵より
まえがき
私がなぜ『バートランド・ラッセル小伝』を訳し、この本を出版するのか、その理由を少しご説明申し上げたいと思います。
その第1の理由は、平和をめざす教育学の追求です。私は戦争に加担し、中国に侵略した先兵として働いてしまったにがい過去を背負っているからです。1945年の9月にソ満国境を越えてソヴェトに連行され、3年間の捕虜生活を終えて日本に帰って、それ以来今日まで「平和」を思わない日は1日もなかったのです。このことについてはこの本の第2部第2章とした「人権・平和と学問」をごらん下さい。
私は「好戦的な政府は好戦的な教育に力をつくそうとする。正にわれわれの受けた戦前の教育はそういうものであった」と思うのです。
私は戦後の民主主義の教育の中心の課題は反戦をめざす子どもたちの育成だと思いつつ、シベリアから帰ってきました。したがって、1951年に日教組が教育研究集会をはじめ、「再び教え子を戦場に送るな」というスローガンを掲げたときにまっ先にこれに参加したのです。そして、1952年にラッセルの『教育と社会体制』(Education and the Social Order, 1932)を訳し、黎明書房の好意で出版することができたのです(その後この訳書は明治図書の『世界教育学選集』の1冊となっています)。
ラッセルのこの本は1932年に書かれた本ですが「愛国心と教育」というその第10章を読んで私はひどく感動したのです。
ラッセルは原爆に反対するための運動を組織し、その先頭に立って世界の科学者たちと共に真剣に平和を訴えつづけていました、真の意味における「知識人」であると思ったのは私1人ではありません。サルトルも彼をそうたたえています。
第2の理由は、平和・反戦の教育は当然のこととして反差別・人権を追求する教育でなければならないと思うのです。反差別という立場をとり、基本的人権を確立する運動は今日世界中にうねりとなって発展しつつあります。
ソヴェトのゴルバチョフ書記長とアメリカのレーガン大統領のINF全廃条約への合意と、米ソ両国の条約批准書の交換は昨年の大きな成果でありました。それが成り立った背景には、反戦・反差別の世界中の人民の取り組みがあるのです。そして何よりもソヴェトのゴルバチョフのペレストロイカの運動とその思想も大きな1つの要因となっているのです。ゴルバチョフの先輩格で平和に非常に積極的であったフルシチョフは、ラッセルの提案を非常に率直にうけとめた人でありました。
1962年7月、モスクワで行なわれた世界平和大会の席で当時ソヴェト首相であったフルシチョフは次のように言いました。
「ラッセル卿はこう言っています。『軍縮交渉の西側代表はみな次のように言明してほしいと思います。――核戦争は共産主義の全世界的勝利よりももっと悪いことだと私は確信する――と。軍縮交渉の東側代表はみな次のように言明してほしい。――核戦争は、資本主義の全世界的勝利よりも、もっと悪いことだとわたしは確信する――と。どちらの側に屈しようとこういう言明を拒否するものは人類の敵であり、人類の死滅を主張するものだという刻印をみずからに押すことになろう。』その演説は、ソヴェト国内でよりもむしろ国外で多くの人たちの支持と共感を呼んだのです。間もなく、フルシチョフはソヴエトの保守派に失脚させられました。ゴルバチョフは保守派にまかせておくわけにはいかないと考えるソヴェトの進歩派におされてフルシチョフの政策をさらに発展させるために登場してきたのです。ゴルバチョフは「ペレストロイカと国際関係の民主化」と題する1988年6月の演説で次のようなことを言っています。
われわれはラッセル卿のメッセージを、戦争と原爆死か、それとも共産党を承認するかという最後通告だとは解しないし、また逆に、核戦争かそれとも資本主義を承認するかというようには解しない。
もし、いずれかの国が兵力を増強し、戦争の威嚇を強化することによって自己のイデオロギーと政策の勝利をはかるとすれば、事態はかならず世界熱核戦争にむかってすすむであろうとわれわれは考える。われわれは共産主義イデオロギーの勝利をかちとるために世界戦争をはじめるという政策をわれわれにとって無縁であることを世界中にむかって言明する」
「膨大な核の脅威のもとにあって、その他にもグローバルな諸問題が山積する現代の立場から、世界のあらゆる活動分野で国際化が進行し、世界そのものが、あらゆる矛盾をかかえながらますます統合され、ますます相互依存を深めてゆく現代の立場から、われわれは、マルクス主義の出発の当初からそのなかに組み込まれていた思想、すなわち労働者階級の利害と人類全体の利害との内的な関連についての思想を、いっそう深く理解しようと努めた。この探究はわれわれを、われわれの時代においては普遍的な人間的諸価値が優先権をもつ、という結論にみちびいた。これは、新しい政治的思考の核心である」(傍点筆者)。ここでゴルバチョフの言う「普遍的な人間的諸価値」とは、「人権」であるし、別なことばで言えばマルクスのいうところの「類的存在」(Gattungs wesen)に外ならないのです。ラッセルはそれを世界人と呼んだのです。おそらくバートランド・ラッセルが生きていたら、ゴルバチョフに心からなる拍手を送っただろうと思うのです。また、おそらく21世紀には再びラッセルの「世界人の教育」という課題が世界中で問題になるでしょう。そういう意味でこの書の第2部第1章『自由なる世界人の教育』をつけたのであります。
私は、関西大学で教育学を講じながら、部落差別の解消のための運動にも参加してきました。とくに「同和」保育には全力投入してきました。その間に学びとったことは、「事実に即して、自己を変革する」ということでありました。「事実に即して」という思考の方法には実は、バートランド・ラッセルから教えられた方法もふくまれているのです。
以上のような2つの理由で、ゴットシャルクの「バートランド・ラッセル小伝」は、是非多くの人に読んでもらう価値があると思うのです。ラッセルには『バートランド・ラッセル自伝』(日高一輝訳、理想社、上中下)があります。それは非常に大きな本なのでなかなか専門外の人は読んでくれません。ゴットシャルクのこの小伝はその点大変便利です。私の戦争体験と戦後の生き方を知っていただくために、私はこの書物の最後のところに「人権・平和と学問」という講演の記録を収録させていただきました。
これは、昨年(1988)の11月25日、関西大学の主催で教職員と学生のために計画された「人権講演会」の記録です。私が関西大学に部落問題研究室ができてからはじめの11年間そこの所長をやったことをねぎらう意味をこめての最終の退職記念講演の記録なのです。
また、ラッセルの「教育論」の方は、私の昨年(1988年7月)出版しました『平和・人権と教育』(解放出版社)の方に収録した文章「平和教育の先駆者バートランド・ラッセル」がありますが、重複をさけて、少し短かめの『自由なる世界人の教育』(教育学の名著、12選、梅根悟、長尾十三二編、学陽書房、所収)の方をつけることにしました。
私は関西大学で40年間在職し、その間多くの人たちに支えられ、したがってまた多大な迷惑をおかけしました。御礼の意味を込めて、そして私の教育学への初心をもう一度かみしめて総括しておこうというのがこの本の出版の趣旨であります。この趣旨を諒として出版を引きうけて下さった明石書店の石井社長に感謝します。また翻訳や原稿の整理などに援助してくれた平野直二・堀正嗣両君に心から御礼を申し上げる次第です。
1989年3月-退職の記念に- 鈴 木 祥 蔵
なお第1部の原典は、Herbert Gottschalk: Bertrand Russell (Colloquium Verlag Otto, H. Hes, Berlin, 1962) であり、この訳文のテキストは、エドワード・フィッツゲラルドのジョン・ベーカー社から出版された英訳本(1965年刊)を主として使用しました。