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時切「文学者としてのバートランド・ラッセル-時代を諷刺する数々の短篇(『朝日ジャーナル』1970年2月22日号,p.40)

* 時切=日高一輝?

 哲学者、数学者として輝かしい業績を残し、世界平和運動の指導者として名声をはせたバートランド・ラッセル卿が、好評を博した小説を世に出した文学者でもあったことは、あまり一般に知られていない。
 

八〇歳で作家志望

 しかもそれが、八〇歳になってからのことであるから、その青年のような感受性と情熱と意欲のほどは全く驚嘆に値する。そしてそれが、九七歳でその生涯を閉じるまで幸福を共にしたエディス夫人との間に熱烈な恋愛が始ったのと時を同じくするのである。
 「わたくしは、生涯のはじめの八〇年を哲学に捧げたから、つぎの八〇年をフィクション(小説)の分野に捧げよう」と語った彼は、一九五二年、まず、'The Corsican adventure of Miss X'(X嬢のコルシカでの冒険)を書き始めた。この短編は、イギリスの文芸雑誌、GO に匿名で掲載された。出版社は「作者の本名をあてた人には二五ポンド(約二万二千円)の賞金をおくる」と広告した。が、当てた人はいなかった。応募者の中には、サマセット・モームの名を書いた者もあって、ラッセルを喜ばせた。

 翌五三年、彼は、Satan in the Suburbs(『郊外の悪魔』)と題する短編集を出版した。これはスリルとサスペンスに富んだ推理小説として好評だった。気をよくしたラッセルは、さらに精力的に書きつづけて、翌五四年、挿画入りの単行本、Nightmares of Eminent Persons(『著名人の悪夢』)を出版した。これには『アイゼンハワーの悪夢』、スクエアパント教授という仮名人物を中心とする『数学者の悪夢』、ボンバスティカス博士が登場する『精神分析家の悪夢』、『シバの女王』といった短編一〇編と、付録として、『ザハトポルク』と『信仰の山』という二編がおさめられていた。
 この小説でラッセルは、哲学者、科学者をはじめ、アイゼンハワー、スターリン、アチソン、マレンコフ、マッカーシーらの政治家をからかい、時代を風刺している。ラッセルは、悪夢というのは人の胸中、とくに秘められた悩みや怖れをよく示現するもので、著名人や権力者であればあるほど悪夢も多くなるという。それを彼は一般に開示してみせることによって、現代の矛盾を指摘しようというのである。

 

『ザハトポルク』の訴え

 なかでも、その一編『ザハトボルク』では、彼は、真剣に世界の危機を訴え、人類の存続と文明の将来のために警告しようという意図を示した。
 趣向は、話を四千年先の時代に進め、世界帝国の首都クスコの大学学長が、エリート卒業生一〇〇人の前で講演をし、いかにしてかれら赤色人種が世界を制覇するにいたったか、そして建国の父ザハトポルクがそれより千年前にいかにして帝制を築きあげたかを語る。そして、ギリシャ・ユダヤ紀、プロシャ・スラブ紀を今日の二〇世紀に相当させている。さらにシナ・ジャワ紀、千年前のザハトポルク紀、そして現代と話をすすめ、世界の歴史を説明するのである。
 ここでラッセルが提起する問題は、自由と権威、個人と国家の関係である。いかに国家権力が強固な支配体制を確立しても、それが国民の自由と創造性を抑圧してしまう専制である限り、必ず没落の運命をたどること、権力者たちは、やがては必ず堕落してしまうものであること、そして結局、社会を平和と幸福に導くためには、権力的支配よりも個人的自由の尊重、狂信よりも真理への熱情、策略よりも誠実な愛が必要であることを叫ぼうとする。そしてラッセルの批判精神と実践のプログラムを暗示しようとする。
 主人公の一人であるトマスをして、ラッセルが唱導していた世界連邦の構想を実現させ、自由な世界国家を建設させるのであるが、やはりラッセルの理念である自由な国民の抵抗精神をもってそれを批判し、監視し、改善の努力をつづけない限り、結局は権力による圧制を世界的規模に拡大させてしまうかもしれない危倶があると警告するのである。
 『郊外の悪魔』は、一九六一年にペンギン・ブックスの一六四五番に加えられ、『著名人の悪夢』は一九六二年に同じく一八五八番に加えられている。

 

原水爆で創作を断念

 ラッセルは、学者として秀でているばかりでなく、もともと詩情豊かであり、芸術家としての素質もすぐれていた。彼の代表的快著『西洋哲学史』をはじめ、数多くの論文の中に、その文学者的心情や創作欲が自然に流露している。『ラッセル自叙伝』は、まさに彼の伝記小説といっていいほどである。
 彼は、バーナード・シヨー、H.G.ウエルズ、D.H.ロレンス、ジョセフ・コンラッドら、著名な文学者たちとの交際も深かった。
 ラッセルは、自分でも言っているように、ほんとうに晩年を創作にうちこみたかった。が、原爆、水爆の登場が、彼の運命を人類の生存のため、世界の平和運動の方向へと導いていった。
 「もしもヒロシマ、ナガサキがなかったら、いまごろは小説家ラッセルだったかもしれない」と親しい人にもらしていたという。(時切)