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バートランド・ラッセル『哲学する方法』訳者(吉田謙二)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル『哲学する方法』(吉田謙二・訳)(ビジネス・リサーチ,1978年9月 121pp.)
* 原著:Bertrand Russell : The Art of Philosophizing and Other Essays, 1968.

訳者あとがき

バートランド・ラッセルの『哲学する方法』(邦訳書)の表紙画像  本書は,The Art of Philosophizing and Other Essays,(Philosophical Library, Inc., 1968)の訳である。ここには、バートランド・ラッセル(Bertrand Russe11, 1872-1970)が,第2次次世界大戦中,余儀なくアメリカ合衆国に停まったとき,折にふれて書いたエッセイや講演を集めた, Philosophy―Addresses, Essays, Lectures, Philosophical Library, Inc. から、論理的な考え方を平易に説いたものが収められている(松下注:「抜粋」であるということを言っているように思われるが、意味がとりにくい。)本書の各篇を通じて,論理学の知識はいっさい前提されず,しかも,現代の論理学の本質が説明し尽くされ,到達できる地点とさらに考究するべき問題の所在とが実証的に示されているので,これから哲学や論理学を始めようとするひとに最適であると考えて訳出した。
 日常,論理とか,論理的とかいう言葉が気軽に使われているが,そのような言葉を発するひとも,聞くひとも,せいぜい筋の通った考え方というほどの意味に解しているにすぎない。たしかに,それも1つの用いられ方であろう。しかし,論理という言葉の背後には,人間の思考法に関する半生の歴史があり,論理学がある。
 ラッセルは,アリストテレスが集大成していらい墨守されてきた,伝統的な論理学を約2100年ぶりに,抜本的に改革したひとであり,その業績は,The Principles of Mathematics, 1903 や,ホワイトヘッド(Alfred N. Whitehead, 1861-1947)との共著 Principia Mathematica, 3 vols., 1910-1913 などに示されている。これらの書物で述べられているのは,伝統的な論理学が言語の文法的構造を論理的構造と見誤っていた点を排除して確立した,命題のあいだの関係を基本観念とする論理文法,極限概念や数学的帰納法の解明,無限集合と再帰集合の区別,各種の無限数相互間の不等などに関する論証であり,その見地は,数学と論理学に対してだけでなく,哲学および科学に対してもきわめて大きな意義をもったのであった。
 ラッセルの開陳した論理学の諸説は,アリストテレスがそうであったように,かならずしもすべてがかれの創見にかかるものではなく,その先蹤(せんしょう)をたどれば,数学を論理学に還元する論理代数の思想に関しては,ブール(George Boole, 1815-1864)や,フレーゲ(Gottlob Frege, 1848-1925)の,記号技術に関しては,ペアーノ(Giuseppe Peano, 1858-1932)とその弟子たちの業績がある。しかし,アリストテレス以来疑われることのなかった,妥当な推理形式としての三段論法のほかにも,多くの推理形式があることをあきらかにしたのは,疑いもなくラッセルの功績であり,このことのゆえに,ラッセルはアリストテレス以来最大の論理学者と讃えられるのである。
 ラッセルは,あるところで,知的創造力のもっとも活発な若いときは数学を,ついで哲学を,知力が衰えてからは政治をやろうと考えたと述べたことがある。なるほどかれの知的生産の経歴は,数学を通る道から始まっているが,この言葉は額面通りに受け取るべきものではなさそうで,政治的,社会的な関心も早くからつねに並存し,出版された著作の年代からすれば,むしろこの種のものの方が先行している。 哲学者としてのラッセルは,かれの初期の哲学的見解を映した The Problems of Philsophy, 1912 によって,広く哲学的大衆に知られ,ついには英国経験論の歴史におけるヒューム以後最大の哲学者と目されるにいたった。その立場は,論理的原子論,中立的一元論あるいは素朴実在論などと称されている。
 ラッセルの哲学的思索は,たえず自己の達した結論を根底から堀りくずすような問題を提起しながら展開しつづけたが,かれの用いた方法は,一貫して「分析的」であった。オーストリアの哲学者マイノング(Alexius Ritter von Meinong, 1853-1920)の問題,すなわち,存在しないある種の事物について言明がなされる場合,椅子やテーブルのような事物とは異なった仕方ではあるにしても,言明された事物の存在性は考えられねばならないという説に対して,ラッセルは,「黄金の山は存在しない」とか,「円い四角は存在しない」と言うかわりに,「黄金であって,しかも山であるようなものは存在しない」,「円であって,しかも四角であるようなものは存在しない」と分析し,言明されるものがかならずしも存在するものではないことを指摘して,実体概念の不必要な増加を阻止した。この分析的方法は,われわれはどのようにして諸事物についての知識を得るのか,ということを考察するときにも適用された。ラッセルは,「可能なときはいつでも,推量された諸存在者は,できるだけ論理的構成体で置換されるべきである」という格率を採用し,現象を分析することによって知られる,論理的原子としての感覚与件 sense-data(あるいは,ホワイトヘッドの見解を取り入れたときは出来事 'event')から構成概念を得,それを対象的存在に置換したのであった。
 このようなラッセルの分析的方法は,論理実証主義やアメリカのプラグマティズムに継承され,こんにちの分析哲学に展開している。また,ラッセルは,アメリカ合衆国の清教徒主義による民主主義と,ソヴィエト・ロシアのボルシェヴィズムとがともに抱懐している道徳的頽落の危険を洞察し,晩年には,原子戦争による人類存亡の危機に警鐘を鳴らし,ヴェトナム戦争におけるアメリカ合衆国の犯罪性を鋭く告発した。ラッセルの活動は多岐にわたり,分析的方法による合理的懐疑を徹底したひとであったし,その生涯のほとんどを著述によって暮らしを立てたひとであったので,著作は膨大な数にのぼる。ラッセルの思想に深く触れようと思われる方は,巻末に主要な著作のリストを掲げたので参考にされたい。
 ラッセルは,よく知られているように該博な知識を機知縦横に駆使する,奥行きの深い散文家であり,そのため,訳文がじゅうぶん原文についていけなかったと思われる。また,わたくしの無知や不注意にもとづく読みちがいや不適訳をしていないかとおそれている。読者諸賢のご叱正をせつにお願いしたい。
 この訳の公刊のため,梅花女子大学の佐野安仁教授に出版社との種々の仲介の労をお取りいただき,あまつさえ,キリスト教にかかわる知識をお教えいただくなど,たえずお世話になった。原文中,当時のアメリカ合衆国の事情などわたくしの理解しかねるところが数ヶ所あったが,それらの点については,カリフォルニア大学アーヴァイン校のA.L.メルデン教授,K.ファイン教授,ならびにマサチューセッツ(工科?)大学のT.パースンズ教授のご教示を得た。にもかかわらず,随所にみられるであろう理解の至らなさや訳文の拙さは,もちろんわたくし自身の責任である。本書の刊行が企画されたころから,版権取得や訳稿の整理・校正にいたるまで,編集部の西川一廉,鈴木昭両氏に一方ならぬご協力をいただいた。これらの方々に対し,あらためて厚く感謝の意を表したい。
 1978年3月 吉田謙二