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バートランド・ラッセルのポータルサイト


バートランド・ラッセル(著),牧野力(訳)
『武器なき勝利』(理想社,1964年7月 196pp.

* 原著:Unarmed Victory, 1963)

訳者あとがき(牧野,1964年2月)

 一九六四年を迎える早々に、キューバの危機と中印国境紛争とを核戦争にまで拡大せずにすんで、ホッとしたところの世界の人々は、中共問題特に国連加盟という難問題に、改めて直面せざるをえない破目に追い込まれた。
 それは、外ならぬフランスの中共承認である。この一石は国際政局に次々と波紋をえがいて行く。そして、政治的、経済的、思想的な勢力分布図の改変、書き直しが行なわれようとしている。たとえ、全面戦争と核戦争とが人類の存続・文明の保持にどうなるのか、だれにもわかり切っているとしても、事に'はずみ'という要素がある。(この要素に働きかけるものは倍加し、尖鋭化し、能率的になっているから)絶対安全と言い切れない面がある。国際的危機が行く手に少なくとも待っていると言えよう。要は、常にそれを「戦争」に持ち込まない知慧と努力と忍耐とで行動する外ない。だれもが自ら実践し、その気運を強く広め、堅持する外ない。
 個人として、だれにもこれは判り切っている。しかし、個人の力を無視する巨大な車輪歯車の回転のように、展開する国際政局の中においては、まま、「個人ではどうすることもできないサ」とか、「成るようにしかならんヨ」とかいう気分になり勝ちである。
 ところが、キューバ危機と中印国境紛争とでは、唯消極的で受身的な受けとめ方をするのでなしに、今さらのように、国際政局の中での別な様相が示された。
 それは、ラッセル自身が本書で詳細に物語っている。このことをより充分に認識するためには真相を的確に知らねばならない。
 二つの危機と核戦争回避との事実と帰結とだけを新聞報道で知りかつ想起するのでは不充分である、本書で、ラッセルが公開したような舞台裏の交渉の経過・考え方、事の運び方などは、所謂、'商業新聞'や政府の'御用新聞'の報道から知ることが先ず困難である。特に、最も必要とされる事態の時々刻々に変展してゆく時には無理であろう。危機に恵まれる(?)今後の生活の中で、二つの危機とその帰結の示す意味は尊い事例として深く認識されなければならない。
 滋に、ラッセルが危機のてんまつを公表する本書の「明日への意味」がある。

 サテ、ラッセルも今や九十を越える身にも拘わらず世界平和のためとあればデモの先頭に立つ信念と実践力とをもち、なお健在を伝えられている。近年、人類への遺言状ともみなされる知慧の書をほとんど年毎に刊行している。まさに、世紀にまたがる巨人である。数理哲学と記号論理学との専門分野の学術的貢献は勿論、政治・経済・社会・教育・宗教・其他一般においても、稀れに見る偉人であるといえよう。(彼の人柄と業績とについては、バートランド・ラッセル著作集第一巻『自伝的回想』--みすず書房版、及び『バートランド・ラッセル−情熱の懐疑家』アラン・ウッド著、碧海純一訳、みすず書房版とが、一般に親しみ易いと思う)。
 ラッセルが自ら見聞し、かつ、思考した事柄問題については、「予言」とでも言いたいような事柄が多い。その例証的事実が後で姿を現わす。(勿論、彼自身も自分を予言者とは考えていまい。)ラッセルは、外目に映る現象に引きまわされずに、物事の性質とか働きとか関係とかに横たわる論理を鋭く把握する。そしてその論理を簡潔に表象する。彼が独創的な数理哲学者であり、記号論理学者である当然の現われであろう。その論理的帰結は、世俗的に「予言」的に受けとられ易い。例えば、専門分野において、数学と論理学との関係問題や新しい科学理論の確立についての彼の所説は現代科学に踏襲されているそうである。原子エネルギーの存在(一九二三年著『原子入門」参照)と水爆の出現(一九四五年、イギリス上院での演説)とについての発言も時代に先駆している。特に興味あるのは、次の事実であろう。ケインズが一九三六年の著作『利子・雇用及び貨幣の一般理論』の中で「強すぎる節約心は失業の原因となる」という経済事情を詳細に論証し、経済学上の通説の一部になった。ところが、ラッセルが、一九三五年出版の「怠惰礼讃」の中で述べた、このケインズ説の先駆ともみなされるこの考えは当時全く風変わりな邪説と一笑された。そして、経済学の教授連からは、哲学者が自分の専門の分野から迷い出て犯した笑うべき誤謬だと軽く一蹴された。ラッセルは、一八九五年ベルリンで、ナチズムの先駆とも言えるドイツ軍国主義とマルクス共産主義との研究に専念し、その周到なる研究法をもって、「資本論」全三巻を読破している。(彼は少年時代から、ドイツ婦人やスイス婦人を家庭教師としていた。)その結果は、一八九六年の最初の著書「ドイツ社会民主主義論」の出版となり、また、マルクス経済学の「無味乾燥で退屈な細部」の中におけるいくつかの論理上の誤謬を指摘することになった。彼は、「共産党宣言」への論評の中で、彼のなみなみならぬ同情と理解とを抱きながらも、決して幻惑されなかった。これは、国家社会主義や国営の盲点の指摘となって現われ(一九一七年著「政治理想」理想社版参照)、また、一九二〇年ソ連訪問後の著述や余波にもうかがえる。つまり、レーニンやトロツキー其他指導者たちとも面談し、(一九五六年『自伝的回想』ラッセル著作集(1)みすず書房版参照)、ロシアの実情を見てから、彼はソ連礼讃をやめ、同年『ボルシェヴィズムの実際と 理論』を著わし、その後反スターリン主義のスタートを切った。しかし、その彼は、一九五二年、スターリン存命中に、「雪どけ」の可能性や国内の民主化を予感し、明示している(一九五二年執筆論文『民主主義とは何か、自由とは何か』理想社版参照)。その発言は、単なる甘い希望的観測の現われではなく、彼流の諸関係を論理灼に把握する常みの帰結であると見られよう。一九二六年に、冷戦に当たる米ソ対立と不寛容戦争時代との出現を予想したり、また、一九三六年に独ソのポーランド分割の発言をしたり(一九三六年出版『平和への道』角川書店版参照(松下注:Which Way to Peace, 1936 には邦訳はまだない。角川書店から出された Roads to Freedom, 1918 の邦訳である『自由への道』とうっかり勘違いしたと想像される。)するのもその帰結を示す事例であろう。
 第二次大戦後の世界状勢とその歩みとはラッセルの発言や提唱の線にそっている。一九五五年七月の各国首脳のジュネーブ会談、米ソ間の咋年(1963年)実現した部分的核停協定、米ソ間直接交信施設設置などはその一例と言えよう(一九五一年出版『原子時代に住みて』理想社、一九五九年出版『常識と核戦争』理想社参照)。そして、キューバ危機と中印国境紛争とは、彼の平和への超人的努力で核戦争を回避できた。

 サテ、本書の中で、ラッセルは、米英国政府の'事前協議'にふれている。英国民の利益を代弁するかたちで、英国政府当局者たちに、この'事前協議'なるものの正体と限界、事前協議の母胎である軍事同盟の功罪について、彼ののべる内容は、われわれ日本人にも、微妙かつ重大である。(岸首相の説明や日米安保条約締結当時の論議を想起させるものがある。)ラッセルは、『人間に未来はあるか』(一九六二年出版、理想杜版参照)の中で、米軍基地内部において、一般米国軍人にも立ち入り禁止されている中核的特殊空軍部隊の存在することとその役割とに言及して、英国のNATO離脱と英国中立化とを提唱している。'自由世界'の体制を、とかく、アメリカ中心にのみ考え膀ちなわれわれには、このラッセルの発言はもっての外という印象を与え易い。しかし欧州には常に、欧州自体の立場から'自主的に'割り出した体制を世界政局に反映させようとする意図がうかがわれる。仏の中共証人が波及するところを察すれぱ、ラッセルの英国中立化論も欧州人の主体性を発揮する考え方の一端ともとれ、唯、見当外れとのみ言い切れないかも知れぬ。あるいは、ラッセル流の諸関係の論理的把握の帰結かも知れぬ。しかし、この発言の当否については、明日の世界の歩みが判定を下すことであろう。
 最後に、ひとこと附記したい。
 ラッセルは、
「平和への道か、人類自滅の道か、われわれがそれを選ぶのである。どう選べばよいかを私は敢えて予言する気はない」
という意味の言葉で本書を結んでいる。
 しかし、ラッセルは、「人類は果たして今後生存しつづけることができるであろうか」という質問に対して、「私は'然り'ということを絶対に確信している」と答えている(前掲『情熱の懐疑家』参照)。ここに彼の人間肯定と人間信頼とが現われている。
 ラッセルの本書の中の言葉が「明日への書」としての意味に生かされることを望んでやまない。
 一九六四年二月 訳者

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