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ラッセル『民主主義とは何か,
自由とは何か』(牧野力・対訳)

(理想社,1962年5月 117pp.)

* 原著:What is Democracy?( 1953) + What is Freedom?( 1952)

訳者あとがき(1962年3月)

(1)

 バートランド・ラッセルは、現代における西欧、いな、世界の'知性'であり、'良心'であると言えよう。数学及び哲学に関する専門家、書斎における学者であるばかりでなく、平和主義の実践家としても、彼の生活は一貫している。(第1大戦勃発当時、反戦運動参加の故に母校ケンブリッジ大学の教壇から追放され、第3次大戦の危機を感ぜさせる昨年(松下注:キューバ危機のこと)、89才の老躯をもって、核兵器戦争反対運動の先頭に立って、禁固刑を宣告された。) その点では、彼は真理に身を捧げる信念のかたい情熱家であるとも言える。

 彼はイギリスの名門の出である。2歳で母と、3才で父と死別し、彼は祖父に引きとられた。祖父ジョン・ラッセル、はベッドフォード伯の3男で、ヴィクトリァ女王から邸宅を贈られたほどの政治家であった。英国首相を勤めた人でもあった。しかし、祖父は富や顕勢(「権勢」の誤植?にこびる人ではなく、逆に、貴族的自由主義を説き、人民への奉仕を条件とする(松下注:人民が主役であり、王が人民に奉仕する限り)王制(松下注:立憲君主制)を黙認するという進歩主義者であった。フランス革命とナポレオンとに対するイギリスの敵意を行過ぎと考えて、島流しになったナポレオンをエルバ島に訪ねたほどであった。孫のバートランド・ラッセルにも、この祖父の血が受け継がれているといえよう。祖父の死後、彼は祖母とドイツ人保母とスイス人家庭教師とに育てられた。
 祖母はユニテリアン派のキリスト教義を、家庭教師は外国語を、7才年上の兄はユークリッド幾何学を、バートランドに教えた。祖父の書斎の蔵書から、彼は広汎な知識を貯えた。彼が11才で学んだ幾何学に対して抱いた関心は、将来あの名著『数学原理』(Pricipia Mathematica, 3 vols., 1910-1913)となって実を結んだと考えられる。
 18才でケンブリッジ大学に入学した。初め3年間は数学を、最後の1年間は哲学を専攻した。幾何学の基本問題について、彼は卒業論文を書いた。在学中、未来の名士となる人々が友達であった。卒業後、パリの英国大使館に勤め、次いで社会民主主義と経済学との勉強のため、ドイツに渡った。アメリカを廻って、帰英した。
の画像  1914年、第一次世界大戦勃発の際、反戦運動、強制徴兵反対運動に参加したため、母校の教職から追放された。翌年、『社会改造論』(松下注:Principles of Social Reconstruction, 1916 のこと)を出版。1918年、トリビューナル紙(Tribunal)上に発表した論文のために、6カ月間の禁固刑を受けた。獄中で、『数理哲学序説』を執筆した。それから、彼は専攻分野たる数学と哲学、更に政治学、社会学、教育学、其他、広汎に亘る執筆、著作が始まった。(今日、単行本だけでも約60冊、掲載論文は数え切れない。) 1920年に、ロシア革命後のソ連を訪ねた。レーニン、其他の幹部とも会って、できるだけ長時間話し合い、いろいろの物事を観察した。その結果,'自由な世界観の人々の誰もが持つ願望とは全く反対であるという結論に達した。'(『自伝的回想」(Portraits from Memory and Other Essays, 1954)参照) 『ボルシェヴィズムの理論と実践』(1920年)は、彼の訪ソの所産であり、対ソ批判の第一歩であった。次いで、中国に1年間滞在し、(日本に少しだけ立ち寄ってから)1921年帰国した。
 第2次世界大戦後、彼は世界政府という新しい政治構想をもって、イギリス放送局(松下注:BBCのこと)から英国民に呼びかけた。最近は、核兵器反対運動の緊要性に鑑み、非暴力、不服従運動の先頭に立ち、運動を展開させている。昨年のトラファルガー広場における坐り込みを指揮し、有罪禁固の刑を宣告された報道は、そのあらわれである。(読者の記憶新たなところである。) ノーベル賞受賞科学者たちを主軸に、(わが湯川秀樹博士もまじえて)構成されたパグウォッシュ運動、百人委員会などの運動の展開も、彼の世界政府への念願の一環をなしていると言えよう。

 (2)

 『民主主義とは何か』と『自由とは何か』の2論文は、戦後、ラッセルが英国民に放送した内容と聞いている。
 英国民は、その歴史が示すように、民主主義・自由主義・議会主義などについては、日本人には先輩格である。民主主義の種子を、戦後占領軍からもらって蒔いた日本国民よりも、長年の事例、経験を積んでいる。頭の上でおぼえたのではなくて、骨身にしみ込んでいる国民である。その国民に解説したものである。この高齢の解説者が、既に何十冊の著作の中でるる述べられた思想を要約しているとも言えよう。
 従って、味読すれば、この2論文は、数理哲学と記号論理学などの分野以外の、人間と社会とに関する彼の思想、それに関する何冊かの本に匹敵する内容でもある。ここに第1の意義がある。
 そして、彼が解説にあたり、とりあげている事例は、古今東西の史実に及んでいる。時局解説の性格も帯びている。論理は明快で、態度は厳正で、民主主義と自由との真偽を見分ける真偽鑑別基準を示している。
 私たち日本人にとって、特にこの点に、本書の意味があるように思う。「民主主義とは何か」ときかれて、ひと口に説明できない場合や、いろいろの意見や考え方が飛び出して、どちらがほんとかと迷う場合が少なくない。「自由とは何か」の場合も、似ている。
 戦前から戦争中まで、日本国民は全体主義・権威主義・事大主義・号令主義の伝統の中に生きていたから、無理もないのである。占領期間中に発芽し、若木となった日本の民主主義も、対蹄的で異質的な土壌の中で、必ずしも、すくすくとは伸びていないようである。伸び過ぎる枝もあれば、刈られ過ぎて、枯れそうな枝もある。(順調に伸ばせると望む方がいけないのかも知れない。アメリカ大陸に上陸した当初英国からの開拓者たちの間で、民主主義という言葉が非難の言葉としか使われなかった事実、それから以後、民主主義なしには開拓も成功できないくらいになじんでしまい、遂に、信念をこめ、使命感をもって、外国にその体験の種を蒔こうとするほどになったアメリカ民主主義の歴史を考えると、せっかちは禁物という気がする。)
 しかし、民主主義の旗印には、人間の本質に何か通ずるものがあるためか、復古調の人々も、その旗を引きずりおろすのを躊躇する。また、いわゆる進歩主義者たちは、民主主義を守る旗を高くかざして結集している。
 ところが、民主主義という言葉の意味や内容となると、必ずしもまとまらず、まちまちである。利己主義から始まって、正義感というオブラードに包まれた全体主義にまで及ぶ広い範囲の考え方や行動を、民主主義という言葉で包んでいる。
 もっともこれは、日本だけではないらしい。後進国が人民の福祉を実現しようと'国づくり'を目指す時、「民主主義の旗を必ず高く掲げる。そして、めいめいに、然るべき気にいる呼び名をつける。インドネシアは '指導された民主主義'、パキスタンは '基本的民主主義'、キューバは '直接民主主義'、また、'人民民主主義' という風である。でも、その実態は '新型独裁制'であり、'擬装(偽装)民主主義'または '偽造民主主義' に過ぎないとも論評されている。
 ともかく、左右両翼の人々が、自分に好都合、共感する点だけを強調して、民主主義と呼ぶから、多様を極め、何だかわからなくなる。対立している側の両方で共用するからである。民主主義を守る旗の下で国会乱入が行なわれ、「数の暴力」をふるって、多数決原理の'隠れみの'をかぶれば、民主主義で通る。これは、国内における社会事象を考え、判断する場合だけではない。(本文でラッセルが語るように)民主主義の老舗(しにせ)の看板のれんにふさわしくない非民主的現象が米国にもあるらしい。
 だから、民主主義とか、民主主義と不可分の自由とかいう問題について、もっと経験を積む必要のある日本人が、東西両陣営が・・・、左翼が・・・、右翼が・・・、民主主義が・・・、全体主義が・・・、という内外の諸問題について考える時、それの見分けとなるもの、ヒモつきでない観方、民主主義を真に育てる要素と阻害する要素などについて、公正に書いたものが必要であるように思われる。
 この真偽の見分け、考え方の筋道を示してくれるところに、ラッセルの2論文の意味がある。そして、民主主義と全体主義との限界を認識して、生かすところに、われわれの課題がある今日、ラッセルの語るところは甚だ重要に感ぜられる。ここに、筆者が2論文を訳出する理由がある。

 (3)

 さて、この2論文について、先ず気づく点は、両方で同一の問題が取り上げられていることが多いことである。これは、ラッセルがその問題を重要視する度合いを物語っているとも考えられる。例えば、警察について論述する時、「共産主義者が革命成就のために権力掌握をめざす時、必ず先ず、警察を自己の掌中におさめようとする。そのためには、保守勢力との連立政権樹立をも敢えて辞さない」云々と述べている。米国の対中共政策やマッカーシズム、ソ連のルイセンコ学説などについても同様に共通してとりあげられている。もちろん、それらをとりあげる観点を考えると、単なる重複でないことがわかる。
 『民主主義とは何か』の中では、民主主義の本質(条件)、長所(効用)、適用(限界)、反民主主義的要素(阻害条件)、対ソ批判(全体主義)、自由との関係、などが充分解説されている。
 残虐防止、不満解消、戦力増大、進歩保証などを民主主義の長所として説明している。
 寛容、互譲精神、遵法、知的自由、発議権と多数決への服従との結合、などを民主主義の本質(条件)とする。だからこそ、ラッセルは、あれほど民主主義を積極的に肯定、強調しながらも、決して絶対視せず、その適用限界を考えている。この点は、注目すべき事項といえよう。

 また、民主主義を阻害する要素についての解説は、全体主義を考える資料ともなる。民主主義の欠点やもろさに通ずるところを示唆してもいる。
 「民主主義は知的自由を保証するとは限らない。」とか、「民主主義は迫害から人を救うとは限らない。」とかいう言葉は、民主主義の本質、実体を理解するに役立ち、われわれが、とかく無意識に通りすぎて、気にとめない事柄である。更に、「万人は平等なり」という言葉も広く、多くの人々に使われているが、ラッセルは2つの観点、すなわち、人間能力資質と政治上の権利との観点から解釈をして、正しい意味のとり方を、アメリカの例を引用して伝えている。しかし、このアメリカの事例を、混線誤解の愚かな事例であると嘲笑できる人や国がどれほどあろうか。われわれがつい飛躍したり、脇道に外れたり、感情に惑わされたりして、誤解し易い点を、事例をあげ、その差異を示してくれている。代議政治即民主主義と思いがちな人には、両者の関係の解説は示唆にとむ。
 国営という問題について、イギリス労働党の実際の体験によって実証されたその明暗両面に、西欧の社会主義者がスターリンの官僚独裁に目を奪われてうろたえた例などにふれている。これらをも、ただ単なる反対、否定と早合点せず、簡単で素朴なことばで言い表わされていても、考えるべき内容を持つ言葉とみるべきではあるまいか。
 ラッセルが人間を見抜く力は鋭い。上品で教養もあり、愛嬌のある紳士や自信たっぷりに火あぶりの刑をした牧師たち、時代の波であるいろいろの運動の底に潜在するもの――人間の根深い利己心と民主主義との関係の指摘、それらに彼の洞察力が働いている。われわれが仮面にだまされたり、中途半端に妥協したりし勝ちなところである。

『自由とは何か』
 この論文の中で、いろいろの自由について、定義を下し、本質を説明し、関係する問題の解説をする際に、ソ連が引きあいに出されるのが、特に目立っている。前の『民主主義とは何か』でもソ連に言及していたが、自由を論ずるこの論文の方が数多い。
 先年、新聞雑誌上で、「ソ連に自由ありや」という論争が賑かに行なわれたことがあった。ソ連はその点、豊富な材料の提供国であるかも知れない。(右イラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953)
 読者の中には、ラッセルの対ソ批判乃至非難が既に過去に属する古臭い議論、見当外れの対ソ批判であると思われる方もあるかも知れない。
 確かに、1959年以降の訪ソ者の帰朝談や印象記は、フルシチョフの民主化への施策を伝えている。しかし、何しろあの大国である。40有余年にわたる全体主義体制は、一朝一夕に消える筈がない。新スターリン主義者もいるとか。指導部が民主化の意向を好意的に肯定しているとしても、現実は一足飛びを許さないであろう。
 ともかく、スターリン主義即ソ連の時代は去った。そのわけは何であろうか。(たとえ洗脳的でも)教育が普及し、(たとえ徐々であっても)生活水準が向上し、(たとえ西欧と較べて格差があっても)知識階級・技術者・中産階級が増加すれば、これらが民主化への推進力や客観条件とならないであろうか。これは、人間と民主主義と全体主義の間にも、物理的な必然性の在る例にならないだろうか。ソ連は、スターリンの死を境目として、「雪解け」、スターリン批判・民主化のコースをたどっている。その現象そのままだけをとれば、ラッセルのソ連批判・全体主義批判は、ソ連の現状が変化しつつある意味では、ズレというようなものをおもわせないでもない。
 でも、スターリンからフルシチョフヘと変化した、あるいは、変化せざるを得なかった事情の中にラッセルの説く民主主義論の意味が実証されたのではあるまいか。民主主義と全体主義の本質、長所、限界が、ソ連で実験され、実証されたとみられないであろうか。もしそうだとすれば、ラッセルの民主主義論と自由論とは、民主主義と全体主義との関係を示しているが故に、現象と状況を資料に、原理と関係を説いているのである。その意味で、時局の波に洗われて、消え去るものでなく、変移の底にあるものを示しているといえよう。そして、スターリン主義のソ連が消えたから、古いとか見当外れだとか言えない。ソ連以外の世界の他の現存する全体主義国にも当然あてはまるのである。
 'ソ連の共産主義に悪い点があっても、戦争によって西欧がそれを改めようとせず、また、たとえ、ソ連内部からの変化のきざしがどれほどかすかであっても、これに期待をかけ、待望し、忍耐するのが西欧のなすべき最良の賢い道であり、任務である'と、『民主主義とは何か』の結びで彼は述べている。これはスターリン生存中の言葉であった。民主主義と全体主義との関係、その中に宿る物理的と言いたいほど必然的なものを、彼はつかんでいたからこそ、この発言ができたのであるまいか。甘い人道主義者の単なる希望的観測でないと思われる。
 『自由とは何か』の中で、強く彼が所信をむき出している点がある。民主主義の本質的な部分である「寛容」について、詳しく再三述べているが、特に「寛容」の限界の項で、'私は西欧に独裁政治を持ち込むのに反対する'と書いている。西欧が身につけて来たもので、今後保持すべき遺産中最も重要のものは '個人の独創力と自由とを尊重する気持ち' であるとし、'「政府は個人のために存し、個人は政府のために在るのではない」という原理が軽視されたり、無視されているところに、現代の危機がある' と結んでいる。これは大問題である。その意味を日本人は充分かみしめたい。
 民主主義と全体主義、東と西、左翼と右翼、こういう双極的な言葉の底には、この人間の生き方における比重のかけ方の差の問題が常にある。個体的であると同時に社会的である人間が存在する上の二重性の現れであろう。民主主義も全体主義も人間の生き方を離れて存在しない。だから本質と限界とを考える外に道はない。人間が欲の'かたまり'(生の拡充を求めてやまない存在)であればこそ、民主主義に進むが、存在の現実は方法論的に全体主義に走る要素もはらんでいる。だから、ラッセルは民主主義を絶対視せず、適用限界を設けている。消極的な言い方であるが、ラッセルは両者の関係についての解説を行なっている点を、この2論文全体から汲みとりたい。
 以上のように、民主主義と自由とを説くラッセルは、最近、平和主義者として、核戦争防止が急務であることに敏感である。極地化的思考、善玉悪玉的割切り方、不信・敵対意識・恐怖から核戦争の危機へと発展しかねない現状に対して、対策を警告している。従来、生き方、在り方の解説をしていた彼は、いま切迫した危機を叫んでいる。地球全体に核爆発実験の与える害毒は、遂に彼に非暴力、不服従運動の展開を決意させた。
 果たして人間に生き残る未来ありや?
 彼は最近作、Has Man a Future?(『人類に未来はあるか?』:日高一輝訳、理想社刊)にそれは詳述されている。他人迷惑な米ソの核実験に、民主主義の国際的高揚と英国中立化を叫んでいる。
 米ソ共に企図せざる戦争、いずれかの誤認による偶発戦争、人類破滅を招く戦争、その根元をさぐると、物事を双極に分けて絶対的に考え、敵対・不信・猜疑心・恐怖へと走る傾向が見られる。この'悪'は人間の心の所産である。最もせまい見方である利己心の見地に立っても、かかる戦争は愚劣極まるものである。人間の心を賢く啓発する外ない。こういう意味のラッセルの発言こそ、改めて、われわれの反省すべき点と思う。最も平凡な言葉だが、現代の危機も、つまるところ、この根性・性根のなす業であることに反省すべきであろう。特に、善玉悪玉式割切り方、極地化的な考え方、敵意煽動、不信植えつけ、その結果、恐怖のとりことなり、水かけ論をくり返す点に反省したい。そしてこの世界の外に立つ以外には、確かに、われわれの平和への道はない筈である。今日共斃れ(共倒れ)的状況に置かれていることが、逆に、過去の歴史上のいろいろの時代よりも更に啓発の可能性を保証する、とも彼は述べている。
 要するに、今日、われわれの直面している内外の状況にあって、平和に生きる道は、国際政治的には世界政府であり、生き方の心構えとしては、民主主義と知的自由の尊重であり、戦争防止のためにも、心の啓発を急務としている。この啓発の目標こそ、この2論文に説かれている人間の生き方であり、また、それについての真偽の見分け方を知ることであると考える。民主主義と自由とを、自発的に考え始める年齢の人々にも読み易いように訳出に努めました。
 1962年3月 訳者しるす

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