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東宮隆(訳)『バートランド・ラッセルは語る』第1章「哲学とは何か」

* 出典:『ラッセルは語る』(東宮隆・訳)(みすず書房,1964年5月 183pp0. みすず叢書 n.4)
* 原著:Bertrand Russell Speaks His Mind, 1960

第1回 哲学とは何か


I What is Philosophy?


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質問は,ウドロウ・ワイアットによる。

 ラッセル卿,哲学とは何ですか。

ラッセル卿 さあ,それはとても議論のある問題です。哲学者が2人揃って同じ答えをすることはないと思います。あなたはどう見るかと言われれば,哲学とは,正確な知識を云々することのまだできない事柄についての思弁だということになりましょうか。この答えはわたくしのものにすぎないので――ほかの誰のものでもありません。

 哲学と科学の違いはどこにありますか

ラッセル さあ,大ざっぱに言えば,科学とはわたくしたちに分っているもの,哲学とはわたくしたちに分らないもの,でしょうかね。これは単純に定義したものですが,このために幾つかの問題が,知識の進歩につれて,絶えず,哲学から科学へ移っていっているわけです。

 それでは,何かが確立され発見されると,それは哲学ではなくなって,科学になるのですね。

ラッセル そうです,いろいろな問題で哲学というレッテルを貼られてきたものも,こんにちではもう,そういうレッテルを貼られておりません。

 哲学はどんな役に立つのですか

ラッセル 哲学には実際上,2つの使いみちがあると思います。1つは,まだ科学上の知識に従わない物事についての思弁を活発にしてくれるところにあります。けっきょく,科学上の知識は,人類の関心を引きもし,また引くのが当然な事柄のほんのわずかな部分にしか及んでいません。ともかく目下のところ,科学にもほとんど分らない事柄で,大きな関心のまとになっているものが,じつにたくさんありますから,人びとの想像力が,現在知りうるものだけの範囲に限られ,囲まれてもらいたくないのです。仮説の領域で想像的世界観を拡げることは,哲学の使いみちの1つだと思います。しかし,これと同じくらい大切と思う使いみちがもう1つあるのです。それは,わたくしたちが分かっていると考えていたもので,じつは分っていないものがあるということを,示すことです。一方では,哲学は,わたくしたちが分るようになるかも知れない事柄について,わたくしたちに考え続けさせてくれるためのものですが,他方では,知識のように見えるものが,いかに知識でないか,それをわたくしたちに謙虚に気付かせてくれるためのものです。(ソクラテスの無知の知'汝自身を知れ':From Russell's Wisdom of the West, 1959)

 思弁の対象になってきた主題で,その後実質的な結果を幾つか生んだものに,どんなものがあるか,例を挙げていただけますか。

ラッセル ええ。それはじつに簡単です。特にギリシャ哲学からならね。ギリシャ人は,仮説で,後にこそ貴重なことがわかりましたけれども,当時はテストできなかったものを,たくさん作り上げました。たとえば,原子論を取ってごらんなさい。デモクリトス(右写真:From Wisdom of the West, 1959)は,物質が小さな原子から成るとする原子論を作り上げ,二千年後,むしろかれの仮説以上に,これが科学的見解として正しいことがわかりましたが,当時それは1個の思いつきにすぎなかったわけです。もう一つ,アリスタルコスを考えてごらんなさい。アリスタルコスと言えば,地球が太陽の周囲をめぐるのでその逆ではないということを,最初に考えついた人ですし,毎日天界の公転のように見えるのも,地球の自転運動のせいだということを,最初に思いついた人です。これは,二千年後のコペルニクスの時代まで,ほとんど埋もれたまま忘れられていた仮説でした。しかし,コペルニクスにしても,アリスタルコスがいなかったら,おそらく絶対にこんなことは思いつかなかったでしょうね。

 そういうことはどういうふうにして行われるのですか――なにか直観のようなものでですか。

ラッセル いや,いや。こういう仮説を最初に考えついた人たちも,「これが真理だ」とは言えないのです――「これは真理かも知れない」と言うのが関の山です。あなたに立派な科学的想像力があれば,真理にもなることのある事柄をいろいろ思いつけますし,それがまた科学の本質なのです。あなたはまず最初,真理にもなることのあるものを何か考えついて――次にそれが真理かどうか,確かめようとするわけですが,だいたいそれは真理ではないのです。

 しかしプラトン(右写真:From Wisdom of the West, 1959)はデモクリトスの原子論を全くばかげたことだらけだと考えたのではありませんか。

ラッセル プラトンはデモクリトスにあきれかえったのです――デモクリトスの本はみな焚書にすべきだと言っているほどです――それはプラトンが科学が好きでなかったからです。プラトンは数学こそ好きでしたが,ほかの科学的なものはどれも好きではなかったのです

 すると,そういうふうにして,哲学は,ある意味で科学の一種の侍女になるわけですね。

ラッセル なるほど哲学は科学の一部ですが,もちろん科学の侍女にとどまるわけではありません――科学には,扱えないものがたくさんあるからです。たとえば,価値の問題など,全部そうですね。科学には,何がよくて何が悪いか分るものではありません――単に手段としてでなく,目的として,何がよく何が悪いか,ということはね

 しかし,右の歳月中,哲学者と一般世間との哲学に対する態度に,どんな変化があったのでしょうか。

ラッセル さあ,それは,あなたがどんな哲学学派を考えていらっしゃるかによって違います。プラトンとアリストテレス双方の場合,主要な事は,世界を理解しようとする試みで,これが,まあ個人的な言いかたをすれば,哲学のやらなければならないものでしょうね。次にぶつかるのがストア学派ですが,この学派の力点は主として道徳――ストイカル(stoical)であるべきだとか,辛抱強く不幸に堪えてゆくべきだとかいうような――にあって,これが「哲学者」の通俗の使いかたになったのです。

 マルクスも哲学者だったのでしょうか。

ラッセル さあ,マルクスはある意味でたしかに哲学者でしたが,しかし,今,その点で,哲学者のあいだには1つの重大な分裂がありましてね。現状維持を是認するために存在する哲学者がいるかと思えば,これを覆すために存在する哲学者もあって――マルクスはもちろん2番目の組に属するわけです。わたくしはどうかと言われれば,右の2つとも,哲学者の真の仕事ではないとしてしりぞけたいところですし,哲学者の仕事は世界を変革することではなく,世界を理解することだと言うところでしょうね,マルクスの言ったことの正反対です。

 あなた御自身はどういう哲学者でいらっしゃるのでしょうか。

ラッセル さあ,わたくしが自分に貼ってきたレッテルは,たった1つ,論理的原子論者というのですが,わたくしはレッテルにはあまり熱がありません。どちらかと言えば,わたくしはレッテルを避けてきたほうでしてね。

 それはどういう意味ですか。論理的原子論者というのは

ラッセル わたくしの考えでは,あなたの眼に触れているどんな主題内容の本性に達する道も分析だという意味です――これ以上分析できぬ事柄に達するまで分析はできるもので,論理的原子というのはそういうものであろうという意味です。わたくしがこういうものを論理的原子と呼ぶのは,それが物質の小片とは違うからです。それは,1つの物を打ちたてる元になる,言わば,思想です。

 こんにちの哲学のだいたいの傾向は何ですか。


ラッセル さあ,その点では,英語を話す国とヨーロッパ大陸の国々とでは区別しなくてはならないでしょう。傾向は昔にくらべて遥かにまちまちです。遙かに,と言わなくてはなりません。英語を話す国々と特にイギリスには,哲学のための独立の領域を見つけたいという欲求を通じて,わたくしの考えでは,興ってきた新しい哲学があります。わたくしがちょっと前に述べていた点で見ても,哲学は単に不完全な科学にすぎないというように見えるでしょうが,このような見方を好まない人々もいます。こういう人たちは,哲学が自分だけの分野を持つことを望んでいるのです。これが進んで,まあいわゆる言語哲学になっていったものですが,ここでは,哲学者にとって大切なことは,疑問に答えることではなく,いろいろな疑問の意味を完全に明確にするというところにあるのです。わたくし自身はこの見方に賛成するわけにはゆきませんが,しかし例を1つ挙げてみましょう。わたくしは昔ウィンチェスターまで自転車旅行をやったのですが,そのとき道に迷いましてね,村の商店に行って,「ウィンチェスターへ行く一番の近道を教えていただけますか」と言ったんですが,すると,わたくしの聞いたその人は,奥まった部屋にいてわたくしには姿の見えない男に向って,「ウィンチェスターへ行く一ばんの近道はどうかってさ」と叫んだのです。すると,「ウィンチェスターだって」-「ええ」 -「ウィンチェスターへ行くんだって」-「ええ」- 「一番の近道だって」-「ええ」- 「分らないな」,という声が聞こえてきたんです。そこで,わたくしは,何の答えもきけないまま行かなくてはならなくなりました。まあ,オクスフォード派哲学の為すべきことと考えているのはこういうようなことです。

 つまり,疑問を正しくせよ,答えのことなど心配するなということですか。

ラッセル そうです。答えを出すのは誰かほかの人の仕事なのです。

 では,こういうのと大陸方式とではどう違うのですか。

ラッセル 大陸の方式はですね――まあ――この方はもっと血の気が多いです。わたくしはもうこれとは合いません。けれども,ある意味で,それはずっと血の気の多いものですし,昔のころの哲学にずっとちかいものです。キェルケゴール(右写真:From Wisdom of the West, 1959)の実存主義尊重から来る各種の哲学があるかかと思えば,伝統的宗教の論証法を授ける意図を持った哲学もあります。この種の物事はいろいろいろとあるわけです。こういうものには何によらずあまり重要なものはないと,わたくし自身は考えております。

 ですが,しかしあなたの考えておらるような哲学が,身の処しかたを知りたくおもっている人に,どんな実際的な役に立つのですか。

ラッセル 非常にたくさんの人がわたくしに手紙をくださって,自分は今,どのように身を処すべきかについて全く途方にくれているが,それは自分が正しい行動に対する伝統的な道しるべを認めなくなってしまったからで,ほかのどういう道しるべを採ったらいいのか,分らないからだと書いているのです。わたくしは,自分の信じているような哲学がこの点でも役に立つと考えています。つまり,この哲学は,人々に,これこそ正しい行動だという絶対の自信の持てない場合にも,力強く行動できるようにさせてくれるからです。誰でもどんなことについても確信を持つべきではないとわたくしは思うのです。確信を持てば,かならずまちがうのです。何故と申して,何ものも確実性を持つ値打のあるものはないからなので,ですから,いつもすべての信念を懐くにあたっては何らかの疑いの要素をもってすべきですし,その疑いをものともせず力強く行動できなくてはだめです。けっきょく,これが,一軍に将たるものの戦いに臨む態度です。敵方がどんな挙に出るかは,よくは分らないが,りっぱな大将なら,その推測はあたるのです。へたな大将の推測は外れるのです。しかし,実際生活では,見込みにもとづいて行動しなくてはなりませんから,わたくしが哲学にしてもらわなくてはならないと考えるものは人々に勇気を与えて,完全な確実性はなくても,力強く行動する気持をふるい立たせるということなのです。

 その通りですが,それでは,人々が多少とも信じ,信念も持っている事柄について,人々を不安にさせるこの仕事は,どういうことになりますか。そういうことをすれば人々の心をかえってかき乱すことにはなりませんか。

ラッセル そりゃ,暫くのあいだはもちろんそうでしょうが,ある程度の不安は,精神鍛錬に欠くことのできないものだと思うのです。しかし,科学知識さえあれば,当然感ずるはずの疑いのためにすっかり動顛することだけは避けられる落着きが出てきますよ。

 哲学の将来はどうなるとお考えですか。

ラッセル むかし,ギリシャ人や中世に対して哲学が持っていた重要性にちかいものは,将来,哲学は持てないと思います。科学の隆盛が不可避的に哲学の重要性を減少させると思います。

 すると,哲学者はあまり多過ぎるということが考えられるわけですか。

ラッセル やあ,それはですね,哲学者としては,この問題について自分の思うところを述べるべきではないと思うのです。哲学者でない人々がこの点について自分の意見を述べるべきだと思います。

 要約しますと,現在の世界と将来の哲学の価値は,どういうことになりましょうか。

ラッセル まあ,現在の世界では哲学は非常に重要だと思います。第1,繰りかえしになりますが,科学が,ともかく目下のところでは,扱い切れぬ,非常に大きな非常に重要な問題があるということを,哲学は分らせてくれますし,科学的態度だけでは充分ではないということを分らせてくれますからね。哲学のする第2のことは,人々を知的に今よりもう少し謙虚にさせて,確実と思われてきた多くの事柄がまちがいとなることに気付かせ,知識に至る近道はないということに気付かせることです。そして,世界を理解するというような,わたくしの考えでは,あらゆる哲学者の持つべき基本目的が,わたくしたちの独断的になることを許さぬ,非常に長期にわたる困難な仕事だということも,哲学は気付かせてくれるのです。
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(出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
WOODROW WYATT Lord Russell, what is philosophy?

LORD RUSSELL Well, that's a very controversial question. I think no two philosophers will give you the same answer. My own view would be that philosophy consists of speculations about matters where exact knowledge is not yet possible. That would only be my answer - not anybody else's.

WYATT What's the difference between philosophy and science?

RUSSELL Well, roughly, you'd say science is what we know and philosophy is what we don't know. That's a simple definition and for that reason questions are perpetually passing over from philosophy into science as knowledge advances.

WYATT Then when something is established and discovered it ceases to be philosophy and becomes science?

RUSSELL Yes, and all sorts of questions that used to be labelled philosophy are no longer so labelled.

WYATT What good is philosophy?

RUSSELL I think philosophy has two uses really. One of them is to keep alive speculation about things that are not yet amenable to scientific knowledge; after all, scientific knowledge covers a very small part of the things that interest mankind and ought to interest them. There are a great many things of immense interest about which science, at present at any rate, knows little and I don't want people's imaginations to be limited and enclosed within what can be now known. I think that to enlarge your imaginative view of the world in the hypothetical realm is one of the uses of philosophy. But there's another use that I think is equally important, which is to show that there are things which we thought we knew and don't know. On the one hand, philosophy is to keep us thinking about things that we may come to know, and on the other hand to keep us modestly aware of how much that seems like knowledge isn't knowledge.

WYATT Could you give us some illustrations of the sort of subjects which have been speculated about and then have produced some material results later?

RUSSELL Yes. It's quite easy to do (so), especially from Greek philosophy. The Greeks invented a whole lot of hypotheses which turned out valuable later, but which in their day couldn't be tested. Take, for example, the atomic hypothesis. Democritus invented the atomic hypothesis that matter consists of little atoms, and after two thousand years and rather more than that, it turned out that this was the right scientific view, but in his day it was merely a suggestion. Or, again, take Aristarchus. Aristarchus was the first person who suggested that the earth went round the sun, and not the sun round the earth, and that the apparent revolution of the heavens every day was due to the earth rotating. That remained an almost buried and forgotten hypothesis until the time of Copernicus two thousand years later. But Copernicus would probably never have thought of it if it hadn't been for Aristarchus.

WYATT How is this done - by some sort of intuition?

RUSSELL Oh, no. The people who first think of these hypotheses can't say, 'this is the truth'- they can only say, 'this may be the truth.' And if you have a good scientific imagination you can think of all sorts of things that might be true, and that's the essence of science. You first think of something that might be true - then you look to see if it is, and generally it isn't.

WYATT But didn't Plato think that Democritus' theory about atoms was a lot of nonsense?

RUSSELL Plato was horrified by him - said all his books ought to be burnt - because Plato didn't like science. He liked mathematics, but he didn't like anything else that was scientific.

WYATT Now in this way philosophy, in a sense, becomes a kind of servant of science.

RUSSELL Well, that's part of it, but of course it isn't only a servant of science - because there are a number of things that science can't deal with. All questions of values, for example. Science won't tell you what is good and what is bad - what is good or bad as an end, not just as a means.

WYATT But what change has there been over the years in the attitude of philosophers and the public to philosophy would you say?

RUSSELL Well, that depends upon the school of philosophy that you're thinking of. In both Plato and Aristotle the main thing was an attempt to understand the world, and that, I should say personally, is what philosophy ought to be doing. Then you come on to the Stoics and their emphasis was mainly on morality - that you ought to be stoical, you ought to endure misfortunes patiently - and that came to be a popular use of 'philosopher.'

WYATT Would you say that Marx was a philosopher?

RUSSELL Well, he was certainly in a sense a philosopher, but now there you have an important division amongst philosophers. There are some philosophers who exist to uphold the status quo, and others who exist to upset it - Marx of course belongs to the second lot. For my part I should reject both those as not being the true business of a philosopher, and I should say the business of a philosopher is not to change the world but to understand it, which is the exact opposite to what Marx said.

WYATT What kind of philosopher would you say you are?

RUSSELL Well, the only label I've ever given myself is logical atomist, but I'm not very keen on the label. I've rather avoided labels.

WYATT What does that mean? A logical atomist.

RUSSELL It means, in my mind, that the way to get at the nature of any subject matter you're looking at is analysis - and that you can analyze until you get to things that can't be analyzed any further and those would be logical atoms. I call them logical atoms because they're not little bits of matter. They're the ideas, so to speak, out of which a thing is built.

WYATT What is the main trend of philosophy today?

RUSSELL Well, one would have to distinguish there between English-speaking countries and continental European countries. The trends are much more separate than they used to be. Very much more. In English-speaking countries and especially in England, there is a new philosophy which has arisen. I think, through the desire to find a separate field , for philosophy. In what I was saying a moment ago, it would appear that philosophy is merely incomplete science, and there are people who don't like that view. They want philosophy to have a sphere to itself. That had led into what you may call linguistic philosophy, in which the important thing for the philosopher is not to answer questions but to get the meaning of the questions quite clear. I myself can't agree to that view, but I can give you an illustration. I was once bicycling to Winchester, and I lost my way, and I went to a village shop and said, 'Can you tell me the shortest way to Winchester?' and the man I asked called to a man in a back room and whom I couldn't see - 'Gentleman wants to know the shortest way to Winchester.' And a voice came back, 'Winchester?'-'Aye'- 'Way to Winchester?' - 'Aye'- 'Shortest way?'- 'Aye' - 'Don't know.' And so I had to go on without getting any answer. Well, that is what Oxford philosophy thinks one should do.

WYATT You mean get the question right, never mind about the answer?

RUSSELL Yes. It's somebody else's business to give the answer.

WYATT How does that differ from the continental approach now?

RUSSELL The continental approach is - well - it's more full-blooded. I don't agree with it any more. But in a sense it's much more full-blooded and much more like the philosophies of earlier times. There are various kinds of philosophy that come from Kierkegaard's regard for existentialism, and then there are philosophies designed to provide polemics for traditional religion. There are various things of that sort. I don't think myself that there's anything very important in all that.

WYATT No, but what practical use is your sort of philosophy to a man who wants to know how to conduct himself?

RUSSELL A great many people write to me saying they are now completely puzzled as to how they ought to conduct themselves, because they have ceased to accept the traditional signposts to right action and don't know what others to adopt. I think that the sort of philosophy I believe in is useful in this way: that it enables people to act with vigour when they are not absolutely certain that that is the right action. I think nobody should be certain of anything. If you're certain, you're certainly wrong, because nothing deserves certainty, and so one ought always to hold all one's beliefs with a certain element of doubt and one ought to be able to act vigorously in spite of the doubt. After all, this is what a general does when he is planning a battle. He doesn't quite know what the enemy will do, but if he's a good general he guesses right. If he's a bad general he guesses wrong. But in practical life one has to act upon probabilities, and what I should look to philosophy to do is to encourage people to act with vigour without complete certainty.

WYATT Yes, but now how about this business of making people so uncertain about things they sort of believe and have faith in? Doesn't that rather disturb them?

RUSSELL Well, it does for the time of course, and I think a certain amount of disturbance is an essential part of mental training, but if they have any knowledge of science they get the ballast which enables them to avoid being completely upset by the doubts that they ought to feel.

WYATT What do you think is the future of philosophy?

RUSSELL I don't think philosophy can, in future, have anything like the importance that it had either to the Greeks or in the Middle Ages. I think the rise of science inevitably diminishes the importance of philosophy.

WYATT And it is possible that we've too many philosophers?

RUSSELL Oh well, I don't think a philosopher ought to express himself on that subject. I think people who are not philosophers should give their opinion of that.

WYATT How would you summarize the value of philosophy in the present world and in the years to come?

RUSSELL Well, I think it's very important in the present world. First, because, as I say, it keeps you realizing that there are very big and very important questions that science, at any rate at present, can't deal with and that a scientific attitude by itself is not adequate. And the second thing it does is to make people a little more modest intellectually and aware that a great many things which have been thought certain turned out to be untrue, and that there's no short cut to knowledge. And that the understanding of the world, which to my mind is the underlying purpose that every philosopher should have, is a very long and difficult business about which we ought not to be dogmatic.