バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(邦訳者)- 訳者(勝部真長) - あとがき
* 出典:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954
本書は、Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954 (George Allen & Unwin Ltd.)を訳したものである。書名は『倫理と政治における人間社会』とするのが妥当と思われるが、ここでは『ヒューマン・ソサエティ』とし、副題に「倫理学から政治学へ」とつけた。それは第2部第1章の From ethics to politics から取ったのであるが、本書の構成が、目次を見ればわかるように、第1部で倫理学ないし倫理理論を扱い、第2部「情熱の葛藤」で、政治理論を扱っているからである。
ラッセルの著作は、そのほとんどの作品が日本語訳されている中で、本書だけは、まだ邦訳の出たということを聞かない。本書は、ラッセルの倫理学に関する最後のまとめといってよい本であるから、誰かが訳出してくれればと、私どもはかねがね待望していた。お茶の水女子大学の哲学科の演習で、何度か本書をテキストに使った。まだ大学紛争の最中であったが、学生たちは「古い」と言う。本書の書かれたのが1954年で、東西両陣営の対立がけわしかった世界状況を反映しており、戦後生れの若い人々には、東西の緊張緩和の進行中の世界状況のもとでは、時代遅れの印象をもったのであろう。しかし、長い眼でみれば、ラッセルの思想はなお今日に生きている、といえよう。
そんなことよりもっと重要な点は、本書が英米の倫理学の正統をついで、倫理学を政治学と関連させて考察している点にある。本書以前にラッセルの物した倫理学の著述としては、1910年の「倫理学原理」(The Elements of Ethics in Philosophical Essays, 1910)と、1935年の『宗教と科学』(Religion and Sciece, 1935)の第9章「科学と倫理学」とが代表的なものである。特に前者では、ムーア(G. E. Moore) の『プリンキピア・エチカ』の強い影響のもとに書かれており、「善は定義できない」ということ、しかも客観性をもつ、ということを強調していたのであるが、G.サンタヤナの批判をうけてから考え方を変え、その後満足できる見解に達していない、と自ら述べていた。『宗教と科学』では、善を欲望の充足と定義し、欲望は人によって異るのであるから、善悪の評価は、趣味のような主観的のものとみる情緒主義の立場に移っていた。それから20年たって、本書では、善についての客観性は、多くの人びとの欲望の一致が、政治的に実現された状態を意味する、という考え方を進めて、倫理学と政治学とを接続的に考察する立場に移っている。
倫理学と政治学とを接続的に考察するのは、アリストテレス以来のヨーロッパ倫理思想の伝統であるといえよう。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』については、死後にまとめられ、弟子達の筆が入っている(とくに第5、6、7巻)といわれるが、倫理学を体系的にまとめた世界最初の本であることに間違いはない。アリストテレスは徳を知的なものと道徳的なものとに分けた。知的な徳は教えから派生し、道徳的な徳は習慣から派生するとした。そして良い習慣を形成することによって、市民を善良にさせるのは、立法家の努めである、とした。従って倫理学は政治学と接続しなければならない。事実、アリストテレスでは『ニコマコス倫理学』の終ったところから、『政治学』の首章へと接続しているのである。ケンブリッジ大学でラッセルの先輩に当るH.シジウィックも、その著『倫理学の方法』(1874)の第2章で、倫理学と政治学との接続関係を考察し、この書とは別に『政治経済学原理』(1883)を書いている。倫理学と政治学とが無縁であってはならないことに、ラッセルもムーアの影響を脱するにつれて、気がついたのであろう。(右写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
アメリカの評論家の第一人者とされていたウォルター・リップマンに『道徳序説』(A Preface to Morals, 1927)と『政治序説』(A Preface to Politics, 1933)という対をなす2冊の著書がある。リップマンもまたギリシア以来の哲学の正統性の上に立って発言していたということであろうか。
実際問題としてラッセルは既に『社会再建の原理』(1916)、『自由への道』(1918)、『ボルシェヴイズムの実践と理論』(1920)、『結婚と道徳』(1929)、『幸福論』(1930)、『権力』(1936)(松下注:1938のまちがい)、『権威と個人』(1949)、『変りゆく世界への新しい希望』(1951)などで倫理と政治の問題を具体的に考察していたのであった。ただムーアの『プリンキピア』の制約を脱するのに手間がかかったのであった。わが国における倫理学も、その不毛性を脱して有効性を獲得するためには、このラッセルの転向に学び取る点が多いであろう。
訳出に当っては、長谷川鑛平(長野大学教授)と勝部真長(上越教育大学教授)とが、宮崎佐和子(お茶の水大学博士課程助手)、原一子(お茶の水大学博士課程)の協力をえてこれをなした。讃美歌の訳について原恵教授(青山学院大学)、ラテン語について外山滋比古教授(お茶の水大学)のご教示をえた。記して感謝の意を表します。
勝 部 真 長