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『バートランド・ラッセル短編集』訳者(内山敏)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),内山敏(訳)『ラッセル短編集』(中央公論社、1954年4月刊。207pp.
* 原著:Satan in the Suburbs, 1953, by Bertrand Russell
* 内山敏氏(うちやま・つとむ:1909~1982?)は、日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人


訳者あとがき(内山敏、1953年晩秋)

 バートランド・ラッセルは1950年度のノーベル文学賞を授与されているが、文筆家であっても小説家ではない。だから、この短篇小説集を読まれる方のうちには、ウィンストン・チャーチルといふ作家があったごとく、同名異人のバートランド・ラッセルがいるのかと思われる方もあるかも知れないが、この作者はまがいもなく、かの高名な老哲学者である。数学者、政治学者、文明批評家として、現存第一流の人物と広く認められている彼が、齢80を超えてはじめて書いた小説の処女出版ということになれば、それだけで我々の好奇心をそそらずにはおかない。
 しかしこの短篇集を敢えて紹介する気になったのは、単にラッセルの小説がどんなものかという好奇心からばかりではない。これらの小説が、文学的にどれだけの価値があるかはしらぬと作者はいっているが、それに続けて「これを書くのが楽しかった」し、「だからこれを読むのを楽しいと思う人がいるかも知れぬ」と序文で書いている。たしかに読んで楽しい作品である。すくなくとも訳者はそう思った。また、作者のいうように「寓意を示すためとか、何らかの意見を例証するつもりで書かれた」ものではないにせよ、さすが一流の老思想家の筆になるものだけに、かみしめるとなかなか味わいの深い小説であるように思われる。彼にとっては老後の筆のすさびにすぎぬものかも知れないし、これらの作品の価値をあげつらうことは野暮ったいこにとちがいないが、それでも作者の風格がおのずとにじみでていることは明らかである。現代世界に対する風刺、スノビズムに対する鋭い皮肉を、これらの作品から読みとることは、読者の自由であろう。訳者の感想を敢えていわしてもらえば、アナトール・フランスの或る作品に似通った味があり、「おとなの読むおとぎばなし」として捨てがたい価値があると思う。
 「戦争だの戦争の噂だので、何だかんだとやかかましい現代に生きている」われわれは、現代の事件からときどきは気晴らしをする必要を感ずるのもやむを得まい。そういうとき読むのに、手頃の本はまことに少ないのであるが、ラッセルのこの短編集はこの必要を満たす少数の本の一つにあげられるかも知れない。


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 ラッセルについては今さら紹介するまでもないが、1872年イギリスの名門に生れ、はじめ数学者として、のちには社会思想家として名をなし、その著書は数十巻におよんでいる。第一次大戦中は反戦思想のゆえに投獄されたこともあるオールド・リベラリストで、その結婚観や教育観がオーソドックスなものと対立したため、イギリスの俗物社会とは折り合わず、アメリカに行ってニューヨークの大学((松下注:ニューヨーク市立大学)から追われたこともある。かつて大正時代に日本を訪問したことがあり、その著書もかなり邦訳があるから、ラッセルといえば日本にはかなりなじみ深い名前だ。人生の秋にものした彼の小説は、多くの興味を持って日本でも迎えられることと思う。

 なお、訳文について一言すれば、原文は必ずしも平易な文体ではなく、稀語もかなり使っているから、もっと古風な日本語に移し、むつかしい漢字ももっと多く使うべきだったかも知れない。しかし、慣れというものはおそろしいもので、制限漢字や新仮名遣いを念頭において、数年間仕事をしたのちでは、これが非常に困難であることを発見した。かつまた、現代の読者のことを考えると、強いてわざわざ平易ならざる文体に移すことも如何かと思われ、仮名遣いにするにとどめた。本文中の固有名詞や、その他について訳注をつけるべきであったかも知れぬが、おそらくはあらずもがなになると信じて、一切これを省略した。