バートランド・ラッセル(作)「聖職者であることの利便性」(『ラッセル短篇集』より)
* 出典:バートランド・ラッセル(作),内山敏訳『ラッセル短篇集』(中央公論社、1954年4月刊。207pp.)* 原著:Satan in the Suburbs, 1953, by Bertrand Russell
* 内山敏(1909~1973)は、日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人
ペネロープ・コルクホーン(Penelope Colquhoun)は、ゆっくりと階段を上り、彼女の小さな居間の粗末な簾椅子にうんざりした様子で腰をおろした。彼女は深いため息をしながら、「ああ、退屈だわ、退屈だわ、退屈だわ」と、大きな声で叫んだ。
彼女がそう思ったのも無理からぬことであると認めなければならない。彼女の父親は田舎であるサフォーク州のそのまた片田舎のクィコウム・マグナ(Quycombe Magna)というところの教区牧師であった。
この村は教会と牧師館、それから郵便局と居酒屋が1軒づつ、小さな農家が10戸と、貧弱さの埋め合せするただ1つの古い立派な領主館からなっていた。その当時(というのは50年ほど前の話だが)この村を外部世界とつなぐただ1つのものは、週に3回クィコウム・パーヴァ(Quycombe Parva)に行く乗合バスだけであった。クィコウム・パーヴァはもっとずっと大きな村で、鉄道の駅があり、鉄道に乗れば、かなりの老人でも(話によれば) Liverpool Street に行けるとのことであった。
ペネロープの父は妻を亡くしてから5年たっていたが、今ではもうほとんど見られないタイプ、頑固な低教会派(Low Church: 儀式などよりも福音を重んずる英国教会の一派)で、あらゆる種類の享楽に反対していた。妻は生きている間は、(彼の考えで)妻というものはかくあるべしとされた性質を、すべて備え持っていた。従順で忍耐強く、教区の仕事では倦むことを知らなかった。父親の頭では、ペネロープもまた亡くなった母親とおなじ道を歩むというのは疑いないあたりまえのことと思われていた。ほかの選択肢がなかったため、彼女は教区の仕事に最善をつくした。クリスマスや収穫祭には教会を飾り、「母の会」を主宰し、年配の女性を訪ねてはその健康状態を尋ね、聖堂番(verger)が仕事を怠ればこれを叱りつけた。彼女のルーティン・ワークを楽しいものとする僅かの快楽めいたものも許されなかった。牧師は女性が身を装うことに眉をひそめた。彼女はいつも木綿の靴下、質素なコート、昔は新しかったろうが今ではみすぼらしいスカートを身につけていた。頭髪はひきつめにし、装飾品などは夢にも望めなかった。そのようなものをつければ、父親は地獄への第一歩と思ったに違いなかったからである。朝2時間ほど手伝い女がくるのを別とすれば、家事の助けをしてくれる人はなく、彼女は通常牧師の妻のやる教区上の仕事に加えて、料理やその他の家事全般をやらなければならなかった。
ときどきは、少しだけ自由に振る舞おうとしたが、無駄な努力であった。・・・
(The Benefit of Clergy の他の挿絵)
*この続きは、原書を購入して読まれるか、邦訳書をお読みください。(『ラッセル短篇集』は、早大ラッセル関係資料コーナー、国会図書館、都立中央図書館、東洋大、京大総合人間学部、神戸市立大学、琉球大学等で所蔵しています。また、Cambridge 大学図書館及び Oxford 大学図書館でもこの邦訳書を所蔵しています。)
... Its only connection with the outer world at that time, some fifty years since, was a bus which ran three times a week to Quycombe Parva, a much larger villiage, with a railway station from which (it was said) persons of sufficient longevity might hope to reach Liverpool Street. ...